「みんな、準備は出来ているね」
完全武装したエステラが陽だまり亭へやって来る。
明るい色あいの華やかなドレスは、まるで花が恥じらうようにふわりと風に揺れ、エステラを美しく魅せる。
余裕すら感じさせるお得意の微笑みには、周りの者の視線を引き寄せる魔力でも宿っているかのようだ。
マーゥルやルシアが全力を発揮して仕上げたジネットやマグダたちと並んでも遜色ないどころか、女性らしさで言えば頭一つ抜きん出ている感すらある。
これが、場数を踏んだ者の纏うオーラか。
エステラは、確実に領主としてレベルアップしている。
「見事なもんだな」
「……またパットの話かい? 今回のは高いんだから自然に見えて当然だろう?」
誰もそんな話はしてねぇっての。
あと、全然自然じゃないから。そんなもんで騙されるのはおっぱい検定三級までだから。
つか、誰に作らせてるんだよ?
まさか、ウクリネスが忙しくしてた理由ってお前じゃないだろうな?
「そういう服を着せると、やっぱり似合うなって話だよ」
「え? そうかな? 普通じゃない?」
いやいや。
悔しいかな、お前の姿が目に入った時三秒ほど見惚れてしまったからな。
「そんだけ美人に仕上がってりゃ、他区の領主にも舐められることはないだろうよ」
「ぅぇえ!? な、なに、ヤシロ? ボクが準備している間に変な物でも食べた?」
「俺がお前を褒めるのは、そんなに変かよ」
「だって、……いつもは胸が、パットがってからかうしさ……」
それはお前、お前が必要以上に胸に固執するから「イジってくださいね」ってフリに見えるんだよ。
「まぁ、アレだな。イジリ倒してやろうと思ったんだが、今日は完成度が高過ぎたんだな。冗談の前に称賛が出ちまっただけだ」
「ぅ……………………ぁ、あり、がと……ね」
堂々とした風格はどこへやら、急にもじもじし始め少女の顔を覗かせるエステラ。
胸を張ってろよ。折角詰めてきたのに。
「あんまり俯くとズレるぞ」
「うるさいよ。……あぁ、もう。これでちょっと落ち着いちゃう自分が恨めしいよ」
まだ若干硬い笑顔を浮かべて、俺の腕をペしりと叩く。
すまし顔を作ろうとしているのだろうが、口元が緩んでいるせいで盛大に失敗している。
「……もう。これから大舞台に立たなきゃいけないのに。ワザとじゃないだろうね?」
顔がにやけるのを俺のせいだと糾弾して睨んでくる。
そんな分かりやすい照れ隠しが、華やかな衣装とのギャップで妙に可愛く見える。
「今日のエステラさん、なんか可愛いです!?」
「……さすが、本日の主役」
「エステラさんは、いつも可愛いですよ」
「あぅ、あの、や、やめてよ、みんな……もぅ!」
ジネットたちにも言われてわたわた取り乱すエステラ。
うん。領主モードが解除されるとポンコツなんだよなぁ、こいつ。
こんなにすぐ『領主の鎧』を剥がされるようでは、まだまだ安心は出来ないな。
もう少し、近くで見守っててやらなきゃ……
いつかとんでもない大失態をやらかして迷惑かけられそうだからな!
俺が!
それ、俺が困るから!
