ウーマロが実験装置を運んでくる。
「ロレッタ、マグダ。手伝ってくれるか?」
「任せてです!」
「……お安いご用」
二人を壇上に上げ、助手を頼む。
チラリと確認すると、教会のガキたちとデリアたち豪雪期に陽だまり亭に泊まっていた者たちは舞台のそばに集まっている。
「準備が整うまでの間、みんなにはちょっとした勉強をしてもらう」
そうして俺は、エステラに話した原子や分子、そして水の沸点などの話をなるべく噛み砕いて分かりやすく説明した。
「マーシャ。水が冷やされるとどうなる?」
「氷になるよ☆ 海にはね、すーっごく寒い場所があって、そこには一年中こーんなに分厚い氷が張っているんだよ~☆」
「パウラ。水を熱するとどうなる?」
「え? えっと、沸く?」
「そう、それを沸騰という。で、沸騰させ続けると?」
「え~っと…………減る?」
「正解だ。水が減るのは蒸発するからだ。水蒸気は見たことあるよな? 湯気ってヤツだ」
厳密に言えば異なるが、まぁ、ここの連中相手だからザックリでいいだろう。
「水が蒸発して水蒸気に変わることを『気化』という。水は熱せられると目に見えない水蒸気になるが、その後空気に触れて冷やされると目に見える水の粒『水滴』になる」
気圧に関しては、正直大人連中もちんぷんかんぷんという顔をしていたが、とにかく、気圧が下がれば沸点は下がり、気圧が上がると沸点は上がる、言い換えれば「気圧が高い場所では100度以上にならないと水は沸騰しない」ということをしっかりと覚えてもらう。
その原理を分かるように説明している暇はない。実際めっちゃ高い山にでも登って水の湧く温度を測れと言っておく。
「気圧の変化を分かりやすく見せてやろう。ハムっ子、ガキども、ちょっとこっち来い」
ハムっ子と教会のガキどもを二十人ほど壇上に上げる。
そいつらを、ぶつからないくらいに間隔を空けて並んで立たせる。
ロレッタとマグダに言って、一本の紐でぐるっとガキどもを囲む。ゆとりのある大きな輪で。
「これが基本の気圧だと仮定しよう」
輪の中にいるガキどもは分子だ。
今はぶつかることなく普通に立っている。
「じゃあガキども。俺やこの紐にぶつかったら『負け』だぞ。輪から出るのは反則だ。精一杯逃げろ!」
言って、紐の両端を持ってその輪を狭めていく。
俺が紐をたぐり寄せて輪の直径を小さくしていくと、マグダとロレッタも紐を持って内側へ移動していく。
どんどんと輪の内径が狭まり、中にいたガキどもが紐に触れないように内側へと移動を開始する。
だが、空間が狭まれば当然ガキ同士がぶつかり、密度が上がる。
「この密度が上がった状態が『気圧が上がった状態』だ。このように、空間内の分子が動き、ぶつかり、運動することでこの空間の中の温度は上がる」
「わっ! ホントです。子供たちの周りの温度が上がってるです!」
それはガキどもがわーきゃー走り回ったせいで体温が上がっただけだが、まぁいいフォローだったと言っておこう。
ガキどもは押しくらまんじゅうさながらのぎゅうぎゅう状態になっているので、実際輪の中の温度は上がっている。
「で、この狭い空間に閉じ込められた分子は、空間が広くなると一気に元の状態に戻ろうとする」
言いながら紐を放すと、ガキどもを閉じ込めていた輪はなくなり、ガキどもは「わー!」っと駆け出し壇上を走り回った。
ガキは行動を制限された後には、必ず発散する生き物だからな。……にしてもうるせぇよ。もういいよ、いいから舞台から降りろ。
ロレッタに言ってガキどもを壇上から降ろしてもらう。
「このように、さっきまでここにあった『熱』は、気圧が下がると同時に発散される――ということを踏まえて、俺のやることをよく見ていてくれ」
ここまでが前座だ。
