異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

394話 生きて -2-

公開日時: 2022年10月9日(日) 20:01
文字数:4,407

「どの口が言ってんの?」

 

 パウラが分かりやすく嫌悪感を顕わにする。

 

「散々エステラのこと悪く言っといて、それで困ったらそのエステラに助けてって?」

 

 パウラの尻尾がぶわりと一回り大きく膨れ上がる。

 

「エステラが優しくて、困ってる人に甘いからって……、利用しようとしてんのが見え見えですっごいムカつく! エステラがいいって言ってもあたしがさせない! エステラがあんたなんかに利用されるの、あたしは絶対イヤ!」

「そもそもあんた、エステラに謝罪はしたんかぃね?」

 

 激昂するパウラの肩に手を置き、ゆったりとした口調でノーマが言う。

 荒々しく叩きつけられていた言葉に身をすくめ、口を閉ざして逃げおおせようとしていた相手を否応なく対話の場へ引き摺り出すようなしゃべり方で。

 

「さっきから聞いてりゃ、自分は悪くないの一点張りで、あんた、全然反省してないじゃないかさ」

 

 煙管の灰を落とし、煙を吐き出す。

 

「心からの謝罪がない限り、エステラの指一本だって、あんたのためには動かさせやしないよ。アタシら全員で反対してやるさね」

 

 ノーマの迫力に気圧され、バロッサがエステラをちらりと窺い見る。

 が、すぐに視線が逃げていく。

 あの反応は、自分に非があると認識しながらそれから目を逸らし続けた者の反応だ。

 うしろめたさと、真実と向き合うことへの恐怖から、『おのれの非』の象徴たる相手の顔をまともに見ることが出来ないのだ。

 大ポカをやらかしちまった後、上司を避けてしまう新入社員の心理とでもいうか。

 

 今、バロッサの目にはエステラが恐怖の対象として映っているのだろう。

 ……いや、違うか。

 

 こいつがこれだけ騒いで、喚き散らしてなお、頑なに避け続けているのはエステラじゃない。

 

「おい、ド三流」

「ひぃっ!」

 

 俺だ。

 

「完全な無能だと思っていたんだが、お前にも多少の取材能力はあったみたいだな」

 

 しゃべりながら、必死に視線を逸らすバロッサの前へと歩み出る。

 

「ウィシャートも、組合も、情報紙も……、四十二区に盾突いた連中をことごとく潰したのが――」

 

 蹲り顔を伏せるバロッサの前にしゃがみ、その顔を覗き込む。

 

「――俺だって、分かってんだろ?」

「いや……っ!?」

 

 弾かれたように飛び退き、尻餅をついたまま俺から逃れようと後退する。

 こいつの情報源がどこなのか、こいつがどんな情報を仕入れたのかは分からん。

 だが、ウィシャートと繋がっていた経歴を踏まえると、情報源もそのあたりだろう。

 ウィシャート邸での大暴れのどさくさで逃げ出した兵士たちか、ドールマンジュニア辺りが飼っていたゴロツキの残党か、その辺から漏れ聞こえた情報なんだろうよ。

 

 どちらにせよ、俺に対していい感情を持つような情報ではないだろう。

 

「統括裁判所の判決文を読んだ。お前の叔父のことも書かれてたな。ドブローグ・グレイゴンはウィシャートと結託して国家転覆をはかり私欲を満たしていた。だが、四十二区への侵略という愚かな欲望に駆られて返り討ちに遭い、その悪事が白日の下にさらされた。それを受け、真実の発覚を恐れたドブローグ・グレイゴンは裁判が始まる前にデイグレア・ウィシャートの口を塞いだ。よって、統括裁判所は国家転覆を目論んだ黒幕をグレイゴン家だと判断し、一族のすべてに最も重い罰を処する所存である――だったか?」

 

 本当にウィシャートと繋がっていた十一区領主ハーバリアスの名は一文字も出てきていない。

 それ以外にもうじゃうじゃいたであろう、上位の貴族の名前もな。

 

 もしエステラがウィシャートとハーバリアスやそれ以外の貴族との関係に勘付いていて、裁判でそのことを口外したならば、事実の隠蔽は困難を極めただろう。

 だからこそ、統括裁判所はエステラを裁判の場に入れさせなかったし、これ以上首を突っ込むなと脅しをかけてきているのだ。

 

 やり玉に挙げて、一族郎党まとめて処罰することも容易なのだと見せつけることでな。

 

「お前を捕らえて統括裁判所に突き出せば、エステラの株はますます上がり、裁判を裏側で操れる『お偉いさん』への覚えもめでたくなるだろう」

「……や……、それだけは…………ホントに、殺されちゃう……っ」

「別に、俺はそれでも困らないけど?」

「……っ!?」

 

 事実を告げると、バロッサは驚愕の表情を浮かべ、見開かれた眼から涙を零した。

 絶望した人間ってのは、こんな顔をするんだな。

 

「……ご、めん……なさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 初めの一回を詰まりながらも吐き出せば、その後からはとめどなく謝罪の言葉があふれ出てくる。

 まるですがるように、念仏でも唱えているかのように。

 

「反省してます……もう二度と逆らいません……心を入れ替えます……だから……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

 今、バロッサが口にしているのは反省ではない。

 謝罪でもない。

 これは、純然たる後悔の言葉だ。

 もし俺が『強制翻訳魔法』だったなら、今バロッサの口から出てくる言葉を「死にたくない」と翻訳しただろう。間違っても「ごめんなさい」とは訳さねぇ。

 

