「ふぅ……なんとか、峠は越えたようやね」
「あはは、峠って。大袈裟だよなぁ、レジーナは。なぁ?」
いやいや、デリア。
お前の全力パンチを不意打ちで食らったら、大方の人間が臨死体験しちゃうから。首がもげ落ちなかったのが奇跡とすら言える。
「ぅう……いたたた……」
「おう、大丈夫か?」
痛むアゴを押さえ体を起こすバルバラを、デリアは警戒心のないあっけらかんとした雰囲気で覗き込む。
バルバラの肩が「ンビクゥ!?」っと、震える。……あ~ぁ、トラウマだろうな、こりゃ。
「ぁ…………あぁ……」
デリアに見つめられたバルバラは硬直し、ぷるぷると震え始める。
……お気の毒に。
「アーシっ、感動しました!」
……は?
「その強さ、拳の熱さ、そしてこのまっすぐな激痛、どれもこれも素敵過ぎます!」
えっと……打ち所が悪かったの、かな?
「惚れました、姐さんっ!」
なんか、バルバラがキラッキラした目でデリアの右手を取り、両手でしっかりと包み込んだ。おぉっと、デリアが若干引いている。うん、こっち向かれても、俺にはなんとも言ってやれんのだよ。
「アーシを、姐さんの下で働かせてください!」
「はぁ!? んなこと急に言われてもなぁ……。エステラ、そーゆーのっていいのか?」
「まぁ、今すぐには無理だけど、罪を償った後なら川漁ギルドの規定に則って判断してくれればいいよ」
「ん~……そっか…………ん~……」
物凄く難色を示している。
さすがに「惚れました」にはドン引きなようだ。
「お前、名前は?」
「バルバラっす!」
「そうか、バラバラか」
「いや、バルバラだよ、デリア……」
エステラが訂正するも、デリアの耳には届かない。さほど重要な情報だと認識されていないのだろう。
「それで、パリパリ」
「バルバラだってば!」
「もう諦めるさね、エステラ。……デリアの耳に念仏さよ」
何かと接点があるらしいノーマは、もうすでに悟りを開いているようだ。デリアに難しい話はしない。それが、デリアとうまく付き合うための最大のコツなのだ。
「お前、泳げるのか?」
「いいえ、まったく! 水が嫌い過ぎて、顔もめったに洗わないっす!」
ばっちぃな、おい!?
「……オメロに洗わせるか」
豪胆(悪く言えばガサツ)なように見えて、実はデリアは綺麗好きだ。ガキどもにも手洗いうがいは徹底させているし、ウェイトレスとして陽だまり亭で働く時も、接客は落第点だが清掃と後片付けは合格点なのだ。……繊細さには欠けるけれど。
「泳げねぇヤツは、ウチにはいらねぇなぁ」
って、おい。
お前んとこの副ギルド長! あいつは一切泳げないだろうが!
「バルバラ、ちょっといいかい?」
デリアを眺めてテンションが上がりっぱなしのバルバラに、エステラが話しかける。……が、無視。思いっきりスルー。アウトオブ眼中である。
「おい、ペラペラ。エステラが呼んでるぞ」
「はい、姐さん!」
……正式名称をスルーして、原型を失いつつある謎の呼び名に反応を示すバルバラ。……エステラの頬がヒクついている。
「仕事の前に、君にはやらなければいけないことがある。……分かるね?」
「ぁ…………あぁ、分かってる。百叩きでも市中引き回しでも、なんでもしてくれ」
怖い怖い怖い! 何されると思ってんの、お前!?
