異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

268話 『見よ、これがトルベック工務店の技術だ』 -2-

公開日時: 2021年6月2日(水) 20:01
文字数:3,695

「粋な計らいだな、エステラにしては」

「鼻の下を伸ばしながら言われても、嬉しくないよ」

 

 水着姿のエステラが俺の目の前を通り過ぎていく。

 いやぁ、相変わらず脚が綺麗だ。

 

「よっ、脚線美!」

「う、うるさい!」

「全体的にスレンダー」

「……うるさいよ」

 

 おぉい、待て待て待て!

 ナイフは体を洗うタオル以上に浴槽に持ち込んではいけない物だ。

 

 というわけで、俺たちは今、四十二区に新たに誕生した『西の湯』に来ている。

 その大浴場なのだが……

 

 ひろーい!

 あぁ~、今さら「打たせ湯も作っとけばよかった!」とか思ってる! くそぅ!

 

「みんな、今回は試運転を兼ねた検査のための特例だからね。明日以降は、水着の着用も、異性と一緒に入るのも禁止だからね」

 

 この場にいる「銭湯の試運転調査隊」の面々に釘を刺すエステラ。

 この場にいるのは、この銭湯を作るのに尽力してくれた者たち。

 つまり、大工と木こりと金物ギルドと川漁ギルド、その辺の者たちだ。

 

 湯を張る前に男湯女湯共に中を見せてもらったが、やっぱり湯を張ると雰囲気が変わる。

 湯気に包まれた温かい空間。

 そして、湯の匂い。

 反響する声。

 ビバ銭湯!

 ビバ大浴場!

 

 ビバ、女湯!

 

 そう!

 俺たちは今、『女湯』に入っているのだ!

 水着とはいえ、美女たちと一緒に!

 

 

「生きててよかったー!」

「そういうことばっかり言ってると摘まみ出すよ?」

「ごめんなさい、静かにしています!」

「ヤシロが素直に謝罪を!?」

「そんなに女湯にいたいんかぃね?」

「必死過ぎです、お兄ちゃん……」

「……ヤシロだから仕方ない」

「ぶくぶくぶくぶく……」

「おぉーい、ウーマロが沈んでるぞ! 引っ張り上げろ、ベッコ!」

「心得たでござる!」

 

 女湯にいるという状況がウーマロの緊張感の針を振り切らせたらしく、見ていて心配になるくらいに緊張しまくっている。

 大丈夫だって。みんな水着なんだし。まだ誰も使ってないお風呂なんだし。

 

 大工や金物ギルドの乙女たち、川漁ギルドのオッサンに木こりの連中は男湯の方へ入って『試運転の調査』を行っている。

 調査という名の、先に入れる権の行使だ。

 今頃、デッカい風呂で疲れを根こそぎ落としていることだろう。

 向こうは水着着用不可。

 ほら、最初に水着を着けて入ると、この次裸で入る時に恥ずかしいとか感じるヤツが出るかもしれないだろ? なので、向こうは水着不可なのだ。

 

 ……こっちも水着不可にしてもいいのに。

 

「ヤシロ、出るかい?」

「オレ、ナニモ、シャベッテ、ナイ」

 

 俺が何かをしでかさないようにと、エステラがぴたりと俺に張りついている。

 どうせ張りつくなら密着してくれればいいものを。

 

「本当は、ヤシロやウーマロも男湯に入ってもらうべきなんだけれど、ちょっと事情があってね」

 

 銭湯の前、街道の上で泣き出してしまったウーマロは、一度『NTA』こと、『何かやる時にとりあえず集まる場所』に避難させた。

 だが、結構溜め込んでいたようで、なかなか復活しなかったのだ。

 こりゃあ、今日は無理かなぁ、この後銭湯の試運転もあるし……なんて思っていたところへ、エステラが「じゃあ、お風呂に入りながら話を聞こう」ととんでもない案を持ち込んできたのだ。

 

 いろいろとルールをねじ曲げて、今回だけの特例としてこのような状況になったわけだ。

 そんなわけで、試運転調査隊に参加しているのはよく見知った顔だらけになっている。

 陽だまり亭の面々に、エステラとナタリア、イメルダにデリアにノーマ。

 そして、泣いたウーマロを目撃していて非常に心配していたベルティーナ。

 

 ベルティーナとお風呂……っ!

 

 たぶんこの先一生あり得ないであろうラッキータイム!

 生きててよかったっ!

 

「ヤシロ。これはあくまでウーマロのための措置だからね?」

「……分かってるって。いい子にしてま~す」

 

 こんな千載一遇の好機、途中で退場になどなって堪るか!

 俺は今日、健全に生きる!

 

 で、ウーマロの緊張を和らげるための要員としてベッコとオメロもこっちに入っている。

 ん? オメロ?

