「で、イメルダは?」
モリーやジネットのメイクと、ルシアの着替えを手伝ってくれていたイメルダがまだフロアに姿を見せていない。
「あぁ、そうだったッス」
ぽんと手を打って、ウーマロが巨大な木の枠をフロアへと運び込んでくる。
高さが1.5メートルほどもある巨大な木の枠は、表面に複雑な意匠が施されていて、豪華な絵画の額のように見えた。
それを立て、その額の中央に豪華な椅子を置く。
なんだこれはと眺めていると、厨房から貴婦人が現れて、粛々とその豪華な椅子に腰掛けた。
足を少し斜めに揃えて柔らかく微笑む。
それは、イメルダの家で見た、イメルダの母親の肖像画そっくりな姿だった。
「お母様の仮装ですわ」
「この額と椅子もセットで持ち運ぶ気かよ?」
「そっくりだと思いませんこと?」
「そりゃ似てて当然だろう母娘なんだから」
イメルダは、いつもの派手な髪を少し抑え目にセットして、落ち着いた雰囲気のメイクをしている。
衣装も、イメルダが好みそうな華美なものではなく、淑女が好みそうな、少し大人っぽい落ち着いたものになっている。
イメルダがもう少し大人になれば、こんな風な美人になるんだろうなと思わせる、そんな仮装だ。……仮装か?
というか、よくよく考えたら、イメルダがこのまま年齢を重ねてもこんな風に落ち着いた美女にはならないな。絶対。イメルダの場合はもっとどこか抜けている感じになるはずだ。
環境って大切だよなぁ、うん。
「ウーマロさん、額と椅子の運搬を……」
「絶対いやッス!」
こんなデカくて嵩張って無駄に重いものを持って街を練り歩くのは、さすがのウーマロも勘弁してほしいだろう。
イメルダ。お前単品で我慢しろ。
その場合、『いつもより落ち着いた出で立ちのイメルダ』にしかならないが。
ハロウィンに故人の仮装ってのもどうかと思うが……ギルベルタも楽しそうだし、悪意がないから何も言うまい。
四十二区流のハロウィンにしてしまえばいいのだ。こっちには、ハロウィンの大元になった宗教も存在しないんだしな。
なんにせよ、イメルダの仮装は地味なものになるだろうな、――とか思っていると。
「お~い、ヤシロ! 美味い酒を飲みに来たぞー!」
「気が早ぇよ、ハビエル。酒は夜からだ」
「待ち遠しいな。アンブローズも、昼過ぎには見に来るらしいから、接待を頼むぞ」
「オッサン二人で勝手に飲んでろ」
ハビエルがにこにこ顔で入ってきた。
ホント、ヒマでいいよな、木こりは。……もっとも、四十二区支部の連中は、街の飾りのために死に物狂いで木材の準備に奔走していたんだけどな。
トップが遊び呆けてるって、組織としてどうなんだろうなぁ、おい?
「ん? おいおい。いくら今日が子供たちのお祭りだからってよぉ」
そんなハビエルが、室内にある額を見つけて苦笑をもらす。
「ウチのヤツの絵なんか用意しなくても、ワシは羽目を外したりせんぞ」
「まったく信用できない言葉ではあるが……俺が用意したんじゃねぇよ」
「じゃあイメルダか? まったく、困った娘だ。等身大の絵画なんか用意して……」
「これくらいしなければ羽目を外すお父様の方が、よっぽど困りものですわ」
「うぎゃぁぁあああああ、しゃべったぁぁあああ!?」
この日一番の絶叫が轟いた。
「ワタクシですわ、お父様」
「い、いぃ、イメルダかっ!?」
「トリック・オア・トリートですわ」
「せ、選択の余地もなく、イタズラしたじゃないかっ! し、心臓が止まるかと思ったぞ!」
誰も怖がらないかと思われた仮装が、とある特定の人物に最大級の恐怖を与えた。
やましいことがあると、こういう因果を生むんだな。覚えておこう。
「い、いかん……心臓が痛い……ワシ、ちょっと大通りで軽く一杯引っかけてくるから、ヤシロ、イメルダを頼むな。いろいろな意味で、ホンット頼むな!」
あの顔でイタズラされるのは本気で堪らないらしい。
暴走しないように手綱を握っておけということらしいが……俺にあんま期待すんなよ。
「じゃあね、テレサたん。また後で~」
「ばぃばぃ、ぉいたん!」
「あはぁ! 可愛い!」
「早く行かれてはいかがですの、『あ・な・た』?」
「やめて、その呼び方!?」
泣きながらハビエルが飛び出していき、陽だまり亭には倦怠感だけが残された。