ここからは、ウーマロが準備してくれていた実験装置で実際に実験を行う。
台の上に透明の瓶が横向きに置かれている。
その瓶の中には透明の液体が、横向けた瓶の高さの六分の一ほどまで入っている。
まぁ、ちょろっとだな。
この液体は水ではなく、レジーナの家で見つけたエタノールだ。
水でも出来なくはないが、気化しやすいエタノールの方がはっきりと実験結果が見えるのでこっちを使用する。
ただし、観衆にそのことは説明しない。
「この瓶を港の向こうにある洞窟、中の液体を海の水だと見立ててある」
そう。こいつはあの洞窟を擬似的に再現した装置なのだ。
「あの洞窟は、長らく分厚い岩壁に遮られていた」
そう言いながら、魔獣ゴムの蓋を瓶の口に取り付ける。
「ぎゅむっ」っというゴムっぽい音がする。大きさはぴったり。空気の漏れ出す隙間もない。密閉だ。
そして――
ここから先は、まったくのデタラメ。嘘だ。
「あの洞窟は、このように密閉された状態で何年、何十年、いや、何百年かもしれないが、ずっと放置されていた。海漁ギルドのマーシャが見つけるまで、誰もその存在を知らなかった。そうだな、狩猟ギルド、木こりギルドの両ギルド長?」
「あぁ、そうだね。アタシは今回初めてその存在を知ったよ」
「ワシもだ」
三大ギルドのギルド長を巻き込んで、話に信憑性を持たせる。
「だが、マーシャがこの洞窟を見つけたということは、一方向は開いていたってわけだ。そうだな、マーシャ?」
「うん。岬の向こう、外海側の出入り口は大きく開いていたよ☆」
「つまり、一方向からは波や風がどんどん入り込んでいたというわけだ」
そう説明して、ノーマのところで作った空気入れを取り出す。
「こいつは空気を送り込む道具だ。ウーマロ」
「なんッスか?」
「えいっ」
「わっぷっ!? 風が出てきたッス!?」
ウーマロの顔に空気を浴びせると、顔の毛が吹き出した風になびく。
これで仕組みも分かるだろう。
「本当はこっちから空気を送りたいんだが、瓶には穴があけられないから――」
言いながら瓶の底を「こんこん」と指で叩き、穴をあけられないことを見ている者たちに納得させる。
「――こっちの魔獣の革で作った蓋にノズルを突き刺して、こっちから空気を送るな」
そして、空気入れに取り付けたノズルを魔獣ゴムに突き刺す。
異物を通した後、魔獣ゴムは強い反発力でノズルを包み込み、再び隙間を埋めてくれる。
片側の口が開いている洞窟は密閉空間ではない。
開口から入った波や空気は、同じ開口から同じように出て行くため洞窟内の気圧は変化しない。
だが、今俺の手元を見ながら話を聞いていた連中は、この密閉された瓶をアノ洞窟と同じ状況だと思い込んでいる。
マジシャンのよくやる手口だ。
フェアじゃない状況をさもフェアであるかのように錯覚させる話術。
「瓶の底を開けられないから仕方ない」という訴えに対し、「最初から底の開いた瓶を用意しろよ」という発想は出てこない。出ないように誘導する。
「それじゃ、ウーマロ。この空気入れで瓶の中に空気を送り込んでくれ。何百年も風を送り込まれ続けたアノ洞窟と同じようにな」
そんな誘導を入れつつ、ウーマロに空気を入れさせる。
俺がやらないのも、小細工をしたかもというささやかな思考を排除するためだ。
ま、単純に空気入れをシュコシュコするのがメンドイってのもあるけどな。地味に力いるし。
「むっ、これ以上入らないみたいッス」
空気を入れていたウーマロの手が止まる。
押してもそれ以上の反発を感じるところまで来たようだ。
「じゃあ、そこまででいい」
空気入れが落下して蓋が開かないように気を付けて、瓶と空気入れを台の上に置き直す。
「これが、工事を始める前のアノ洞窟の状態だ」
改めてそう信じ込ませて、あとはビックリ現象まで一気に捲くし立てる。
