異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

370話 一騒動の後に -1-

公開日時: 2022年7月4日(月) 20:01
文字数:4,130

 俺たちが見守る中、アヒムの拘束が解かれる。

 腕を縛っていた紐と猿ぐつわが外されても、アヒムは大人しく座っていた。

 

「兄上……」

「…………」

 

 オルフェンの呼びかけにも、アヒムは俯いたまま何も話さない。

 弟の本気に触れ、自分のこれまでの言動を改めて省みているのかもしれない。

 他区の領主たちの地雷を踏んで回っててもそれに気付かなかった男だ。

 本気で怒られ、泣かれ、過去の話を持ち出してまで本気で懇願され、ようやく気が付いたのかもしれない。

 目が覚めたと言うべきか。

 

「……俺ぁ、本当に……ダメな男だなぁ」

「そんなことないですよ、兄上」

「…………」

 

 弟の慰めの言葉も、アヒムには届かない。

 

「……まぁ、服のセンスはダメダメだと思いますけれど」

「そなたも人のことは言えまい!?」

 

 思わぬ方向からのダメ出しに、アヒムは思わずといった風に口を開く。

 そして、「あっ」という顔をして、苦虫を噛み潰したような表情で顔を逸らした。

 

 なんだ。

 なんとかなりそうだな。

 

 隣を見れば、エステラと視線が合った。

 眉を下げて肩をすくめるエステラ。

「なんだろうね?」とでも言いたそうな顔だ。

 きっと、俺と同じ気持ちなのだろう。

 

 とりあえず、ここで喚き散らされた無礼を糾弾するつもりはすっかり消え失せたようだ。

 エステラは分かりやすいからな。顔を見たら分かる。

 

「ミスター・マイラー」

 

 エステラが呼びかけると、アヒムとオルフェンが揃って振り向く。

 

「……あ。私ではないか」

 

 そして、アヒムの方が苦しそうな表情で顔を背けた。

 領主の座から引きずり下ろされ、散々無礼を働いた自分に、エステラが声をかけるわけなどない。……と、普通の貴族ならそう考えるし、それが普通なんだろうが。

 

「すみません、分かりにくかったですね。では、改めて、ミスター・アヒム」

 

 ここの領主はエステラだからな。そんな貴族の常識なんか通用しないのだ。

 いい機会だから、貴族の常識ってヤツを誰か教えてやってくれよ。ウチの変わり者領主に。

 

「ボクの口から、あなたに対する多くの無礼な発言があったことをお詫びします」

「そんなっ! それはこちらに原因が――!」

 

 驚いて再びエステラの顔を見たアヒムがはっと息を呑む。

 エステラは、微笑みの領主という名がよく似合う表情を浮かべていた。

 

「……申し訳ありませんでした。私は、ただただあなたが羨ましかった。浅ましくもあなたを妬み、やっかみ、嫉妬していました。……今となってはお恥ずかしい限りです。私のような者が、躍進する四十二区の領主をライバル視するなど、おこがましいにもほどが……」

「そんなことないですよ」

 

 肥大した自尊心を叩き壊された直後は、必要以上に卑屈になってしまいがちだが、アヒムも例に漏れずそうなったようだ。

 今はきっと、自分がウジムシ以下の価値しかないと思えて仕方ないのだろう。

 

 ふ~ん。感性は割と普通なんだな。

 ウィシャートに近付き過ぎて思考回路が毒されてるかと思ったが、まだ手遅れではなかったようだ。

 

「長く一つの区をまとめていたというだけで尊敬に値します。ボクはまだ就任して一年そこそこですから。先輩の背中は眩しく見えるものです」

「ははは、ご冗談を。あなたはその一年で私の数十年を追い抜いていったではありませんか」

「確かに、四十二区は領民たちの協力のおかげで大きく発展しました。でも――」

 

 エステラは、一切の裏もなく、本心からの言葉を語る。

 

 

「その地に住む人々の生活を数十年も守ってきたのは他の誰でもない、あなたです。あなたの培ってきた数十年という歴史は、ボクがこの先数十年かけないと追いつけない偉業ですよ。善し悪しはともかく、継続してきた事実は誇るべきことだと思いますし、ボクは称賛しますよ」

 

 

 ま、確かに破綻させずに数十年間領地運営をしてきたんなら、内容はどうあれ領民を守ってきたことにはなるかもな。

 難民を出していないわけだし。

 

 領地運営は綺麗事だけじゃ済まない時がある。

 こいつは、その綺麗事がちょっと他より少な過ぎただけだ。

 

 パーシーがモリーを守るために闇市に砂糖を横流ししていたのを許せるかどうかってのに似ているな。

 汚れ仕事をしたという汚点は消えない事実として残るが、その先でどう生きるのかが最も重要となる。

 

「あなたという人は……」

 

 アヒムが信じられないものを見るような目でエステラを見つめる。

 

「心配になるくらいに他人に甘過ぎです」

 

 そう言われて、エステラは「えへへ」っと誇らしげに笑った。

 笑ってんじゃねぇよ。「領主に向いてない」って言われてんだっつーの。

 ただし、「四十二区以外の領主には」だけどな。

 

 アヒムはじっくりとエステラの顔を見つめ、そして「ふっ」っと笑った。

 

「とても澄んだ、美しい瞳だ」

「……へ?」

 

 お、口説き始めたか?