だからまぁ、しかたなくな。
もうしばらくの間だけは。
まったく、やれやれだぜ、エステラは。
「エステラ様。そろそろ式場の方へ」
すっと静かにナタリアが現れる。
こいつはいつもどおりのメイド服だ。
「ナタリアは着飾らないのか?」
「給仕は影に徹するものですから」
忘れがちだが、ナタリアはエステラを支える立場の人間で、決して前に出てくる立場ではないのだ。
式典のような場所で、給仕長が着飾って参加者と並んでいたりすれば、「クレアモナ家はどうなっているんだ?」とエステラが笑われてしまう。
ナタリアは、エステラを輝かせるために存在している。それが、給仕長としての正しい姿なのだ。
「身内だけのパーティーの際は、精一杯オシャレをさせていただきます」
そう言って微笑んだ顔は、今日という日にめかし込めないことを嘆いている風でも寂しがっている風でもなく、むしろエステラの影に徹することを喜んでいるようですらあった。
「私が本気を出すと、主役であるエステラ様を食っちゃいますので」
「負けないけども!?」
「素材の時点で圧勝なもので、申し訳ございません」
「早く準備してくれるかい!?」
「もう出来てますぅ~」
「子供か、君は!?」
「誰がロリ巨乳ですか!?」
「言ってない!」
いつもの主従漫才をしながら、エステラが準備された馬車に乗り込む。
この貧相な馬車の馬は、エステラの家のものだな。
馬車を新しくするくらいの金なら十分にあるはずだ。
だがエステラは馬車を新しくしない。
馬が貧相過ぎて、馬車を大きくしてしまうと曳けなくなるからだ。
……馬もいいのを買えばいいのに。
ハビエルに言えばいい馬を安く譲ってくれるだろうに。
「いい加減、ヒンソウナイチチ号以外の馬も飼えよ」
「そんな名前じゃないよ!? この子はボクが幼い時から一緒に育ってきた――」
と、なんだか由緒あるらしい長ったらしい名前の説明を始めるが、興味がないので耳に入ってこない。
もしかして、エステラの胸が育たないのって、やせ細ったこの馬の呪いも何割か入ってんじゃねぇの?
一通り俺に苦言を呈してから、エステラは式場へ向けて出発した。
かっぽれかっぽれと、頼りない蹄の音をさせて馬車が遠ざかっていく。
ナタリアは同乗せず、歩いて式場へ向かうそうだ。
あの馬、最近では御者を入れて三人以上乗ると途中で歩くのをやめてしまうらしい。
買い換えろ!
いや、マジで!
「ウチの領主は見栄を張るってことを知らないのかねぇ」
「それだけ、他人に寄り添っているということなんだと思いますよ。エステラさんは、ご自身で幸せを独占するより、みんなで分け合いたいと考える優しい人ですから」
「人としては正しいんだろうが、貴族としては落第だな」
「領民に愛されてこその領主様だと思いますよ」
「……まぁ、あいつほど領民に愛されてる領主は他にいないだろうけどな」
「はい。自慢の領主様です。よね?」
俺に同意を求めるな。
エステラは好かれてはいるが、尊敬はされていないからな。
威厳って部分ではまるでダメダメ領主なのだが……ま、それがエステラらしいっちゃらしいか。
「今日は他所の貴族が何人か来るからな。エステラに変な虫が付かないように気を付けておかないとな」
「では、ヤシロさんがしっかりと守ってあげてくださいね」
「……俺が悪い虫の筆頭だとは思わないのか?」
「ヤシロさんは、エステラさんが悲しむようなことはされませんから」
どこから来る自信なんだか。
「ま、今日のおっぱいはニセモノだしな。突っつくなら本物の日を狙うから、今日は安全だな」
「もぅ。ダメですよ、そんな素敵な格好をされている時にそんなことを言っては」
じゃあ普段着の時なら言いたい放題か?
「まぁ、式典の最中は気を付けて見ててやるよ」
「はい。それなら安心ですね」
「その代わり――」
危険なのは、エステラだけじゃない。
「悪い虫が近付いてきたら、すぐに俺を呼べよ」
今日は、虫が好みそうな花が多いからな。
「わたしなんて、そんな……けど、はい。いざという時は、ヤシロさんのところまで走って逃げますね」
そう言ってこちらに向けられた瞳は、信頼してくれているのがはっきりと分かる色合いをしていて、……俺が悪い虫になりかけたっつーの。
「マグダとロレッタも、分かってるな?」
「はいです!」
「……安心していい」
社交界デビュー前のお姫様風な二人も、自信に満ちた表情で同意を示す。
「お兄ちゃんに悪い虫が付きそうになったら、あたしたちが追い払いに行ってあげるです!」
「……悪・即・斬」
「流血沙汰はやめろな?」
「……メドラママがそれを是とするならば」
「…………うん。マグダ。メドラより先に動いてくれると非常に助かる」
「……任せて」
「スピードなら、あたしだって負けないです!」
メドラに?
