手紙を胸に抱き、マグダがまぶたを閉じている。
今、マグダは何を思っているんだろうな。
もしかしたら、頭の中で両親と話をしているのかもしれない。
これは、もうしばらく邪魔しないでおいてやろう。
「レジーナ。もう少し詳しく聞かせてくれるか、手紙を渡された時のことを」
「せやね、どっから話せばえぇかな……」
「ね、ねぇ。その前に、いい加減レジーナのこの格好の意味を教えてくれない?」
話が進む予兆を感じ、ネフェリーが恐る恐る、周りの空気を読みながら発言する。
そういえば、こいつらには説明してなかったっけ。
エステラに視線を向けると、一度頷き、理由の説明を始めた。
「この変装はヤシロの提案なんだけど、レジーナにこういう真逆の格好をさせることで――」
「ギャップが生まれて、なんや、めっちゃエロいやろ?」
「……ヤシロ」
「そんな視線を向けられる覚えはねぇよ」
レジーナが途中で余計な口を挟んだせいで、なんか俺が残念な子を見るような視線を浴びせられた。
集中砲火だ。
で、エステラ。「ヤシロ、君は……」じゃねぇーんだわ。お前は正しい理由を理解してるよな? え、してないの? どこまでポンコツになれば気が済むの?
「オールブルームからバオクリエアに行く船は、身分の確認を厳重に行ってるんだけど、それでね~☆」
と、マーシャが残念なエステラに代わって、船でバオクリエアへ向かう際の危険性を説明してくれた。
見習え、エステラ。
マーシャを見習って、胸に貝でも貼り付けろ。
シジミで事足りるかもしれないけどな!
「ほんで、領主はんの協力で偽名を手に入れて、こんな格好でバオクリエアに向こぅたんや」
「それで、大丈夫だったの? いや、大丈夫だったから、今ここにいるのは分かるんだけどさ」
パウラがハラハラした顔でレジーナに詰め寄る。
「それがなぁ……」
レジーナが重いため息を吐く。
「これだけイメージ変えたら、船から下りてバオクリエアの港を抜けるくらいまでは正体がバレへんやろうと思ぅとったんやけど……」
「えっ!? もしかして、バレちゃったの!?」
「いいや。バオクリエアに入って、薬作って、主要人物全員に会ぅて、ついでに国王様にまで謁見して、これでもかって何重にも保険をかけた特効薬のレシピを渡して、専属の薬剤師らぁにちょこちょこ~っと指導して、バオクリエアから船に乗って四十二区に帰ってくるまで、全っ然バレへんかった!」
「驚きの効き目ですね、レジーナさんの変装!? いや、むしろお兄ちゃんの発想が凄まじいと言うべきですか!?」
本気で誰にもバレなかったらしい。
いや、俺もな、バレないだろうなとは思ったけど、そこまで効果を発揮するとは思ってなかったよ。
精々、港の検問をくぐり抜けて、向こうで第二王子と密会をしてすぐ引き返してくるくらいは出来るだろうと。それくらいの効果だと思っていた。
まさか、大手を振って国王に謁見していたとは……
「まぁ、ただ第二王子や、ついこないだ会ぅたばかりのワイル、ワイルと同じくウチの幼馴染やった人間でさえウチのこと気付かんで、信用してもらわれへんかったんにはまいってもぅたけどな」
完璧じゃねぇか、その変装。
よっぽど固まっていたんだろうなぁ、レジーナの陰鬱なイメージ。
脳がバグを起こすくらいに。
「それで、バオクリエア王の容態はどうだったんだい?」
「バッチリや。完っ璧に治してきたったで。まぁ、もうしばらく安静にする必要があるやろうさかい、完治したっちゅうてお触れが出るんは、あと一週間後くらいちゃうかな」
レジーナがオールブルームに帰るくらいの時間は十分に稼げたということか。
病に伏せり、明日をも知れない国王がケロッと治ったら、きっとレジーナの存在を疑う者も出てくるだろう。
そうなれば、いくらベティ・メイプルベアといえど、正体がバレていたかもしれない。
命の恩人に対するせめてもの気遣いというところだろうか。国王からの。
「特効薬を作ってって、薬を持ち込んだのかい?」
「そんなんしたら、さすがにバレてまうわ。そもそも、薬の原料になる薬草類は、ほとんど持ち込み出来へんようになっとるしな」
「じゃあ、どうやって? バオクリエアで買い物でもしたのかい? なんだか、目を付けられそうだけれど」
「大丈夫や。薬の材料はちゃ~んと持ち込んださかいに」
「ん? 持ち込めないんだよね?」
「薬になる薬草は、な」
「つまり、到底薬になりそうもない材料で薬を作ったのかい?」
「正解や」
「それ、本当に効くのかい!?」
まぁ、実際バオクリエア王は回復したわけだし、効くのだろうな。
「まぁ、あんまり知られてへんだけで、ちゃんと効能のある植物類や。柑橘系の果物とか、深海魚の骨とか。あと、真っ赤なお花とかな」
「お前、それを隠してたのか?」
驚いたというか、呆れて、俺は思わず口を開いた。
