「カンパニュラさん」
ベルティーナが静かな声でカンパニュラを呼ぶ。
「大人になると、誰かに甘えることが悪いことのように感じるようになるかもしれません」
「もう大人なんだから」とか「いつまでも甘えて」とか、人は成長と共に甘えることを忌避し始める。
甘えることは子供の特権だと思いがちだから。
「ですが、お互いの心が通じ合い、気持ちを共有できる間柄であれば、誰かに甘えるのは悪いことではないのですよ」
他人に責務や労働を押しつけるのでなければ、互いに納得できるのであれば、誰かに甘えることは悪くない。
むしろ、喜ばれることもある。
それは、四十二区に来てから嫌というほど見聞きしてきたことだ。
「私は、カンパニュラさんにもっともっと甘えてほしいと思っていますよ」
「ありがとうございます、シスター。四十二区に来て、陽だまり亭で過ごす中で、私は何度も人の優しさに触れてきました。何度も温かさを与えてもらいました」
ここで過ごした時間が、カンパニュラの中に確かに根付き、カンパニュラの考え方や物の見方に少なくない影響を与えている。
それは、カンパニュラという人間を作ったと言っても過言ではない。
カンパニュラは、ここで過ごす中で、確実に成長した。
これまでのカンパニュラとは大きく変わった。
きっと、昔のカンパニュラしか知らないヤツが見たら吃驚仰天するだろう。
「私がしていただいたこと、とても嬉しかったこと、それを、いつか私が大人になった時、そばにいる誰かへ同じようにしてあげられるよう――今はもっとたくさん甘えさせていただきますね」
「やだっ、可愛いっ! もらって帰りたい!」
「ダメだぞ、パウラ! カンパニュラはあたいの家で一緒に暮らすんだからな!」
カンパニュラの可愛さに撃ち抜かれ、パウラが一瞬ハビエルを発症しかけた。
だが、割って入ってきたデリアにカンパニュラを強奪され、正気を取り戻……あ、ダメだ。ほっぺたぱんぱんに膨らませて抗議してる。
「デリアと一緒に暮らしたりしたら、カンパニュラがガサツになっちゃいそうで心配だよ」
「大丈夫だよ。オッカサンとアンチャンもいるんだし」
「ルピナスさんとタイタさん…………不安だなぁ」
ネフェリーが物凄く素直な感想を述べる。
ミリィですら苦笑を浮かべるに留まり、「そんなことないよ」の一言が出てこなかった。
「なら、ずっと陽だまり亭にいればいいです!」
「……まぁ、ロレッタは陽だまり亭で寝起きはしていないけれど」
「ほにょ!? カニぱーにゃがここに住むなら、泊まりに来る頻度をあげるですよ!?」
「……でも、カンパニュラに伝染ると困るから」
「何が伝染るですか!? なんも伝染らないですよ!?」
「いや、ロレッタが近くにいたら『騒がしい』が伝染るわね。やっぱりウチに来なよ。カンタルチカ、賑やかで楽しいよ」
「やめたげるさね。優しいカンパニュラにお断りの言葉なんか言わせんじゃないさよ」
「え~……ノーマだって、カンパニュラと一緒に住めるなら住んでみたいでしょ?」
「そうさねぇ、カンパニュラがウチに来るなら、毎日一緒に料理して、花壇を作って花を育てて、お風呂も欲しいさね。カンパニュラのマッサージ、アタシも覚えたからやってあげるさね。あぁ、そうさね! お祭りまでにカンパニュラの浴衣を作ってあげなきゃいけないさね! カンパニュラは好きな柄があるかぃね? もしあるなら、その柄で枕カバーを作ってあげるさよ」
「ねぇ、ノーマ。もう住むこと決定した前提で話進めてない?」
自分で振った話題が、思わぬ速度で急加速してしまい、パウラもドン引きである。
ノーマ、婿さんの前に娘を手に入れるのは考え直した方がいいぞ。
そんなことになったら、お前は絶対娘一筋になって自分の恋愛が二の次三の次になるから。
「ノーマぁ。カンパニュラとは結婚できないんだぞ?」
「そんなこと分かってるさね!」
あ~ぁ、デリアがデリケートな部分に土足で……
今この場にいたほとんどの者が思っても口に出さずに飲み込んだ言葉を。
「ノーマ姉様と一緒の生活は、きっと毎日がときめきに溢れているでしょうね。ノーマ姉様はとても心の清い女性ですから」
