「ところで、ギルベルタ」
「なんだろうか、おにぃちゃんのヤシロ?」
「……やめてくれるか、割とマジで」
こいつはなんでもかんでも吸収し過ぎる。高野豆腐か、お前は。
「馬車はどこに停めてるんだ?」
「馬車?」
「帰りの時間もあるだろうし、暗くなる前に馬車に向かった方がいいんじゃないのか?」
ここに来てから、ギルベルタは一度も「帰る」と言い出さなかった。
しかし、あまり遅くなるのはマズいだろう。そろそろ日も傾き始める頃だ。
今から馬車を使えば夜には三十五区に着くだろう。
「ないぞ、馬車は」
「…………ん?」
「歩いてきた、今日は」
「徒歩っ!?」
「少しだけ走った、本当は」
「いや、そんなとこはどうでもいいんだよ! え、なに? お前、歩いて帰るの?」
「その予定でいる、私は。というより、手立てがない、それ以外に、私には」
……今から徒歩で三十五区へ帰る………………あぁ、無理だ。真夜中どころか、最悪夜が明ける可能性もある。
「ちなみにだが……メチャクチャ早く走れるとか……?」
「馬車以上にか? あはは、面白いな、友達のヤシロは」
あはは。こっちは全然笑えねぇ~。
「じゃあ、なにか? お前は、今日……泊まるつもりでいるのか?」
「まさか。そこまで迷惑はかけられない、この店には。大丈夫だ、私なら。少し嗜みもある、武術には」
いや……それはそうなんだろうけどさ……
夜中に一人で帰すってのがどうもなぁ……ほら、ギルベルタってちょっと小柄だし。背丈だけで言えば砂糖工場の最高責任者モリーくらいしかないんだよな。
……え? モリーが最高責任者だろ?
「……ヤシロがまた、お兄ちゃん属性を発揮している」
「お兄ちゃんは、お兄ちゃんをやらずにはいられない性分なんです。あたしはよく知ってるです」
「ロレッタまで混ざって何言ってやがんだ。俺にはそんな性分も属性もねぇよ」
ただ、その……ほんのちょっと気になるだけだっつの。
「しょうがねぇな。俺が送っていってやるよ」
「え!? ……平気なのかい、ヤシロ?」
エステラが難色を含んだ顔で俺を覗き込んでくる。
「四十二区を出たら、道は真っ暗だよ? それに、帰りは一人になるわけだけど……?」
「…………」
容易に想像がつく。
不可能だ。
とっても頼もしい誰かが一緒にいてくれないと、俺、泣いちゃう。
マグダ…………は、確実に途中で寝てしまうな。
エステラとナタリアを連れて行くのは……さすがにマズいか。
デリアに頼んで…………関係ないヤツを巻き込むのもなぁ……
「あの、ヤシロさん。ギルベルタさんさえよろしければ、お泊まりしていただいてはいかがでしょうか?」
固まる俺を見兼ねたのか、ジネットがそんな提案を口にする。
『お泊まり』というワードに、ギルベルタの顔が分かりやすく明るくなる。……が。
「それは無理だな」
「ボクもそう思うよ、ジネットちゃん」
それは現実的ではない。
「ギルベルタは三十五区の領主、ルシアお気に入りの給仕長で、しかも今日は無断でここまで来てしまっているんだぞ。無暗に引き留めることは出来ない」
つか、さっさと送り返さないと後々ルシアが怒り狂いそうで怖い。
俺に一切の非がなくとも、完全無欠に俺のせいにされる気がする。いやきっとそうなる。
なんとか今日中に送り返さなければ……
「友達のヤシロ……」
どうやってギルベルタを送り返そうかと、こっちの世界にバイク便とかないのかと、なんだったらそういうサービスを始めりゃ一財産築けんじゃね? と、そんなことを考えていると、当のギルベルタが真面目な表情で俺の名を呼んだ。
「いざとなったら…………やる」
小さな手をキュッと握り、ギルベルタは俺の目をまっすぐ見つめて呟く。
「……ルシア様を」
「滅多なことを口にするんじゃねぇよ!」
さっきの「やる」って、『殺虫剤』の『さっ』って書くんじゃないよね!? 違うよね!?
それらが全部まとめて俺に降りかかってくるんだから、発言には気を付けろよ、マジで!
