朝。
爽やかな朝。
「ねぇ聞いてよぉ、昨日の夜ナタリアがさぁ……」
「すまんエステラ、朝から胃が重くなるような話はやめてくれないか?」
オバケコンペが終わり、盛大な打ち上げという名の大宴会がつつがなく終了した翌日。本日。早朝。
エステラが日も昇る前から陽だまり亭へと避難してきていた。
「館がカニ臭くて……」
しくしくと泣きながら訴えてくる。
「帰らない」とわがままを抜かしたルシアは、イメルダからの猛烈な拒絶に遭いエステラの館へ宿泊した。
しかも、ルシアが気に入ってしまったらしいノーマを拉致して『二次会in領主の館in四十二区(『in』多いわ!)』を開催したらしい。
面倒な二大絡み上戸にナタリアを加えての地獄絵図。……想像するのはやめておこう。人間の闇の部分を覗き込むようなマネは愚か者のすることだ。
「悔しいからマーシャをイメルダに押しつけたけどね!」
日付が変わり、夜空がうっすらと白み始める頃まで続いた大宴会ではカニが大活躍したようで、館中にカニの匂いが充満してしまったらしい。
そんな惨状の中、給仕たちが何をしていたかって?
エステラとナタリアの許可を得てどんちゃん騒ぎに参加していたらしい。
「だって、ここ最近イベントが続いたのにみんな文句一つ言わずに真面目に仕事に取り組んでくれてたからさ、折角こういう機会だし、今日くらいいいかなって許可を出したんだけど…………みんな、不満溜まってたのかな?」
主が震え上がるほどの大盛り上がりだったらしい。
今朝、こいつが陽だまり亭にやって来て最初の一言が、「ボク、給仕たちをもっと労ろうと思う」だった。
やっぱ疲れてたんだよ、給仕も。完璧を求められ続けているわけだし、息抜きでちょっと抜き過ぎちゃったんだよ、きっと。
「ハロウィンでは、給仕のみんなに休暇を出して祭りに参加してもらおうかな」
「そんな怯えるほど酷かったのか?」
「いや、そうじゃなくて…………まぁ、酷かったか酷くなかったかで言えば酷過ぎたんだけども……」
館の主、苦笑いである。
「普段、滅多に声も発さないような大人しい娘がだよ? パンツ一丁で廊下を全力疾走して『目に留まらぬ速さで走ればセーフ!』っていう捨て身のギャグをね……」
「ごめん待って。もう一回言うけど、朝から胃が重くなる話はやめてくれないか?」
ストレスだな。
日頃、発散されないストレスが蓄積されてしまっていたんだ。
ハロウィンか。ちょうどいいんじゃないかな、違う自分になって大いに羽目を外させてやれば。うん。
「ハロウィンの日は陽だまり亭に入り浸る予定だから、給仕たちに休暇をあげても問題ないんだけどさ。一泊してもいいし」
「勝手に決めんな、こら。手伝わせるぞ」
「手伝いはするさ、ジネットちゃんの」
俺を手伝う気はないって宣言か。
はっはっはっ、わざわざ宣言する必要はあったのかな? ん?
「そうじゃなくてさ。いつも給仕たちには裏方をやらせちゃってるから、たまには参加者にしてあげたいなって。彼女たちも、四十二区の一員だからね」
領民はみんな幸せでいてほしい。
そんな願いを恥ずかしげもなく抱き続けている領主の、少々無謀な、けれどエステラらしい取り計らいだ。
休みの翌日には、一日空けた仕事の穴埋めがどっと本人たちに襲いかかってくることになるのだろうが……ま、リフレッシュした直後ならきっとどんな多忙も乗り切るだろう。
「おはようございます、エステラさん」
「あ。おはよう、ジネットちゃん。…………と、モリー?」
「おはよう、ございます」
ジネットの背に隠れるようにして、モリーがぺこりと頭を下げる。
「え? 帰らなかったのかい?」
「それが……」
口籠もるモリーに代わり、俺がモリー残留の理由を教えてやる。
「強化合宿だ」
「うぅ……」
「あぁ……、あの衣装のための?」
「……はい」
昨日発表した、おへそ丸出しドレスを着るため、着られるバディになるため、モリーはもうしばらく陽だまり亭に残ることになった。
……砂糖を増産するんじゃなかったのかよ? ハロウィンまでの間に、確実に注文増えるぞ。
「今朝は、根菜のサラダと鶏ガラのスープです」
「量が少なく見えますけれど、根菜は硬いのでよく噛むから、しっかりと食べた満足感が味わえる、そんなメニューなんですよね!」
「はい! しっかり食べて、キレイに痩せましょう!」
「あぁ……、ジネットちゃんも必死なんだね」
「はぅう……だって、あんな衣装だなんて……聞いてませんでしたし……」
モリー同様、ジネットも本日からプロポーション作りに精を出すのだそうだ。
前回、あんドーナツパーティを欠席してベルティーナとガキどもに心配をかけてしまったため、教会への寄付にはきちんと同行する。が、食べるメニューは最初から決めておき、それ以外を口にしない。そして、ベルティーナやガキどもには正直に理由話して理解を得るつもりなのだそうだ。
うん。ダイエットは隠さないことが成功の鍵かもしれないな。
周りが協力してくれれば誘惑も減るだろうし。
なにより、『アノ衣装』を着ることになると言えば、多くの者は無条件で応援してくれるだろう。可愛らしい衣装からお腹が「たぷんっ」と出ている姿を想像すると、いたたまれない気持ちになるからな。
「んじゃあ、牛飼いのところには俺とエステラだけで行くか」
「え? わたしもご一緒したいです」
新しい食材を探しに行くということで、ジネットは乗り気だったようだが……たぶん、何かしら食うぞ、向こうで。
「街の東側へ行くなら、トムソン厨房さんの様子も伺いに行きたいと思っていましたから」
あのガゼル姉弟か……
ドーナツで優位性を得ようと思えば、ハロウィンまでの間に頭一つ抜け出しておいた方がいいだろう。それで早く会いに行ってやりたいと思っているのか。
でもなジネット。
そのパターン、絶対あんドーナツ食うことになるぞ?
「あの……お邪魔でなければ、わたしも、是非……」
「邪魔じゃないけど……」
「いいじゃないか、ヤシロ。ジネットちゃんも一緒に行こう」
「……間食が増えても文句言うなよ?」
「はい! 今日はお口まつり縫いです!」
痛い痛い痛い!
お口チャックみたいな使い方してるけど、まつり縫いは痛い!
いや、俺がやり出したことなんだけどさ。
「間食が増えるんですか…………私は、陽だまり亭のお手伝いをしています!」
誘惑に惨敗続きのモリーは居残りを申し出た。
賢明な判断だ。
「ジネットちゃんが出かけるとなると、またマグダとロレッタに留守番をお願いすることになるね」
「どうせ今日はほとんど客が来ねぇよ」
「そうなのかい?」
「はい。おそらくですけど、みなさんお家でドーナツの練習をされるでしょうから」
「あぁ~、なるほどね」
だから、今日は別に店を休みにしてもいいと思うんだが……
「私が店長さんとヤシロさんの留守を守ります!」
モリーが居残るためにも店は開けておかなけりゃな。
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