ドアの向こうには、リベカとバーサ。そして、二人を呼びに行っていたナタリアが立っていた。
当初、ドニスと同じタイミングで呼びに行く予定ではあったのだが、一気に来られて対応が分散しては困ると、あえて時間をずらしたのだ。
なにせ、リベカは特別な思いで今日を迎えているだろうからな。
「目が真っ赤だぞ」
「う、ウサギ人族なのじゃから、目が赤いのは当然なのじゃ!」
俺に背を向け、目をこしこしこする。
余計赤くなるぞ。
完全なる寝不足の目だ。
もしかしたら、ちょっと泣いたのかもしれない。
ま、六年ぶりだからな。緊張もしてるだろう。
「エステラ」
「ん? あぁ、なるほどね。はいはい」
アゴでリベカを指すと、エステラはそれだけで察してくれた。
「リベカさん。ちょっといいかな」
「な、なんじゃ?」
「久しぶりに会うんだから、可愛くしていきましょうね」
「む、……ぅむ」
リベカの前にしゃがみ、エステラが髪を梳かす。
腐っても領主。身だしなみを整えるための道具は常に持ち歩いているようだ。
小さなクシと、気持ち程度の化粧道具が出てくる。と言っても、唇に差す紅と、頬に載せるチークのようなもの程度だが。
エステラも、こんなの使ってんだなぁ。
領主モードの時は化粧とかしてるみたいだけど。
……じぃ。
「ぅわっ!? な、なにさ? なんでボクの顔を覗き込むんだい?」
「いや。今日は化粧してないのかなぁ~って」
「そ、そんなにはしてないよ」
「じゃあ、ちょっとだけしてるんだな」
「う、うるさいな! いいだろう、別に。嗜みだよ」
俺を乱暴に押しやって、リベカの頬にチークを載せる。
エステラの頬にも、同じような紅色が浮かんでいた。
「……マグダはすっぴんでも十分可愛い」
「あぁ、そうだな。マグダはもう少し大人になってからだな」
「……むぅ。マグダはもう大人。少なくとも、そこの小さいのよりは」
「なっ、何を言うのじゃ、ちみっ子! わしはもう十二分に大人なのじゃ!」
いや、ちみっ子って……お前の方が小さいだろうが。
「はい、出来たよ」
「む……うむ。ありがと、なのじゃ」
メイクを終え、リベカが恥ずかしそうにこちらを向く。
「ど、どうじゃ、我が騎士よ……その……可愛い、のじゃ?」
ま、そんなナチュラルメイクにも届かない気持ち程度の化粧じゃ、正直さほど変わりはしないが。
「あぁ、可愛くなった。見違えたぞ」
「んふふー! 当然なのじゃ」
これくらいのお世辞は、嘘とは呼ばないだろう。
「……エステラ。『宴』での売り子はキレイにしておくことこそが重要だと考える」
「なんで対抗意識燃やしてるのさ、マグダ……」
「……今なら、ロレッタを出し抜ける」
「ぷっ! ……そこなんだ。うんうん。ロレッタなら面白い反応をしてくれそうだね」
ツボにでも入ったのか、エステラが腹を抱えて笑いをこらえている。
まぁ、容易に想像できるけどな、ロレッタの反応。そして、その期待を裏切らないのがロレッタというヤツだ。
「分かったよ。じゃあ、ちょっとこっち来て」
「……うむ。…………ヤシロは、まだ見ちゃダメ」
「へいへい」
体の向きを強引に変えられる。
こちらを見るなと釘を刺された俺は、そっちを見ないようにしつつ、リベカに声をかける。
「緊張してるか?」
「う……む……まぁ、多少はの」
ガッチガチに緊張してやがる。
そんなに嬉しいのかと思っていたのだが……どうも違うらしい。
「……嫌われていたら、嫌じゃな……って」
会いに来ても、会ってもらえなかった時間は、リベカにそんな思考を植えつけるのに十分過ぎる長さだった。
嫌われている。避けられていると、思っていたのだろう。
「そんなことねぇよ」と、言ってやろうとしたのだが……
「あ……っ!」
リベカの耳がぴくりと動いた。
ピンと伸び、教会の方へと向いている。
あぁ、そうか。聞こえたか。
おそらく、さっきのリベカの声を聞いて思わず漏らしたんだろう。
「そんなことない」って。
言いそうだな、ソフィーなら。
「ちゃんと聞こえたか?」