「そ、そんなこたぁないけどね……」
九歳の少女にまで乙女認定されて、ノーマが照れて煙管をいじくり倒す。
「なぁ、カンパニュラ。あと何年かしたら、ノーマオバ様に変えるのか?」
「変わらないさよ!? カンパニュラはあんたと違って、気遣いの出来るいい子だからね!」
「あたいも気遣い出来るぞ。得意だ!」
「だったら一回くらいアタシに気の一つでも遣ってごらんな!?」
ノーマって、デリアには全力で怒るよな。
マグダ、ノーマ、デリア、ナタリアは四十二区の守護騎士でありながら、性格がバラバラだから面白い。
中でもノーマとデリアは正反対だ。
「アタシも、カンパニュラをデリアに預けるのは反対さね」
「うふふ。デリア姉様はとっても優しいのですよ?」
「そうだぞ、ノーマ」
「優しさと賢さは別物さよ」
言い合うノーマとデリアを、間に挟まれたカンパニュラが楽しそうに見つめている。
「じゃあ、みんなのところを回るのは? 一泊ずつしてさ」
「それはとても心躍るご提案ですね、ネフェリー姉様」
「でしょ~? ウチに来るとね、ニワトリがいっぱいいるんだよ。可愛いんだから、ニワトリ」
「ネフェリー姉様の愛情を一身に受けて育ったニワトリならば、とても可愛いに違いありませんね」
「もうっ! 可愛い! 妹にしたい!」
モリーに続いて二人目か。
モリーとカンパニュラが妹だと、長女へのプレッシャーは相当なもんだと思うけどな。
「カンパニュラって、バルバラのところに泊まったことあるんだよね?」
「はい。ご存じだったのですね、パウラ姉様」
「うん。この前バルバラがウチに来て自慢してったんだよ」
「あいつ、カンタルチカになんて行ってんのか?」
バルバラが酒を飲むとは聞いてないが。
「ふっふっふっ、ヤシロ、知らないの? シェリルちゃんはね、カンタルチカのリンゴジュースが大好物なんだよ?」
あぁ、それでシェリルを連れてジュースを飲みに行ってるわけか。
「もうすっかりお姉さんしてるよ、バルバラ。試供品のハンドクリームもみんなで仲良く使ってるんだって。シェリルちゃんにポーチ着けてあげてたよ」
「テレサさんも、自分が使わない時はバルバラ姉様にお貸ししたりしているそうです」
「あ、この前あたしのところに『どーだ、シェリルとお揃いだぞ』って自慢しに来たですよ」
バルバラのヤツ、陽だまり亭にはあまり顔を出さないのにロレッタやパウラたちとは結構遊んでいるらしい。
「すっかり変わったよね、バルバラ。丸くなったっていうか、お淑やかになったっていうか」
くすくすと、ネフェリーが笑う。
「恋の相談とか、すっごいしてくるんだよ。内容は、秘密だけどね☆」
なんてウィンクを俺に飛ばす。
いや、聞きたくもねぇよ。内容、大体想像つくし。
「初めて会った時は、尖ってるっていうか、ギラついていたのにねぇ」
「あたいと勝負したんだよなぁ。あの後から、いいヤツになりたいって言ってたし、頑張ったんだろうなぁ、バルバラ」
ゴロつき時代のバルバラを知る者にしてみれば、今のバルバラの姿は驚きの変貌を遂げたと言える。
居場所が出来、友達が出来、恋をして、そして家族が出来た。
そんな暮らしが、バルバラを変えたのだろう。
「四十二区に触れると、みんな変わっていくのですね。それも、きっといい方向へ。……なんだか、分かるような気がします」
カンパニュラ自身、自分が変わったという自覚があるのかもしれない。
「すごいんだよ、四十二区は」
エステラが得意満面でそんな自慢をする。
なんからしくない自慢だなと思ったら、案の定――
「なにせ、世界一のひねくれ者が、それなりに人付き合いを楽しめるくらいに変わったんだからね」
――そんなことをドヤ顔でのたまいやがった。
「言われてるぞ、レジーナ」
「あれ? 不思議やなぁ、ウチの耳には自分宛に聞こえてんけどなぁ」
責任の所在の擦り付け合いをする俺とレジーナを、その場にいた者たちが指さして笑う。
その笑い声が相当に騒がしかったのだろう。
太陽が迷惑そうに顔を出し、窓の外が次第に明るくなっていった。
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