異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

282話 ゴミはゴミ箱へ -3-

公開日時: 2021年7月20日(火) 20:01
文字数:3,768

 ひんやりと、湿った空気が漂う階段を下りていく。

 沈殿した泥が水中を舞うように、重い空気が舞い上がり揺らめくのが分かる。

 陰鬱な冷たい空気が濃くなるにつれ、俺の心は逆に熱を帯び始める。

 頭は酷く冷静な反面、胸の奥は爆発しそうなほど熱が滾っている。

 

 二重の扉を潜り抜け、見覚えのある地下の牢獄へと踏み込む。

 牢屋からは見えない位置にデスクがあり、そこで一度息を吐く。

 

「エステラはここにいろ」

「……うん」

 

 この先は、俺一人の方がいい。

 いろいろとやりやすい。

 

 視線が動けば心が動く。

 視線を向ける対象が多くなれば、その分人は集中力を失う。

 気持ちが分散してしまう。

 

 ヤツは絶対に逃がさない。

 視線も、心も、感情も。

 俺の前から、一歩たりとも逃がしはしない。

 

 焼き鳥の入った弁当箱と、直方体のゴミ箱を抱えて足を踏み出す。

 

 かつて、ヤップロックのトウモロコシ畑を荒らして捕まったバルバラが収容されていた牢屋。

 

 今はその場所に、一度だけ見たことがある男が捕らえられている。

 エステラから事前に聞かされていた通り、腰と首にベルトを付けられ、壁に繋がれた状態で。

 

「よぉ。いい様だな」

 

 繋がれた男に声をかける。

 着工式の途中で、マーシャの水槽に猛毒を入れようとしやがったクソ野郎に。

 マグダとメドラに怪我をさせやがった、クサレ畜生に。

 

「なぁ、おい! 頼む、助けてくれよ!」

 

 俺を見るや、クソ野郎はジャラジャラと重い鎖の音を鳴り響かせて身を乗り出した。

 腰と首が壁に繋がれているせいでろくに歩き回ることも出来ないようだが、それでも精一杯体を前に出し、少しでも俺に近付こうともがいている。

 

 ……そうか。あいつが移動できるのはアレが限界か。

 

「知ってることは全部しゃべったろ!? 名前も知らねぇ、会ったこともねぇヤツに金を渡されてよ! それで、あんなことをやっちまったんだ。しょうがなかったんだ! 金がなくてまともに生きていくことも出来ない……俺だって被害者なんだよ!」

 

 ガシャガシャとやかましく鳴る鎖のせいで、男の声はまったく耳に入ってこない。

 まぁ気にすることはない。どうせ大したことは言ってない。

 

「あそこまで危険な薬だなんて知らなかったんだ! マジだって! 水槽に入れたら、ほんのちょっと痺れて、あの人魚が泣いちまう程度の、そんな薬だって聞かされてたんだ! 本当だ! 『精霊の審判』をかけてくれたっていい!」

 

 そう、入れ知恵されたのだろう。

 おそらく、『これは水槽に入れるとちょっと痺れて人魚が泣く薬だ』と言われ、仮に捕まれば『そう言われた』と言えと教わったのだ。

 もちろん、そう言われたからといって、それをバカ正直に信じるようなタマじゃない。

 それが危険な毒物だと理解した上で、こいつはマーシャを襲った。

 まぁ、『あそこまで危険な薬だ』とまでは思わなかったのかもしれないが。

 少なからず、マーシャに酷い被害が出る危険物だという認識はあったわけだ。

 その被害が、マーシャが泣いちゃう程度なのか、再起不能に陥る程度のものなのか、どのレベルだと認識していたのかは知らないが……そんなもんは関係ない。

 

 マーシャに危害を加えようとした時点でこいつの罪は重大だ。

 被害の大小は関係ねぇ。

 知っていたかどうかも関係ない。

 

 このクソ野郎は、マーシャを害しようという意思を持って襲い掛かり、結果としてマグダとメドラに怪我を負わせたのだ。

 

 それのどこに情状酌量の余地があるというのだ。

 俺には到底見つけられない。

 存在しないものを探してやるほど、俺はヒマ人でもお人好しでもないんでな。

 

「もう二度とあんなことはしねぇって! 心を入れ替える! これからは真面目に働くよ! あ、そうだ! あの人魚に謝らせてくれねぇか!? 会って直接謝りたいんだ! 反省してるって伝えてさ、頭下げてさ、心から謝らせてくれよ!」

 

 テメェの頭を下げたところで、それになんの価値がある?

 地面にめり込ませようと、それがなんだというんだ。

 謝るのはマーシャだけなのか? 怪我をしたマグダやメドラには悪いという気持ちすら持っていないのか。

 マーシャが狙われたことで心を痛めたエステラには?

 あの事件のせいでピリついた空気になって不安を抱えちまってるジネットやロレッタには?

 

 そもそも、『あの人魚』なんて言ってるテメェが、本気で反省してるなんてどこの誰が信じるってんだよ。

 

 言いたいことは腐るほどある。

 ぺらぺらとよく回るあのふざけた口が二度と開かなくなるくらいに心をズタボロに引き裂いてやりたくなる。

 握った拳は硬過ぎて、鉄でも打ち砕けそうなほどだ。

 

 この拳を、ヤツの頭蓋骨が陥没するまで無造作に振り下ろし続けることが出来れば、多少は気が晴れるだろうか……いや、それをしたところで虚しさが残るだけだろう。

 それに、血の付いた手で料理を作るわけにはいかない。不衛生だしな。

 

 ジネットを無駄に心配させる必要もない。

 

 ……ふぅ。

 少しだけ落ち着いた。

 一瞬脳裏に浮かんだだけで気分を落ち着かせるとか、あいつは菩薩か釈迦か?