「オイラ、結婚してもあぁはならないッス」
ウーマロの呟きに、静かな共感を覚えた。
まぁ、『あぁ』なる人種は限られているけどな。
「んじゃあ、そろそろ行くか!」
なんだかんだと騒がしかったが、一同の準備が整ったところで、俺たちは陽だまり亭を出る。
すると、俺たちが出てくるのを待っていたかのように、店の前で待ち構えていたオバケの集団と遭遇した。
「「「「トリック・オア・トリートー!」」」」
「お菓子をくれないと、イタズラしちゃいますよ、ジネット。ヤシロさん」
ベルティーナ率いる教会のガキどもだ。
寮母のオバサンたちが頑張ったようで、初めて見るオバケが何体も混ざっていた。
ベルティーナは仮装していないのかと思いきや、以前の牙を生やしていた。気に入ったらしい。
「ベルティーナの仮装が地味だ……」
「私は引率者ですから」
「けどお菓子はもらうんだろ?」
「くれないとイタズラしますよ?」
にこにこと、美味しいとこ取りのベルティーナ。
こんな日くらい、ビキニ姿ではっちゃけたっていいのに……
「一応、付属品もあるんですよ?」と、ベルティーナが取り出したのは、雲のような形をした水色の紙が先端に取り付けられた棒。
何をするものかと思えば――不意にその水色の雲っぽいものが俺の尻に押し当てられた。
「ヤシロさん、お漏らしさんですね」
と、くすくす笑われた。
あの水色の雲は濡れていることを表すマークらしい。
ベルティーナが語っていた、寝ている時に布団を濡らすオバケの仮装。の、つもりだろう。
なるほど、ガキどもがいつもよりベルティーナから距離を空けているわけだ。
アレを尻に当てられるだけでお漏らし小僧のレッテルが貼られてしまう。ガキにしてみれば、尊厳を守るために必死なのだろう。
「ちょっとその棒貸してくれない?」
「ヤシロさんには、ダメです」
べーっと、小さく舌を出された。
ブーブークッションのこともあり、警戒されているようだ。
お漏らしシスターにしてやりたかったのに。
「は~い、オバケのみなさ~ん、お菓子ですよ~」
いつも以上に嬉しそうに、お菓子をガキどもに配っていくジネット。
手にしたカゴにはぎゅうぎゅうにお菓子が詰め込まれている。
中身は、過度なくらいビビッドに着色したマシュマロだ。
「わぁ! すごーい!」
「オバケのおかしー!」
カラフルなお菓子はガキどもの興味を惹く。
それは、どこの世界でも似たようなものらしい。
「ジネット。これは全部、味が違うのですか?」
「はい。それぞれ違う味付けになっていますよ」
「私は、何度イタズラをすればいいのでしょうか?」
「食べ過ぎには注意してくださいね」
「はい」
母親が娘を困らせている。
苦笑しながらも色違いのマシュマロを手渡している。ガキどもに見つからないようにこっそりと。
ガキどもは、あんま食うと飯が食えなくなるからな。……ベルティーナの場合は、そんなことあり得ないけども。
「はちみつですね」と、嬉しそうにマシュマロを頬張るベルティーナと一緒に、ガキを引き連れて大通りへ向かう。
大広場に集まって、それぞれの仮装を見せ合い、巨大な列を成して街中を練り歩くのだ。
西から東へめぐるチームと、東から西へめぐるチームに分かれて、オバケの行進は一日中続く。
大通りから始まり、東側をぐるっと回って、昼飯時に休憩を挟んで、今度は西側へ。
もう片方のチームはその逆を。
そして、大通りで再び集結して大広場へと戻ってくる。
その頃には、ガキどもが抱えたお菓子袋はパンパンに膨らんでいることだろう。
オバケの行進が終われば、小さなガキは歩き疲れて眠り、大人たちによる夜中のオバケパーティーが開催される。
領主他、有志の寄付に支えられた盛大な打ち上げパーティーだ。
激安な参加料で飲み放題食い放題だ。じゃんじゃん経済を回せ。
「それでは、私は子供たちと回りますので、またあとでお会いしましょうね」
「はい、シスター。道中お気を付けて」
ガキどもと俺たちでは歩調が違い過ぎる。
ベルティーナはガキに合わせて短いコースを歩くようだ。
ジネットは、多くの場所を回れないベルティーナのために、お菓子をたくさん集めると息巻いている。
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