「ごめん、くださ~い……」
フロアのあちらこちらでハロウィンの仮装やお菓子について盛り上がっている中、遠慮がちな、ちょっとおどおどした声が紛れ込んできた。
見ると、入り口に幼い姉弟が手を繋いで立っていた。
十歳と五歳……ってところか?
弟の方にはまっすぐな小さな角が生えており、なだらかな面長。
姉弟共に長い耳をしており、目からアゴにかけて黒いラインが入っている。
あの顔、どっかで見覚えが…………あ、ガゼルだ。トムソンガゼル。
そんな、ガゼル人族っぽい姉弟は、フロアにいるオバケメイクのガキどもを見て「ひっ!?」っと声を漏らす。
「あら。トムソン厨房さんのところの」
ジネットがガゼル姉弟に気付いてぱたぱたと駆け寄る。
知り合いらしい。
「あの、陽だまり亭さん……えっと……」
「この子たちは教会の子供たちです。怖がらなくても大丈夫ですよ」
オバケたちをちらちら意識している姉弟に微笑みかけ、目線の高さを合わせてやるジネット。
「どこのガキだ?」
「飲食ギルドに加盟されているトムソン厨房という食事処のお子さんたちですよ。何度かお会いしたことがあります。街の東側にお店があるんですよ。ね?」
ジネットに聞かれて、姉弟はこくこくと小さな首肯を繰り返す。
トムソンってのは創業者であり、この姉弟の父親の名前だそうだ。トムソンガゼルのトムソンか?
なんと分かりやすい。
「ガゼル人族なんだな」
「はい。でも、トムソンさんはヌー人族なんですけれど」
トムソンだけトムソンガゼルじゃなくてヌーなの!?
ややこしいわ!
「ヌー人族とガゼル人族の子供はガゼル人族になるのか?」
「え~っと……獣特徴は両親のうちどちらかを引き継いで現れるので、獣特徴によって何人族かが決まります」
獣特徴は混ざらないらしい。
イヌ人族とシマウマ人族の子供が縞々の犬になるようなことはないのだそうだ。
俺が獣人族と結婚して、その子供にケモ耳が生えていれば、それは獣人族ということになる。まぁ、考えれば普通か。
姉弟で人種が異なることはあっても、ハーフというのは存在しないようだ。
「で、何か用なのか?」
十歳と五歳の姉弟二人で食堂に食いに来るとは考えにくい。
ご近所さんならまだしも、東側に店を構えているなら陽だまり亭からはかなり遠い。おまけにご新規さんだ。
客なら親と一緒に来る。
そうでないということは、何かしらの用事があるのだろう。
「あの……っ!」
姉の方が意を決したように拳を握ってジネットへ視線を向ける。
しゃがんで目線の高さが揃っているジネットをじっと見つめて、ノドの奥に引っかかっているらしい言葉を懸命に吐き出す。
「ドーナツの作り方を教えてくださいっ!」
「ください!」
姉に続いて弟の方も頭を下げた。
その姿からは必死さが感じられた。
「えっと……」
ジネットが困ったような顔でこちらに顔を向ける。
ドーナツのレシピは公開することになっているし、教える分にはなんら問題ない。パウラだって現在練習中だし。
しかし、この幼い姉弟があまりに必死で、少々面食らってしまった。
「レシピは今日のイベントで公開しますし、飲食店関係者にはまた別途作り方をお教えする予定ですよ」
「ホント!? ……よかったぁ」
姉の方が心底ほっとしたような表情を見せる。
「ですが、油を使いますから、親御さんと一緒に来てくださいね」
マグダやロレッタでも油を跳ねさせて危険だったのだ。
ガキだけでは教えられない。きちんと保護者がいないと。
まして、飲食関係者に向けての講習会は『商品』として問題ないレベルの完成度を求めるものだ。ガキのお手伝いレベルでは困ってしまう。
きちんと店の主か料理長、それに準ずる相手に来てもらわないと意味がない。
なのだが……
「……お母さん、忙しいから…………」
姉弟はうな垂れて肩を落とした。
なにやら事情がありそうだ。
「そう、でしたね……」
ジネットもその事情を知っているようで沈痛な表情を見せる。
そして、なんとかこの幼い姉弟の力になれないかと頭を捻っているような素振りを見せる。
「では、お二人には別の機会にドーナツ教室を開きましょうね。わたしが一緒に作りますので、お母さんにそう言っておいてください」
「うん! ありがとうございます!」
「ありがと!」
気丈にあろうと気を張っていたのが丸分かりな姉の表情がほっと和らぐ。
ジネットが小指を差し出すと、嬉しそうに指を絡めて指切りをした。
最後にもう一度頭を下げて、手を振りながら陽だまり亭を出て行くガゼル姉弟。
それを見送っていたジネットが、振っていた手を止めるのを待って尋ねてみる。
「何があったんだ、あそこの家?」
「実は、今年の始めに……」
一度口を閉じて、言葉を探すように視線を泳がせて、気遣わしげに口を開く。
「トムソンさんが事故で……」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
大黒柱を失って、現在は母親が店を切り盛りしているのだろう。
それが、おそらくうまくはいっていないのだ。
だから、あんドーナツを覚えて経営を助けようと……ってところか。
「だが、他の店も一斉にあんドーナツを作るようになれば、思うような利益は見込めないぞ」
「そう……でしょうね」
出来ることなら助けてあげたい。
そんな気持ちが表情ににじみ出している。
けれど、それをするのは俺たちの仕事ではない。
困っている人すべてを救えるワケではないのだから。
ジネットもそこら辺は学習したようで、無節操に救いの手を差し伸べるようなことはしなくなった。
ただ、顔だけは「なんとかしてあげたい」って物語っているけどな。
「特別教室を開くなら、他と差別化が出来るワンポイントを教えてやればいい」
ジネットが沈んだ顔をしているのは陽だまり亭の利益に悪影響を及ぼす。
「他との差別化が成功すれば、ある一定の利益は確保し続けられるだろう」
「はい。そうですね」
だから、これは陽だまり亭の経営のために必要なアドバイスだ。
「……ありがとうございます、ヤシロさん」
だから、そんな礼なんか必要ないんだっての。
「まぁ、自分が一肌脱ぐんやったら、あっこの店もなんとかなるかもしれへんな」
近場の椅子に座って大学芋を摘まんでいたレジーナが俺を見上げて、穏やかな微笑みを湛えて言う。
「一肌脱いで全裸チン的なムフフなサービスで顧客満足度爆上げで――!」
「食紅ありがとうレジーナさっさと帰れ」
日光が苦手な真っ黒薬剤師を日光の下へと放り出す。
なんか日光を浴びてもがき苦しんでいたけど気にせずにドアを閉めた。
ホント。この街一番のモンスターはあいつに間違いないな。
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