「いいかガキども。食う時は自分の箸、網に載せる時は口を付けない箸かトングで肉を掴むんだぞ」
焼肉にも最低限のマナーは存在する。
口を付けた箸で肉を掴むと不衛生ってこともあるが、生肉を触った箸を直接口へ入れるのは避けた方がいい。食中毒は怖いからな。
その辺は、今後焼肉をする者すべてに周知していきたいところだ。
「ひ、火が、出たら…………こ、怖い……」
トングを握りしめて顔を真っ青にする姉の隣で、弟が同じく青い顔でこくこく頷いている。
「だからトングなんだろうが。そんだけ離れてりゃ危なくねぇよ」
「あ……そっか」
トングの長さを見て納得した姉。
おそるおそる肉を掴んで、金網へと載せる。
載せたそばから肉が焼けていく。
「ほら、オックスもやってごらん」
「う、うん……」
オックスと呼ばれた弟も、おそるおそる姉のマネをして肉を金網に載せる。
……ガゼル人族なのにオックス(牛)って。
「そうそう、そこに、そっとね……はい、よく出来ました」
「あはっ、できた」
オックスが姉を見上げてにっこりと笑う。
姉は嬉しそうにオックスの頭を撫でてやっている。
とかなんとかしている間に、どんどん焼けていく姉の肉。
「焦げるぞ」
「へ? ぅぁああああ!? ど、どど、どうしよう! お母さん、お肉が! 私のお肉がぁ!」
「だ、だだだ、大丈夫よ、落ち着いて! こういう時はひっくり返せば――ファイアァァアアアー!?」
慌てて肉をひっくり返した瞬間に七輪から業火が立ち上った。
髪を逆立てて悲鳴を上げるレーラ。
オックスが慌ててニンジンスライスやキャベツを網の上に手掴みで放り込む。
火が収まった時、ガゼル親子は三人で身を寄せしっかりと抱き合っていた。
心臓の鼓動に比例して大きく見開かれる瞳。
それがふと歪み、次の瞬間に弾けるように笑い声が湧き上がってくる。
「あははは! 怖ぁ~い!」
「怖かったねぇ~!」
「そ、そうね。ちょっとね、でも……うふふ…………ちょっと楽しいわね」
心臓を押さえ、炎の熱を浴びた頬を撫で、前髪が焦げてないかと戯けて確認して、親子三人が笑い合う。
そんな光景を静かに見守る。
同じテーブルに座るモーガンも、口を引き結んで親子を見つめている。
なんだよ、モーガン? ちょっと泣きそうなのか?
家族同然に可愛がっていた男の最愛の家族。ずっと苦しんで行き詰まっていた家族が、今再びこうして笑い合っている姿に、うるっときちゃったのか? ん?
「レーラ、カウ、オックス」
モーガンが順番に親子の名を呼ぶ。
そして、ざりっとアゴ髭を撫でて、親子に顔をずいっと近付ける。
「どーしてくれる!? オレの肉が野菜に埋もれちまったじゃねぇーか!」
怒鳴ったぁー!?
えぇええ!?
なんでキレてんの、この人!?
「折角いい感じに育ててたのによぉ!」
肉を焼くことを『育てる』って言うな!
――って、いうか、勢いに押されてスルーしかけたけど、姉ガゼルの名前カウっていうのか?
こっちも牛じゃねぇか!
なに? 父親の職業にちなんだ名前にしたの? しちゃったの!?
ややこしいことこの上ないんですけども!
そういや家族で唯一トムソンガゼルじゃないヌー人族がトムソンって名前だったんだっけな、この家!
何この一家!? ややこしい!
「ほら、野菜退けろ! 肉が焼けねぇ!」
「ご、ごめん、モーガンおじさん」
「大人げないよ、ミスター・オルソン。子供のしたことじゃないか。目くじらを立てるのはやめたまえ」
「うっせぇ、領主の出る幕じゃねぇんだよ! オレは牛飼いだ! 肉には妥協をしねぇ!」
……の、割には肉の販路拡大が滞っていたようだが?
分厚く切ってかぶりつく以外の食い方の研究も疎かになっていたようだが?