「それを、俺たちは港を作るためといって洞窟の岩壁を崩したな? こいつで言えばこの蓋を取り外したわけだ。――さぁ、蓋を開けるとこの中がどうなるか、よく見ておいてくれ」
ウーマロに瓶をしっかりと押さえてもらい、俺は空気入れごと魔獣ゴムの蓋を一気に引き抜く。
ポンッ! ――という大きな音と共に、一瞬にして瓶の中が真っ白に染まった。
「こ、これは……どうなったッス?」
疑似洞窟に注目していた観衆も驚きの声を上げる。
「折角だ、見えないヤツは前に来て見ていいぞ。順番にな」
声をかけ、会場の連中にもしっかりとこの現象を見てもらう。
ナタリアが誘導する中、壇上のすぐ前まで来て瓶を覗き込む者が次々現れる。
「見ながらでいい、聞いてくれ」
そのうち瓶の中の曇りも晴れる。
そうなる前に説明を終えてしまおう。
「先ほど説明したように、密閉された空間内で気圧が上がれば、その中の分子が暴れ運動することで熱を放つ。だが、気圧が上がっているためにその中の『水』は通常の沸点を超えても沸騰はしていない」
エタノールの沸点は80度弱。
さっきは90度~95度くらいになっていただろうか。
「その状態から蓋を開けたので圧縮された空気は一瞬で抜け出し、『洞窟』内の気圧は一気に下がった。気圧が下がれば『水』の沸点は元に戻る。その結果、沸点よりも高温になっていた『水』は一瞬で沸騰し、一瞬で水蒸気を発生させる。あとは今見てもらったとおり、空気によって冷やされた水蒸気は一瞬のうちに『洞窟』内を覆い尽くすほどの水滴、この場合は『霧』とでもいうかな、そういうものに変化して空間の中を埋め尽くしたんだ」
そう。
俺の主張は、『アノ洞窟内には、霧が充満していた』というものであり、あの環境下ではそのような特異な状況が十分に起こり得た、というものだ。
「そうして、視界が覆われるほどの濃い霧の中、工事をするために洞窟内に入った大工たちは一人の例外もなく明かりを使用しただろう」
「あっ!」
そんな状況に覚えがあるロレッタが声を上げた。
「奇しくも、昨年末の豪雪期、四十二区ではコレとよく似た現象が発生し、多くの者たちがその現象を目撃している」
「あー! そうか!」
「なるほどなぁ、アレと同じなのかぁ!」
パウラとデリアが大きな声を上げる。
壇上ではマーシャが「え、あれなの?」と大きく開けた口を両手で押さえている。
さて、知らない者のために説明をしてやろう。
「霧の中には、無数の水滴が含まれている。そいつは光をきらきらと反射させ、時に収束、時には拡散していく。キンキンに冷えた冬の朝、吐いた息が太陽の光を浴びてキラキラ輝いたのを見たことがある者は多いと思う」
それには覚えがあるのか、多くの者が頷いた。
「その霧が非常に多くなり、目の前を覆うくらいに濃くなった時、自分の後ろから光が差すと目の前の霧に自分の影が浮かぶことがある。それを、『ブロッケン現象』という。ここにいる教会のガキどもは、豪雪期の日にそれを目撃している」
教会の関係者は絶対に嘘など吐かない。
この街の人間なら、まず間違いなくそういう印象を持っている。
「な、ベルティーナ?」
「はい。私もこの目で確かに見ました。遠くの畑や、遙か高い空の上に子供たちの大きな影が揺らめいていました」
シスター・ベルティーナの証言を得て、そのような不思議な現象が実在するのだと、観衆の信用を得る。
「あたいも見たぞ! でっかかったよなぁ!」
「あたしも見たよ! 最初、モーマットさんが畑で踊ってるのかと思ったもん」
「なんで俺が畑で踊るんだよ!?」
「ごめんね、モーマットさん。でもそれくらいはっきりと人の形に見えたの。ね、パウラ?」
「うん。すっごいはっきり見えたよね」
デリアやパウラ、ネフェリーが追加で証言を行う。