「うむ…………懐かしい、声…………だったのじゃ」
リベカの涙腺が緩む。
が、そこは必死にこらえたようだ。涙はあふれ出さなかった。
そうか。
ソフィーは声も出していなかったのか。リベカが相手じゃ、どんな囁きも聞こえちまうからな。
「じゃ、この後腐るほど聞いてこい」
「腐るのは困るのじゃ。わしは麹を作るしか取り柄がないからの」
と、耳を撫でる。
麹工場を守る。それが、リベカが出来た唯一のこと。
家族をつなぎ止めておくために出来た唯一のこと。
「そうだな。その耳がなけりゃ『囁き王子』の声も聞こえないしな」
「ふなっ!? な、なな、なにを言い出すのじゃ、我が騎士よ!? わ、わしは、別に、そんなことはゎゎわ!」
テンパるなテンパるな。
少しは元気が出ただろ、これで。
「ヤシロ様」
これまでずっと大人しく見守っていたバーサが静かな声で言う。
「会いたかった……ぽっ」
「もうちょいまともなことは言えなかったものか」
いやぁ~、昼間っから寒いなぁ、今日は。
「ご指定の物、きっちりご用意いたしてございます」
バーサの後ろには、鏡開きで使いそうな酒樽が置かれていた。
バーサに頼んだもの。甘酒だ。
きっちり作ってきてくれたらしい。
「ありがとうな、バーサ。あとで味見させてくれ」
「こ、こんな昼間から…………ぽっ」
「お前じゃねぇよ! 甘酒の!」
「ご試食、どうぞ……」
と、唇を突き出してくるバーサの前にリベカを掲げる。
リベカバリアーだ!
「のわぁあ!? 怖い! えぐいのじゃバーサ! その顔は強烈なのじゃ! 夢に出るのじゃ!」
リベカバリアーのおかげで、バーサが正気を取り戻す。
……怖ぇ。
さっさと『宴』を成功させて、一秒でも早く四十二区へ帰ろう。そうしよう。
「ほい、マグダ。出来たよ」
エステラが立ち上がり、満足げな顔でマグダを見下ろしている。
ちょうどエステラが壁になって、マグダの顔が見えない。
そんな壁(エステラ)の向こうから、マグダがひょっこりと顔を覗かせる。
「…………どう?」
薄く紅を差し、頬がいつもよりも明るく色付いている。
心なしか、瞳も微かに潤んでいるように見える。
これは驚きだ。まさか、こんなに変わるとは。
「マグダ史上、トップクラスの可愛さだな」
これは素直にそう思った。
「…………むふ。……そう」
くすぐったそうに体をよじって、さっとエステラ(壁)の向こうへ身を隠す。
照れているっぽいな、どうも。
「化粧うまいんだな、エステラ(壁)」
「その(壁)が非常に気になるんだけど?」
「気にすんなよ、壁」
「名前の方が消えちゃったよ!?」
見事壁役を成し遂げたエステラを称賛したつもりだったのだが、お気に召さなかったようだ。
難しい年頃なんだな、きっと。
「じゃ、準備はいいか?」
緊張しまくりのリベカに問いかける。
ゴクリと唾を飲み込んで、リベカはゆっくりと頷く。
「お先に行ってください。私はこの酒樽を持っていきますので」
バーサが酒樽の横で頭を下げる。
いや、っていうか、持てるのか?
「ご安心を。私も一応、ウサギ人族ですので」
「そうなのか?」
「はい。獣特徴は……人様にお見せできない場所にしか出ておりませんが……」
じゃあもう、「出てない」でいいんじゃないだろうか。というか、「出てない」と言ってほしかった。心底。
「……特別な方になら、……お見せしても…………チラ」
「じゃあ、俺たちは先に行くとしよう。マグダ、悪いがバーサを手伝ってやってくれ」
「……獣特徴を、見せてこないと約束するなら」
この上もなく明確な拒否だ。
マグダでも、やっぱキツいらしい。
そんなわけで、俺とエステラはリベカを連れて林へと入った。
ソフィーの待つ、教会の庭を目指して歩を進める。
……なんでかな。俺まで緊張してきた。
隣に目をやると、エステラもかなり緊張した面持ちで歩いていた。
言葉もなく、心持ち早足で、俺たちは林を抜けた。
そして――
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