つか、こいつの『友達は何より大切に』って信念は少し危険だな……少しだけ手を加えておくか……
「ギルベルタ。俺はお前の友達で、お前は友達を何より大切にしてくれてるんだよな?」
「そうしているつもり、私は」
「だったら、お前の母親よりも、俺の言うことを聞いてくれるよな?」
「無論と思う、私は」
「んじゃあ、『友達は、領主の次に大切に』してくれ」
「領主……ルシア様の次に……?」
「そうだ」
これで、職務を忠実にこなしつつ、こちらと友好関係を保ってくれることだろう。
「だが、それでは……」
自分の人差し指を唇に這わせ、少し考え込む素振りを見せる。
そして、眉根を寄せて、深刻そうな顔でこちらを見つめる。
「血祭りに上げることになる、友達のヤシロを、私は、一両日中に」
「……うん。たぶん、ルシアはそういう命令下しそうだけどさ……そこはほら、なんとか融通利かせてさ……」
「ゆーずー?」
「いや、その言葉は知ってるだろ? つか、知っててくれ。今覚えろ」
『強制翻訳魔法』が翻訳できない言葉ではないはずだ。
『融通』と『ぱいおつ』が同列なわけがない。
「では、こういうことにしてみてはいかがですか?」
ぽんと手を打って、ジネットが満面の笑みを浮かべる。
妙案があります、って顔をしているが……まぁ、ジネットなら「みなさんを同じくらい大切にするというのはどうでしょうか?」とか言うのだろう。
だが、それだと甲乙をつけられなくなって、ギルベルタがどっちの方向に暴走してしまうか予測が立たない。危険な指示だと言える。
誰に教わらなくても適度にいい感じの優劣をつけられる、そんな指示をしなければ……
と、そんな不安を抱える俺を他所に、ジネットはとても自然な口調でさらりと発言する。
「ギルベルタさんが大切だなと思われる順番で大切にしてみては?」
「……大切? 私にとってかと聞きたい、私は」
「はい」
大切な順で大切にする……物凄く当たり前のことなのだが、ギルベルタは目からうろこが落ちたかのような、革命を目撃した小市民のような、価値観をひっくり返された者の表情を見せた。
大切な者の順番なんて、自分で決めればいい――
そんな当たり前のことに、こいつはたった今気が付いたのだ。
「そ、それは素晴らしい思う、私は! それなら、大切な人を後回しにして心を痛めることもなくなるはず、私も! 天才、友達のジネットは!」
ジネットの両手を握り、ぶんぶんと上下に振るギルベルタ。
ギルベルタがあまりに大はしゃぎで喜ぶから、ジネットは少し困った顔をしている。
「友達のジネットの意見を最大限優先する、私は!」
「あ、あの……はい。適度に、お願いします」
「今日は一緒に寝よう、友達のジネット! 私とっ!」
「はい…………えっ!?」
ジネットがギルベルタの言葉を理解して固まるのと同時に、俺の思考も停止した。
……え? 一緒に寝る?
「わくわくしている、初めてのお泊まりに、私は!」
「いや、待て、ギルベルタ!?」
大切な者を大切にするなら、お前は即刻三十五区へ帰るべきだろう?
大切だよな、ルシア!? お前が身命を賭して尽くすべき相手だよな!?
「一番大切なのは、私、私にとっては。そう言ってくれていた、母もルシア様も」
「いや、それはそうなんだけどさ……」
「だから、優先させる、私は! 私のやりたいと思うことを!」
「周りの迷惑は考えろよ、なっ!?」
「無論、考えている、私は」
「どこかがだっ!?」
「申し訳ない思う、私は。今も思っている」
「思うだけじゃなくてさぁっ!?」
いかん……とんでもないものを目覚めさせてしまったかもしれない。
なんだこの低姿勢な頑固者は……
こいつの前で下手なことを言うわけにはいかない。どんどん面倒くさい方向へアップデートされていってしまう。
しかも、バージョンアップしたらもう元には戻せない仕様っぽいし。
「川の字で寝たい、私は! 友達のヤシロと、友達のジネットと、三人で!」
「ぅぇええっ!?」
ジネットが奇声を上げる。
が、しかし、そこだけ見れば、それは素晴らしい提案のように思える。
ジネットとギルベルタ。二人の巨乳に挟まれて、全方位低反発マットレスみたいな寝心地が……
「真ん中で眠りたい、私は!」
お前が真ん中かよ!?
「……ギルベルタ。それは不許可」
「そうです!」
マグダとロレッタが抗議の声を上げる。
「……まずはマグダがやるべき」
「あたしもしたことないですのに! 順番は守るです!」
いや、お前らも狙ってたのかよ……どうせなら俺を挟めよ。
「あ、あぁあ、あの……っ、わ、わたしはアルヴィスタンですので……そ、そのようなことは……」
と、チラリと俺を見るジネット。
視線がぶつかると同時に耳が真っ赤に染まる。
「ぅあ……っ、あの…………きょ、今日は……ダメ、です…………」
「それは残念思う、私は……」
しょんぼりするギルベルタに、勝ち誇ったようにうんうんと頷くマグダにロレッタ。
……いや、それより、「今日は」ってなんだよ…………期待しちゃうだろうが。
ま、だからといって羽目を外したり喜んだりするわけではないがな。
こいつはあれだ。いわゆる「大人な対応」というやつだ。口約束など、真に受けるような俺ではない。
「ぎゅ、ぎゅるべりたっ?」
「君は分かりやすいね、ヤシロ……」
何が分かりやすいのか、まったく分かりかねるね。今のはちょっと噛んだだけだ。言い難いもんな、ギルベルタ。咄嗟には出てこないもん。
「はっくしょん、ギルベルタ!」とか、絶対言わないもん。口に馴染みにくいフレーズなんだよ。だから噛んだって仕方なくね?
…………こほん。
そんなことをしている場合ではない。
ギルベルタを早く帰さなくては、最悪外交問題になりかねない。
真面目に説得してみるか。
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