「バオクリエアなんて薬学の最先端を爆走している国の薬剤師ども全員に、その特効薬になる植物の情報を秘匿してたのかよ?」
「せやで。研究を悪用された直後やったさかいな、『絶対教えたるか!』いぅ思いでいっぱいやってん」
ま、もう時効やけどな~と、レジーナは笑う。
時効。
それは、レジーナが貴重な情報を秘匿したこと――ではなく、自身の研究成果を盗み悪用したバオクリエアの機関へ向けた言葉なのだろう。
エステラが言ってたもんな。
悪用された兵器をさらに利用して有用な物を作ればレジーナの勝ちだと。
たぶん、それで考え方を変えることが出来たのだろう。
「まぁ、もし? 今回の薬を悪用しようっちゅうんやったら、速攻でその悪用された兵器の特効薬を作ったるわ。悪用の仕方なんか、一~二通りくらいしかあらへんしな」
悪用されることまで見越してんのかよ。
まぁ、どんなものでも悪用しようと思えば悪用できるし、悪用するなって言っても悪用するヤツは必ず出て来るしな。
「第二王子に渡したんだよね?」
「せやで」
エステラが眉を顰める。
「それでも、悪用される可能性があると?」
「当たり前やん」
そして、レジーナはきっぱりと言い切る。
「分からんように仲間に溶け込むんが敵のやり口や。そういうもんやろ?」
諜報活動、いわゆるスパイってヤツはうまく敵の懐に潜り込む能力を有したヤツが担うものだ。
体面的には、善人で努力家で才能があって謙虚で、『いいヤツ』を装う。
諜報という目的があるから、それ以外の小さな報酬には目もくれない。
とても割に合わないようなことでさえ、自ら進んでやることもある。
どんなに苦労をしようが、任務を遂行させれば大きな見返りが待っているのだから、そこらの一般人よりよっぽど頑張れるってもんだ。
腹の中さえ度外視すれば、ジネットやウーマロのような、『いいヤツ』に見えることだろう。
そして、そういうヤツは周りの人間から信用され、重用され、頼られる。
他の誰にも教えない秘密だって、教えてもらえるかもしれない。
そんなヤツを見抜くのは至難の業だ。
レジーナは、第二王子派の中にもそういった者が紛れ込んでいると思っているのだろう。
こいつの警戒は正しい。
もはや、誰が敵で味方かも分からない状況なのだろう、バオクリエアは。
「けど、自分自身が一番大事なもんさえ見失わへんかったら、最悪の状況だけは避けられる。ウチはそう思ぅとるんや」
レジーナの場合は、自分と、大切な連中が暮らすオールブルームの安寧が最重要ってところか。
そのためには、侵略反対派の現国王が元気でいることが望ましいのだろう。
「幸いやったんは、現国王の病気が一般的な難病やったってことやろうね。……まぁ、難病を幸いって言ぅたら怒られるけど」
自身の発言に苦笑し、それでも真剣な表情を作って言う。
「もし……、第一王子の仕組んだことやったら、ウチ、たぶんもう一年二年くらいは戻ってこられへんかったわ」
現国王の病が仕組まれたことだったら。
GYウィルスやMプラントのような細菌兵器が原因だった場合、レジーナは一年以上バオクリエアに滞在するつもりだったようだ。
「第一王子派の警戒が厳重になるから?」
ネフェリーの問いに、レジーナは首を振る。
「もし第一王子が、権力を得るために現国王――実の父親にまで毒を盛るようなクズになり果ててるんやとしたら……潰してこな、安心して暮らせへんやん?」
その場の気温が一度下がった。
レジーナの物言いには、背筋を凍えさせるような迫力があった。
レジーナの一番大切な物。それを守るために、こいつは最善の行動を取るだろう。
「けどまぁ、そこはまだ良識が残っとったみたいやさかい、あとは向こうの王子二人と現国王が解決したらえぇ問題やっちゅうことで丸投げしてきたわ」
どうしようもないくらいに腐っていたら介入するつもりだったのだろう。
レジーナなら、GYウィルスを超える細菌兵器でも生み出せるだろう。
レジーナの性格上、そんなことはしないだろうが……『それが可能だ』と知らしめることで相手を黙らせる効果はある。
「けどまっ、早いこと帰りたかったし、ちょうどよかったわ。これで当分はバオクリエア国内の情勢は落ち着くやろう。……まぁ、落ち着くいうても緊張状態は続くやろうけどな。傾きかけてた情勢が現状維持に戻ったっちゅうところやな」
とにかく、現国王が回復し、レジーナの薬のレシピのおかげで病の恐怖は消え失せた。
これで、極端に情勢が傾くことはなくなるだろう。
第一王子の暴発も、当分は先送りか。
もしくは、国内情勢が安定したから他国へのちょっかいをかけ始めるか……
「とにかく、しばらくは様子見、やね」
なんにせよ、レジーナが無事に戻ってこられた。
今回は、それでよしとしておこう。
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