ほら、エステラがドン引きして二歩ほど遠ざかっちゃったじゃん。
「そ、そういう罰を与えるつもりはないんだ。ただ、しっかりとこなしてほしい仕事があるんだ」
「仕事?」
デリア以外には、相変わらず警戒心むき出しの視線を向けるバルバラ。
「まずは、彼の話を聞いてもらおうかな」
「……え」
尖ったナイフのようなその瞳が、一瞬大きく開かれ、不安に揺れる。
バルバラの見つめる先に現れたのは、一人のオコジョ。
今回被害に遭った、トウモロコシ畑の持ち主、ヤップロックだった。
「テメェ……あ、いや……あんたは」
「やぁ。こんばんは」
少し遠慮がちに、ヤップロックはバルバラの前に立つ。
傍目に見れば、ヤップロックの方が襲われる側っぽく見えるのだが、恐怖に身を硬くしているのはバルバラの方だった。緊張が手に取るように分かる。
「先ほどは……というには、少々時間が経ってしまいましたが……今朝は、すみませんでした」
はにかむように苦笑を浮かべ、ヤップロックが頭を下げる。
その動作を見て、バルバラが短く息をのんだ。微かに震え出す唇を、ぎゅっとかみ締める。
「言い訳になりますが……君の、あの時の顔が、過去の自分と重なってしまって……それであんなことを言ってしまったんです。無神経でしたね、申し訳ない」
「そんなこと…………っ」
言いかけて、言葉を飲み込む。
素直に否定することは、まだ難しいのかもしれない。他人に心を開く方法を知らないバルバラには。
「……重なったって…………アーシが、あんたにか?」
「えぇ、そうです。ふふ……本当に、お恥ずかしい」
そう言って、ヤップロックは語り始める。
自分がかつて人生を諦めかけていたこと。
守るべき者を見ているつもりで、現状をきちんと把握できていなかったこと。
つらい現実から逃げ出して、苦労を、そのすべてを最も守るべき相手に背負わせてしまうところだったこと。
「そんな私の目を覚まさせてくださったのが、そこにおられる英雄様なんです」
「英雄……?」
「こいつが勝手にそう呼んでるだけだ。あだ名みたいなもんだよ、もはや」
こちらに向けられる不快な視線を手で払いのけ、ヤップロックの邪魔をしないように言葉少なく顔を背けておく。
隣で顔を寄せ合って肩を揺らしているジネットとエステラには、後日相応の罰を科してやろうと誓いながら。
「人は、自分を責めてしまいがちです。優しい人ほど、特に」
お前がそうなのだと、ヤップロックは視線に込めてバルバラを見つめる。
「本当に守りたい人がいるのなら、あなたは、今、この瞬間にこそ変わる必要があるのです。もう二度と、自分の人生から顔を背けなくて済むように」
バルバラの手を取り、両手でぎゅっと握りしめる。
そして、一度大きく頷いてみせ、「はは……またガラにもないことを言ってしまいましたね」と、小さな頭を掻いた。
「……くすっ。はは…………あははは」
そんな、照れるオッサンを見て、バルバラが笑い出す。
取り繕わない、素直な表情で。
「あんた……いい人だな」
「そう思えるのは、あなたが他人を思いやれる心をお持ちだからですよ」
褒められて、バルバラは頬を薄く染める。
そんなこと、言われそうもない生き方をしていたろうからな、こいつは。
「アーシの方こそ、悪かった。痛いところを突かれて、痛過ぎて……キレちまったんだ。……あんたの言葉、胸の真ん中にズドンって、突き刺さった」
「そうですか……はは。それは、よかった」
バルバラに釣られるように、ヤップロックも笑みをこぼす。
そして、少しだけ照れたように口元を撫でて、語り聞かせるようにゆっくりとバルバラに話しかける。
「実はあの言葉は、今もなお私の心に深く刻み込まれている言葉なんですよ。……いや、言葉だけを真似てもうまくはいきませんでしたが、……それでも、あの言葉には人の命に価値を見出させる、それだけの力があると、私は思っています」
言い切った後で、俺を見てにかっと笑うヤップロック。
だから、そんな大層なもんじゃないっつうのに。ただうじうじしていたお前にムカついて叩き潰してやろうと思って吐き出しただけの言葉だ。
そこに価値を見出したってんなら、それはお前が見つけたもんだ。俺には一切関係のない話だよ。
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