 デミリーが頭皮から湯気を発し始めたぞ。

 

「……私も、かつてはそのような目をしていたのだろうか」

「えぇ。していましたよ。兄上」

 

 オルフェンに言われ、疲れ切った笑みを見せたアヒム。

 それは、散々背負い込んだ重たい荷物から解放されたような、素直な笑みに見えた。

 

「今さらかと思われるでしょうが……この場にいるすべての皆様、並びに四十二区の街門と港の建設に携わったすべての者たちへ、心から謝罪致します。申し訳ありませんでした」

 

 アヒムが床に手を突いて謝罪を述べた。

 

 苦笑を浮かべる者、ほっと息を吐く者、いまだ冷ややかな視線を向ける者、それぞれの視線がアヒムに向けられる。

 マーゥルはまだ許していない様子だし、ドニスも今言って今許すというのではない雰囲気だ。「その謝罪を、今後態度で示してみせろ」ってところか。

 

 リカルドとデミリーは厳しい表情ながらも、これ以上アヒムを責めるつもりはないようだ。

 

「いつまでもそのような格好をするものではない」

 

 イベールが声をかけ、アヒムが立ち上がる。

 そして、イベールに向かって頭を下げる。

 

「これまでの非礼、愚かな行為はすべて私の独断によるものです。どうか、我が弟が治める新たな三十一区にもう一度チャンスをいただきたい。弟は私とは違い大した男なのです。幼少のころより物事を広く捉える視野を持ち――」

「よい。今そのような話をされても決断は下せぬ」

 

 必死に訴えるアヒムを、手を振って黙らせるイベール。

 だが、「ふぅ……」っとため息を吐くと視線をオルフェンへと向ける。

 

「見せてもらうとするさ。そなたら兄弟の決意というものをな」

「……っ! ありがとう、ございます!」

 

 イベールの譲歩に、アヒムは深く頭を下げる。

 本当に、オルフェンが出てきてからの数分で、憑き物が落ちたような変貌ぶりだな。

 相当背負ってたもんが重たかったのだろう。

 

 ウィシャートのヤツめ。

 いるだけで有害だな、まったく。

 

「それよりも、新たに生まれ変わる三十区をしっかりと見ていてほしい。私はそちらの方が心配だ」

 

 イベールが俺を見る。

 

「三十区が不埒な者に荒らされるようなことがあれば、今度こそどこかの区が消滅しかねないのでな」

 

 次期三十区領主にはカンパニュラを推すことが内々では決まっている。

 その三十区がウィシャートやバオクリエア、三等級貴族あたりに荒らされたら――まぁ、潰すよね。

 

「もちろんです。兄弟で力を合わせて頑張ります。ですよね、兄上」

「いや、俺は……」

 

 兄弟間では『俺』になるあたり、こいつらは本当に仲のいい兄弟なのかもしれない。

 ウィシャートなら、ルピナスと話す時も分厚い壁を作って敬語でしゃべるだろうからな。

 心を砕く関係性が、この兄弟の間にはまだ残っているのだろう。

 

「僕一人じゃ不安ですよ。兄上が手伝ってくださらないと」

「しかし、俺は……領民にも嫌われているし……」

 

 あ、そこが一番心を抉ったんだ。

 大多数に嫌われるって、きついよねぇ。

 

「大丈夫ですよ。時間をかけて、我々の誠意を見てもらいましょう」

「……あぁ。そうだな」

 

 ケジメのため、オルフェンが領主となりアヒムは当主の座を退く。

 だが、追い出すではなく、今度は領主の補佐として弟を支えていくことになるようだ。

 

 まぁ、うまくやれよ。

 

「では、ミスター・オルフェン、ミスター・アヒム。改めて、四十二区の新しい料理を召し上がりませんか?」

「いや、私は……」

「そう言わずに。ボクの親友が心を込めて握ったものですよ」

 

 辞退しかけたアヒムに席を勧めるエステラ。

 ナタリアは何も言わず、座席を引いて待機する。

 

「……では」

 

 一度ナタリアを見て、遠慮がちに席に座るアヒム。

 

「ミスター・オルフェンも。ついでに、スピロとパメラもどうだい?」

「…………」

「えっと……」

 

 エステラに誘われて、断るべきなのか受けるべきなのか迷っているお付きの二人。

 

「折角のお誘いだ。ありがたくお受けしなさい」

「……はっ」

「りょっ!」

 

 オルフェンに言われ、控えめに頷くスピロと、開いた手をおでこに当てて警察の敬礼みたいなポーズで元気よく返事するパメラ。

 やっぱ確実に『りょっ』って言ってるよな!?

「了解」を略すなよ!

 

 皆が座るのを待って、視線を交わし合うアヒムたち。

 オルフェンに勧められ、アヒムが最初に手を伸ばす。

 

「お箸、もしくは手掴みで、こちらの醤油を付けてお召し上がりください」

「あ、……あぁ。ありがとう」

 

 ナタリアに説明を受け、アヒムがアジのにぎりを手に取る。

 醤油を付けて口へ入れると、アヒムはゆっくりと咀嚼をして、長い長いため息を吐いた

 

「……うまい。本当に美味しい」

 

 味を噛みしめるように発せられた言葉は、それを作った料理人への称賛に他ならなかった。

 

「平民というだけで侮っていた自分が恥ずかしい」

「そうですよ。平民たちこそが、街を発展させる原動力なのですから」

「あぁ、そうだな。……いつの間に、忘れてしまっていたのだろう。そんな大切なことを」

 

 アゴを持ち上げ、アヒムがまぶたを閉じる。

 すぅっと涙が一筋こぼれ落ちていって、アヒムが洟を啜る。

 

「ミスター・アヒム、こちらを」

 

 エステラが自分のハンカチをアヒムに差し出す。

 

「お寿司にはわさびという、ツンとする薬味が入っています。涙が出るくらいに辛いのでお気を付けください」

 

 その涙はわさびのせいにすればいいというエステラの気遣いに、アヒムは相好を崩す。

 

「あなたが好かれる理由が、今はっきりと分かりました」

 

 そう言ったアヒムは、もう一貫寿司を食い、また涙を流した。

 

 

 

 

 

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