「だからな、ドーナツの作り方を公開しようかと思ってな」
「えっ!? 他の飲食店にかい? ケーキみたいに?」
「飲食店にというか、もういっそ思い切って一般に」
「一般公開!?」
エステラが驚いて目を丸くしている。
俺としては飲食店だけでなく、そこらの奥様方でも簡単に作れるようにレシピを公開してやろうと思っている。
「子供好きの婆さんとか多いだろ? 自分の子が独り立ちしてるとガキに何か作ってやる機会ってそうそうないからな。こういうイベントなら近所のガキどもにお菓子を作ってやって、喜ばせてやれるんじゃないかと思ってな」
「どうしたのヤシロ!? なんか発想が物凄くいい人っぽいよ!? レシピの公開なんて、そんな利益の損失になりそうなこと、ヤシロが進んで行うなんて…………ヤシロしっかりして! 死んじゃダメだ!」
「しっかりするのはお前だ、バカたれ」
取り乱すエステラのデコをペコッと叩く。
レシピの公開は陽だまり亭でエステラに匂わせたはずだ。
ルシアがあんドーナツの製法を欲しがっているんじゃないかという話の流れで――
『けど、製法は渡せないでしょ?』
『ん~…………』
『「ん~……」って。え、なに? ドーナツの製法を広めるつもりなの?』
『なんでだよ?』
『だよねぇ。ヤシロがそんな他人に利益をみすみす明け渡すようなマネしないよねぇ』
あの時の『なんでだよ?』は、『なんでそんな驚いた顔してんだよ』って意味だったんだが、エステラには「そんなことするわけないだろう」という意味に聞こえたらしい。
俺的には、あの時からはすでに公開も選択肢の一つに入っていたのだ。
「ドーナツは本当に簡単なんだ。油の扱いに慣れてりゃ、そうそう失敗もしない。な、ノーマ?」
「まぁ、そうさねぇ。マグダたちが作ってるのをチラッと見てたけど、あれならアタシでも作れそうさね」
ノーマは今朝、陽だまり亭の厨房にコの字オーブンの設置をしていた。その隣ではマグダとロレッタが交代でドーナツの練習をしていたので、ノーマの目にも留まっていたのだろう。
「けど、どうして……? 本当にいいのかい?」
「まぁ、一応ジネットの意見を尊重するつもりではいるが」
陽だまり亭の店長はジネットだからな。現在独占状態であるドーナツのレシピを公開すれば売上は落ちるだろう。……以前からある輪っかのドーナツも、ずっと前から作り方教えろってやかましく言われているんだけど、今回誕生したあんドーナツやカレードーナツのレシピ公開はかなり大きな騒ぎになるだろう。
そんな騒動や利益減に繋がることを、俺の独断で進めるわけにはいかない。
「でもまぁ、絶対イヤとは言わないと思うけどな」
「まぁ、ジネットちゃんだからねぇ」
あいつなら、「いろんなお店で独自のドーナツが生まれると、もっと多くの人が喜んでくれますね」とか言うのだろう、どうせ。
そして、遠くない未来、パウラのところでソーセージを包んだドーナツ――アメリカンドッグとかが誕生するのだろう。……あ、無性に食いたくなってきた。パウラに作り方教えて食わせてもらおうかな。ソーセージは向こうの奢りっつうことで。
「あと、マシュマロとか水飴を使った飴細工とか、ハロウィンに向きそうなお菓子をいくつか広めていろんなところで作ってもらう予定なんだ」
「それらもみんなお菓子なのかい?」
「あぁ。見た目と感触が可愛くて、女子とガキどもに人気が出そうな感じのな」
「……それを、陽だまり亭で出すんじゃなくて、レシピを公開するのかい?」
「おう。飲食店の連中に教えて、大量に作らせる。で、余剰分を行商ギルドに買い取らせて、ハロウィン前に市場で売るんだ。そうすりゃ、料理の出来ないヤツでもハロウィンに参加できるだろ?」
お菓子をもらいたいガキどもはもちろん、ガキにお菓子をあげたい大人も少なくない人数いるのだ。
店で買えるなら、料理下手なママさんもババ様も独身のオジサンもお菓子をあげる側で参加できる。
……『ハビエル禁止』の看板を街のあちらこちらに立てる必要が出てくるかもしれないけどな。
「あと、お菓子をくれる家にはお揃いのハロウィンプレートを飾ってもらうことにしたんだ。参加する気のない家にガキどもが押しかけると迷惑になるし、ガキどもがトラブルに巻き込まれると困るから目印は必要だろ」
「ちょ、ちょっと待って!」
俺がアッスントと話していた内容を説明していると、エステラが手を突き出して俺の言葉を止めた。
「いろいろ考えてくれていることは分かったし、詳しくはあとで改めて聞かせてもらうけど、その前に驚きと戸惑いで君の話が頭に入ってこないんだ……」
胸を押さえ、大きく息を吸って、吐いて、戸惑いに揺れる瞳をこちらに向ける。
「なんか、ヤシロがいい人過ぎて怖い……」
「お前は俺にどうなってほしいんだよ?」
悪事を画策すれば全力で止めるくせに。
「おっぱいおっぱい言って騒いでいてくれると、呆れるけれど安心する」
「エステラ……それはもう完全に毒されているさね……その考えは改めるさよ」
「エステラって、要所要所で残念ちゃんだよねぇ~☆」
顔を見合わせて肩をすくめるノーマとマーシャ。
お前らも、特にノーマは人のこと言えないと思う。
「だって、ヤシロが自分の利益を犠牲にして子供たちや街の人のことを考えるなんて……精霊神様が嘘吐き大会を開催するくらいにあり得ないじゃないか!」
「そうだな。エステラがCカップのブラジャー売り場をうろうろするくらいあり得ないな」
「うるさいよ! ……あぁ、くそ! こんなアホなやりとりでちょっとほっとしてる自分が憎い!」
この娘はもう末期なんじゃないだろうか。
ま、俺のせいじゃないけど。絶対。
「勘違いするな、エステラ。そうした方が俺にとって利益があるだけだ」
「利益……? ドーナツの独占販売をふいにする損失を上回る利益が見込めるのかい?」
「あぁ。むしろ、先々のことを考えると不可欠な判断だと思ってる」
あんドーナツやカレードーナツが他の店でも売られるようになれば、陽だまり亭に買いに来る客はグッと減るだろう。今でさえ職場や家から遠いからと、買ってすぐに持って帰る客が多いのだ。近所の店で買えるならそっちに足が向かうのは容易に想像できる。むしろそれが当たり前だ。
でも。
それでも。
俺はレシピを公開したいと思っている。
それが、何よりの利益を俺にもたらせると確信できるから。
「まぁ、あれだ。経済は回っていた方がいいってこった。ウチだけでなんちゃってパンを独占してると、教会からの監視が厳しくなるかもしれないし、怪しいことはみんなでやった方が責任の所在が有耶無耶になるしな」
赤信号みんなで渡れば怖くない――ではないが、街全体であんドーナツを売っていれば、教会も狙いを絞ってクレームを入れにくいだろう。
「もしかしたら、お菓子を作るための店が出来るかもしれないぞ。飲食店として販売するんじゃなくて、作るだけ作って行商ギルドに卸して利益を得るような店がな」
そうなれば、一般家庭にもっとお菓子が広がっていくだろう。
そんな話をすると、アッスントは今回の企画に全面協力すると約束してくれた。
お菓子や飾り、ハロウィンプレートの準備と流通を請け負ってくれた。
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