「あたしなんか、どれだけ大きな影を生み出せるか、自分でコントロールまでしちゃったですよ!」
「……マグダは自分の影とダンスを踊った」
ロレッタにマグダが参加する。
……つかマグダ、いつ踊ってたんだよ。
「そういえば、ボクもナタリアも、靄に映った自分の影を不審者だと誤認して随分長い距離を歩かされたよ」
「仕方ありませんね。あの人影は、それほどはっきりと目撃できましたし、何より人間とは思えないような動きをしていましたから」
「まぁ、靄に映った影だからね。到底人間には見えないよ」
エステラとナタリアの会話で多くの者が気付いた。
とある仮説に。
その仮説を、俺が肯定してやる。
「そうだ。大工が見た洞窟内の『カエルらしきモノ』の影は――」
盛大な嘘で。
「まず間違いなく、ブロッケン現象により現れた、大工自身の影だった」
いつか、状況があまりにかけ離れ過ぎている点に誰かが気付いて、俺に『精霊の審判』をかけてきやがったら、俺はアウトだ。
だが、もし俺に『精霊の審判』をチラつかせるようなヤツが現れたなら、「俺と敵対するんだな?」と脅して黙らせてやる。
それで黙らないなら、別の方法で口を閉じさせる。物理的でも精神的でも、どんな手段を使ってでもな。
それだけのリスクを背負ってでも、今この場所で、このタイミングで、『カエルらしきモノ』の影を否定することに意味がある。
長引けば長引くほど、不信感ってのは積もっていくもんだからな。
早期決着、早期解決が吉だ。
そのためなら、この程度のリスク、俺一人で十分に抱えていける。
そう思った矢先。
「今、ヤシロが言ったことは真実だと、このボク、エステラ・クレアモナが保証するよ!」
……なっ?
…………はぁぁああ!?
「彼と違って、ボクはみんなに信用されているから、ボクの言葉をもってみんなの信用の担保にしてほしい」
「あははっ! 違いねぇ!」
「ヤシロじゃあ、どっかで騙されてる気がするもんなぁ」
冗談めかして領民たちと笑い合う。
いや、待て!
聞いてねぇぞ、こんなこと!
分かってんのか?
洞窟内の人影はカエルだった可能性が高い。
それを大工の影だと言った俺の言葉が嘘だって、お前なら分かるよな!?
その大嘘を『真実だ』なんて、お前、それ、大嘘じゃねぇか!
そんなことしちまったら、お前にどれだけのリスクが……
「おい、エステラ――」
どういうつもりか問い詰めようとしたら、エステラは唇に人差し指を当ててウィンクを寄越してきやがった。
「あはは~」なんて集まった観衆に手を振りながらおどけた顔で俺の前まで来て、がっと首に腕を回し、耳元で囁く。
「……もう、君一人に背負わせないと言ったはずだよ」
だとしても、お前……
はぁ……バカが。
「揃ってカエルにされたら、結婚でもするか?」
「ふふ、君に将来性があるようなら、一考してあげよう」
……カエルに将来性なんかあるか、バカ。
「さぁ、不安が消えた後は、美味しい料理の試作だよ! ジネットちゃん、あとはよろしくね」
「はい。たくさん用意しましたので、みなさんで召し上がってください」
そうして、俺が準備した「後ろめたさ誤魔化し企画」を、まんまとエステラに掻っ攫われた。
観衆は不思議現象の深い考察などは放棄して、陽だまり亭の新メニューに意識を向ける。
中には、経験者に「本当にそんな現象見たの?」なんて聞いているが、ブロッケン現象を見た者たちは絶対の自信を持って真実を語り聞かせている。
真実を語る者たちの瞳には曇りはなく、信憑性をどんどんと積み重ねてくれる。
そして、たった二人が吐いた小さな嘘を、覆い隠してくれた。
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