目に付いたところだけに凝ったところで「妥協しない」ってことにはならないんじゃねぇのか? ん?
「カウ、オックス。こっち来い。ちょっとテーブルが狭くなるが、テレサと一緒に食えばいい」
「は、はい。あの、よろしく、お願い……します」
「します!」
俺が席を空け、カウの座っていた椅子を一脚持ってくる。
「ジネット、野菜をそっちで焼いてやってくれ」
「はい。ヤシロさんはどちらで召し上がりますか?」
「俺は別に食わなくていいよ。ここでこいつらに食い方を教えてやる」
陽だまり亭でそこそこ食ってきたしな。
俺が指導に回ると聞き、ジネットも俺に追随するようだ。
まぁ、ジネットは今間食を控えなきゃいけない時だしな。
「とりあえず、レーラもドンドン肉を焼いて焼肉を体験してみてくれ」
「は、はい……モーガンさん、お邪魔します」
「おう。だが、こっからこっちはオレの陣地だ。入るんじゃねぇぞ」
陣地って……
なんて器の小さい初老だ。
「カウさん、オックスさん。野菜は熱を加えると甘みが増しますから、こうやって焼いてあげるとすごく美味しくなるんですよ。こちらのタレに絡めて食べてみてください」
焼いたキャベツを甘口のタレにつけて手渡すジネット。
オックスが一瞬眉根を寄せた。あ、こいつ野菜嫌いだな? 肉ばっか食っているタイプか。
まぁ、いいから食ってみろ。
しゃくっと音を立ててオックスが焼きキャベツを齧る。
「…………ぁ、まぁ~い」
「ホント、オックス?」
「うん! すごく甘い! お姉ちゃんも食べてみなよ!」
「死んでも、イ・ヤ」
姉の方が筋金入りの野菜嫌いだった!?
「よぉし、バルバラ。俺がカウを押さえつけるから無理やり口にキャベツを押し込んでやれ」
「おう!」
「ちょっと待ってください! 食べます! 自分で食べますから!」
俺の本気度を肌で感じたのか、カウから泣きが入った。
俺の前で好き嫌いは許さん。
「うぅ……私、虫じゃないのに……」
虫じゃなくても野菜を食うわ。
「ぅ~…………あ~…………む……………………あまぃ……甘い!」
勢いに乗ってタレ皿の中のキャベツを一気食いするカウ。
口の周りにタレがべちゃべちゃついている。
「おい、子供たち! トウモロコシ食ってみろ。とーちゃんのじゃないけど、トウモロコシは美味いぞ」
「うん! ……トウモロコシって、どれ?」
野菜の山を見て首をかしげるオックスを見てバルバラが笑う。
「なんだよ、知らないのか? しょーがねぇな。アーシが焼いてやるからちょっと待ってろ」
「うん! ありがとう、お姉ちゃん!」
「おっ! アーシはお前の姉ちゃんか! いいぞ、姉ちゃんって呼んでも! お前も呼んでいいからな!」
オックスにお姉ちゃんと呼ばれて上機嫌のバルバラ。カウにも姉呼びを強要する。が、カウはちょっと引いている。
呼べと言われてすぐ呼べないよな。
「エビも美味しいんだよ~☆ よ~し、マーシャお姉ちゃんが焼いてあげよ~☆」
どこに対抗意識を燃やしたのか、面白がっているだけなのか、マーシャが水槽から車エビを引っ張り出してきて網の上に載せる。
すげぇ、贅沢。
こいつは海産物を広めたいだけなんだろうな。
もしかしたら、お姉ちゃんって呼んでほしいのかもしれないけれど。
俺たちのテーブルで野菜が、ジネットたちのテーブルで海産物が焼かれている間、レーラとモーガンはひたすら肉を焼いていた。
「コレもいい! が、まだ上があるはずだ! 今度はタレとの相性も考慮してみるか……」
「結構簡単ね……けど、本当にこれで美味しいのかしら……私は美味しいと思うけど……けど、でも…………」
肉の焼き加減と味の比較を延々と繰り返している。
そうやって研究するとどんどんハマっていくんだよな、焼肉って。
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