 

 あいつみたいなヤツがいてくれたら、日本でも違った未来があったのかもな。

 

 さて、と。

 少し考えに耽っている間に、牢屋に繋がれた男はしゃべるのをやめていたようだ。

 何も言わない俺を見上げ唇を引き結んでいる。

 

 何を泣きそうな顔してんだよ?

 泣き落としが通用するとでも思っていたか?

 泣き落としなんざ、最も成功率が低い駆け引きの一つだろうが。

 

 俺は何も言わず、大人しくなった男を見下ろす。

 男は視線を逃がさない。

 今このチャンスを逃せば、自分は罪から逃れられないと理解しているのだ。

 もうそろそろ、ここに捕らえられて丸二日になる。

 飯くらいは用意されていたのだろうが、首と腰を鎖で壁に繋がれ行動範囲は極めて狭い。

 動ける範囲は1メートルもないか。

 立って用を足すくらいは出来る。その程度の距離だ。

 寝相が悪ければ首が締まって眠れたものじゃないだろう。

 

 男の顔には憔悴の色が見える。

 

 だが、それがなんだ?

 

 こいつをこのまま放置してやれば、手を下すことなく始末できるのだろうが、それはあのお人好し領主がさせないだろう。

 この男は気が付いていないのだろうな。

 このままここで大人しくしていることこそが、最も軽い罰で済まされる方法だということに。

 まさか、あんなにお人好しで甘ちゃんな貴族がいるなんて、想像だにしていないだろうしな。

 

 貴族に引き渡されれば最期。

 そんな焦りが、この男の脳内を埋め尽くしているのだろう。

 普段着の俺は、どう見ても貴族には見えないか。だからこそ、必死に丸め込もうと躍起になっているのだろうが。

 

「腹、減ってないか?」

 

 俺は男に語りかける。

 静かな声で。

 感情を載せていない、平坦な声で。

 

「え……あ、いや……」

 

 想像していなかった言葉に、男は戸惑いを見せる。

 

「美味いものを持ってきたんだ。食わないか?」

 

 そう言って、俺は弁当箱の蓋を開け、美味そうに照り輝く焼き鳥を見せる。

 

「食わないか?」

 

 男がごくりとノドを鳴らす。

 牢屋に入れられた罪人に、美味い飯など出るわけもない。

 最低限の水と硬い黒パン。それが精々だ。

 こんな美味そうな匂いを立ち昇らせる肉料理はたまらないだろう。

 ろくなもの、食ってなかっただろうしな。

 

「遠慮すんなよ。ほら」

 

 弁当箱から焼き鳥を一本取り出し、牢屋の中へと突き入れる。

 鉄格子を越えて、腕を牢の中へと入れる。

 

 男が口を半開きにして腕をそろりと持ち上げかけて……首を振った。

 

「いいや! 騙されねぇぜ! その肉に毒でも入ってるんだろ? そんな手に引っ掛かるもんか!」

 

 よだれが垂れかけた口でそう叫び、持ち上がりかけていた腕を組んで顔を背ける。

 あぁそうかい。

 

 俺は腕を引っ込めて手に持った焼き鳥を豪快にかっ喰らう。

 かぶりついて串を引き抜き、一口ですべての鶏肉を口の中へと収めた。

 噛めば噛むほど甘い肉汁がじゅわりと溢れ出てきて、最高に美味い。

 

「あぁ、美味ぇ! もったいねぇな。折角の差し入れなのによ」

 

 食わないならそれでもいい。

 お前の目の前で全部平らげてやる。

 二本目を喰らい尽くし、三本目を手に取ったところで、男が動いた。

 

「待て!」

 

 口の端に付いた焼き鳥のタレを舌で舐めとり、こちらをガン見している男へ視線を向ける。

 

「なんだ?」

「や、やっぱり、食わせてもらおうかな……へへ、腹、減ってんだ」

 

 卑屈な笑みを浮かべ、生唾を飲み込む男。

 視線はもはや、焼き鳥に釘付けだ。

 

 俺は、平らげた二本の焼き鳥の串を、持参したゴミ箱へと捨てる。

 指に付いたタレを舐めとり、カギを使って牢を開ける。

 繋がれた男は、鉄格子のそばまですら来られないからな。

 

 男の目の前にゴミ箱を置き、男が腕を伸ばしても手が届かないギリギリの場所へ立つ。

 

「残さず食うこと。ゴミはゴミ箱へ捨てること。食い終わったら俺の実験に協力すること。それを約束するなら食わせてやる」

「じ、実験……だと?」

「なぁに、大したことじゃねぇよ。死にゃしない。俺は武器も持っていないし、筋肉もお前に比べりゃひょろひょろだ」

 

 男は、俺の全身を油断なく観察してくる。

 

「実験に使うのはこのゴミ箱だ」

 

 直方体のゴミ箱をポンっと叩き、安心させるように微笑みかける。

 

「大丈夫だ。すぐに終わる」

「そ、そうか? じゃ、じゃあ……約束、するぜ」

 

 承諾を得られたので、俺は弁当箱を男へと渡してやった。

 残った焼き鳥はあと三本。

 せいぜい味わって食えよ。

 

 実験が失敗したら、もう二度と食えなくなるんだからよ。

 

 

 

 

 

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