あはは。ナイスジョーク。
ロレッタ。お前は人間だ。
メドラとは違う。違うし、同じにならないでくれ。
「デリアはもう少しかかるかな?」
「あたし、見てくるですか?」
「……待って。降りてきた模様」
マグダが耳を動かして音を拾う。
程なくして、大きなリボンを頭に着けたプリンセスデリアがフロアへ姿を現した。
「きゃ~☆ デリアちゃん、か~わ~い~い~!」
「なっ!? ばかっ、そ、そんなこと……ねぇよ」
真っ赤な顔をして、デリアがちらっと俺を見る。
目が合うと「ぁう……」と音を漏らして固まる。
しかし、これは驚いた。
大きなリボンが目を惹くせいか、近付かなければデリアの大きさを感じない。
なんなら小柄な女の子に見えるくらいだ。
……まぁ、近付くとデカいんだけども。
「今日はとびっきりキュートだな、デリア」
「きゅっ……きゅーと、か、あたい? 本当にか?」
「あぁ。可愛いぞ」
「デリアさん! 悔しいですけれど、今日ばかりは凄まじく可愛いです! 守ってあげたくなるです!」
「……今日のマグダはエレガント部門なので、キュート部門はデリアに譲る」
「ホ、ホントか、みんな!? からかってないか!?」
「本当に可愛いですよ、デリアさん。お姫様みたいです」
わたわたしていたデリアだが、ジネットにお姫様と言われて顔を真っ赤に染める。
そして、自分のバースデーケーキを見た少女のようににや~っと嬉しそうに笑う。
「えへへ……嬉しいなぁ、嬉しいなぁ」
子供の頃に、こういうことを経験せずに大人になったんだろうな。
強さと責任感ばかりを求められ、それに応えてきたデリアだが、これからはデリアがしたいと思ったこともさせてやりたいものだ。
いろいろなことを経験するのに、大人も子供もないからな。
「どうだ! 会心の出来であろう!」
「ほんと、可愛いわぁ、デリアさん」
ルシアとマーゥルが共に給仕長を伴って姿を現す。
二人とも、全力のドレスアップをしている。
ルシアは当然ながら、……くっ、マーゥルまで綺麗に見える。
年齢は重ねているが、マーゥルは基本的に美人なのだ。本気を出されると太刀打ちできなくなるくらいに化けやがる。
見様見真似ではどうしようもないほどの気品を身に纏い、完璧な淑女に変身しやがる。
あぁ、悔しい。
悔しいから面と向かってはっきり言ってやる。
「マーゥル。あんまり綺麗になり過ぎるな。ちょっと悔しいのと、とある一本毛の暴走が恐ろしい」
「まぁっ、ヤシぴっぴからそんなこと言ってもらえるなんて、思ってなかったわ」
「きゃ~」なんて女学生のように手を叩いてはしゃいで、給仕長のシンディと手を取り合ってぴょんぴょん跳ねる。
……うん。そういう反応が二昔ほど前の世代を感じさせるんだよな。
「私には何か言うことがないのか、カタクチイワシよ?」
「日頃のクレームか? それなら腐るほどあるが……」
あぁ、もう。
その余裕の笑みが癪に障るな。
こっちが認めちまってることを見透かしてるって顔だろ、それ。
はいはい。
「完璧過ぎてムカつくから感想は言ってやらん」
「貴様にしては素直な称賛ではないか。貴様が貴族でないのが不思議なくらいの口の巧さだ」
歯が浮くようなセリフじゃなかったろうに。
「じゃ、俺らもそろそろ会場に向かうか」
そうして、俺は華やかに着飾った美女たちを引き連れて、美しく整備された街道を街門目指して歩いていった。
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