 デリアが怖いからって湯遊風呂で半身浴してるぞ。

 オモチャを洗ってたよ、さっき。

 

「それと……」

 

 そそっと身を寄せ、声が響かないように気を付けてエステラが耳打ちしてくる。

 

「ジネットちゃんのこともあるし、ね」

 

 俺のうっかりで、ジネットとは壁越しに入浴している。

 それが、なんとも恥ずかしいようで、たまに恥ずかしさがぶり返してきては悶えていたのだ。

 もう、忘れてくれればいいのに。

 

 で、こういう機会に『みんなで一緒に』という経験をさせれば、『自分だけ』『他の人はしていないようなことを』なんて感情は消えてくれるだろう。

 川遊びだってやったんだ。

 川から風呂へ場所が変わり、浸かるのが水から湯になっただけだ。

 

 ちょっとした緊張感はありつつも、そこまで恥ずかしがっている者はいない。

 ……もっとも、ここで恥ずかしがると余計に照れが増してしまうとみんなが理解しているから、かもしれないけどな。

 

 時折、ジネットと視線が合うと恥ずかしそうに顔を逸らされる。

 今日以降、あの照れが消えてくれるとありがたいんだが。

 

「エステラ様、ヤシロ様との混浴が嬉しいのはお察ししますが、いささか近付き過ぎです」

「ふなっ!? う、嬉しくなんか、別にっ! そ、そういうんじゃないから! ちょっとした密談だよ!」

「イチャついているようにしか見えませんでしたが? ねぇ、シスター」

「そうですね。もう少しだけ離れましょうか、お二人とも」

 

 風呂場という場所での肌の触れ合いは、やっぱりちょっと……ということらしい。

 

 俺、川で何人か背中に乗せて泳いだんだけど?

 肌の触れ合い、川でならいいのかよ。

 

「あ、でも、責めるつもりはありませんよ。でも、エステラさんの立場的にはもう少し配慮した方がよいと思いまして」

「ご配慮、ありがとうございます、シスター。以後気を付けます」

「あぁよかった。怒られないんだ」

「ふふ。ヤシロさんが鼻の下を伸ばさなければ、ですけどね」

「うわ~、めっちゃ怒る気じゃん。怒り続ける気じゃん」

「君は、どんだけ鼻の下を伸ばすつもりなのさ……」

 

 これだけ温かければ、鼻の下だって熱膨張するさ。

 大目に見てほしいものだな。

 

「それで、落ち着いたか、ウーマロ?」

「う、えぇ、まぁ……はぁ……」

「なんさね、はっきりおしな!」

「う、うっさいッスよ! ちょっと、こっち見んなッス!」

「……なんでアタシにまで緊張してんさね、あんたは……ったく」

 

 いや、黒ビキニを着たノーマだったら、誰だって緊張するっつーの。

 しかも濡れてしっとり、温かくてほっこり、薄桃色に染まる胸元がなんともセクシーで……ビュッフェだったら食べ尽くしているところだ。

 

「……ウーマロ」

「マグダたん……」

「……水着のマグダも?」

「マジ天使ッス!」

 

 元気じゃねぇか。

 いつも通りだよ、お前は。

 

「……無理はしなくていい。けれど、ヤシロもみんなも、ウーマロのことを心配している」

「……マグダたん」

「……ウーマロを信じて、そっとしておこうとしていた。きっとみんなも」

 

 そうだな。

 ウーマロの違和感には、多くの者が気付いていただろう。

 ただ、ここまで追い詰められているってことには気が付けなかったから――「アイツならきっと大丈夫だろう」って信頼があったから、踏み込むことはしなかった。

 

 けれど、それは考えが浅かった。

 ウーマロだって人間なんだ。どんなに優れた技術を持っていようと、ちょっとしたことで心が傷付きぽっきり折れてしまうことだってある、ただの人間なんだ。

 

 俺に過度の期待を寄せてくるこの街の人間に常々思っていることを、俺もウーマロにしてしまっていたのだ。

 

 

『そんな期待すんな』

 

 

 なんでもかんでもやってのける。

 あいつなら間違いない。

 そんな決めつけを、心のどこかでしてしまっていた。

 

「……けれど、もう見てしまったから、『聞かない』は出来ない」

 

 あのウーマロを見て、「自分でなんとかするだろう」とは思えない。

 それは、きっとみんな同じだ。

 

「……ウーマロはいつもマグダを見守り、支え、助けてくれている」

「マグ……ダ、たん」

「……マグダはウーマロが心配。……マグダに、ウーマロを救わせて」

 

 ちゃぷんと、水音が鳴った。

 そんな小さな音が鮮明に聞こえるほど、辺りは静寂に包まれていた。

 息を飲み、誰もが言葉を発さずにウーマロに注視している。

 

「……ぐすっ」

 

 ウーマロが洟を啜り、そして破顔して――

 

「ありがとうッス。実はもう、結構限界だったんッス」

 

 ――大粒の涙を流した。

 顔が笑っているのに勝手に零れ落ちていく涙は、心が限界を迎えている証拠だ。

 

「みっともない話なんッスけど、聞いてくれるッスか?」

 

 こちらに向けられた笑顔が弱々しくて、俺たちは誰も返事を出来なかった。

 今ウーマロにかけるべきなのは、「おう、聞いてやる」でも「話してくれ」でもないような気がした。

 

 沈黙する俺たちを代表して、マグダは静かに言う。

 

「……モチのロン」

 

 …………うん。

 一応、この場にいる全員の気持ちは代弁できているよ。

 けどな?

 

 もうちょっと何かあったろ、口にする言葉!?

 

「やはは。ありがとうッス、マグダたん」

 

 真正面でマグダの顔を見ていたウーマロには、何かが伝わったようで、笑顔から苦痛が少しだけ消えていた。

 

 

 

 

 

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