 しかしまぁ、人間というのは不思議なもので、「コノヤロウ、ぶっ殺してやる」と思うほどに腹が立った相手でも、そいつが本当に死ぬのだと思えば、どこかで心が痛む。

「いや、そうはいっても、そこまで憎んでいたわけじゃ……」と、怒りにブレーキがかかってしまう。

 大っ嫌いな人間がある日突然事故死して、そいつの葬儀で遺影に向かって「ザマァミロ!」と指さして笑えるヤツはそういない。

 もしそんなことが出来るなら、そいつはもしかしたらもう『ニンゲン』ではないのかもしれない。

 

 少なからず、住民の八割超がお人好しで構成されている四十二区でならなおのこと。

 

 俺がこうして現実を突きつけ、バロッサの心胆を寒からしめて見せてやれば、爆発間際まで膨れ上がっていた連中の怒りが徐々にしぼみ始めていく。

 

 エステラも、自分のために怒ってくれたことには感謝するだろうが、自分のために誰かの手を汚させることは望んじゃいない。

「死んじまえ」と思った人間が本当に死んじまって、この先一生「あの時、あんなことを思わなければ……」と後悔し続けるような人生を送らせたいなんて、エステラは誰に対しても思っちゃいない。

 

 だから、ここらで手打ちといこう。

 どちらにせよ、バロッサはもうオールブルームにはいられないのだ。

 もう二度と、こいつと会うことはない。

 だから、こいつが生きようが死のうが、俺たちには何の関係もないし影響もない。

 

 だったら、こんなしょうもないことで誰かの心に小さなトゲを刺す必要はない。

 さっさと過ぎ去り、さっさと忘却すればいい。

 

 バロッサ。

 お前は、四十二区の連中のためにも、どこか知らない場所で適当に生きて、適当に死ね。

 お前ごときのために、俺らの意識を、思考を、脳の領域を割かせるな。

 

「バロッサ。最後の忠告だ」

 

 ウィシャートが無視をして、自ら地獄に飛び込んだのであろう『最後の忠告』を、こいつにもくれてやる。

 

「お前は今から、『でも』という言葉を使うな。不安や不満を感じたら、今自分が置かれている状況とその先に待ち構える未来の展望を比較してどちらがマシかを考えろ。何を望めば手に入り、何を望めばすべてを失うのか、そいつをよく考えてから口を開け」

 

 俺が話している間、バロッサは瞬きをしなかった。

 俺の言葉の意味を、必死に理解しようとしていたように見えた。

 

「じゃ、エステラ。あとは頼む」

「……うん。ありがとね」

 

「みんなの気持ちを落ち着かせてくれて」なんて言葉が続きそうな礼を述べ、エステラがバロッサを見る。

 

「まず、はっきりと言っておくけれど、グレイゴンの処遇に関して、ボクたちは一切関与していない。疑うのなら『精霊の審判』をかけてくれてもいい」

 

 そう言われても、かけられるはずがない。

 完全に委縮してしまっているバロッサにはな。

 

「君たちの処遇は、ウィシャートとその後ろにいた三等級貴族、そして統括裁判所の思惑通りなんだと思うよ」

 

 スケープゴートというヤツだ。

 おのれの悪事を覆い隠すために祭り上げられたやり玉。

 この事件を早急に終わらせるための生贄。

 

 ウィシャートがこの国の王族とバオクリエアを天秤にかけ、国家転覆を目論んでいたことは、陰に潜んだ貴族どもにとって幸運だったのだろう。

 国家転覆というデカい事件のおかげで、自分たちが行っていた脱税や裏取引、口利き、癒着、贈収賄、それらの悪事が覆い隠されたのだから。

 

「統括裁判所も、上位の貴族たちも、きっと君の生存を認めない。特に君は、情報紙発行会の記者という経歴があるからね。彼らにとっては目障りに映っているだろう」

 

 もう、情報紙発行会とは縁が切れ、二度と記事など書けない。――が、そんなことは関係ない。

 権力者ってのは、『不穏因子』を見過ごさない生き物だ。

 危険だと思えば全力で排除する。

 そういう連中にとって、邪魔者の命なんぞ百円の価値もないのだから。

 

「だから、君はこの街を出るしかない。生き延びたいならね」

 

 もう、この街にバロッサの居場所は存在しない。

 見つかれば、首が飛ぶ。物理的に。

 

「ボクが君に協力できることなんて、あまりないんだけれど……」

 

 言いながら頭を掻いて、ちらりとマーシャを見る。

 

「まぁ、友人に頭を下げるくらいは出来るかな」

 

 統括裁判所や後ろ暗い貴族たちは、血眼になってバロッサを探しているだろう。

 三十区の街門なんか通ろうものなら、半日と経たずに拘束される。

 おそらく海路の要である三十五区も、他の街門も抑えられているだろう。

 

 抜け道があるとすれば、四十二区の街門くらいだ。

 その先には、新しく誕生したばかりの小さな港がある。

 そこを使えば、今ならギリギリ国外逃亡は叶うだろう。

 

 四十二区の躍進に興味がなく、あんな出来損ないの潜入捜査官を寄越してくるような統括裁判所だ。四十二区の港の存在を知らない可能性すらある。……さすがにそれはないと思いたいところだが。いや、ほら、あまりに無能過ぎるとな、先行きが不安過ぎるから。

 

「四十二区の街門にも、見張りが張り付いているかもしれないから、木箱にでも身を隠して運んでもらうといいよ」

 

 バロッサは何かを言いかけて、結局やめた。

『最後の忠告』が利いたのだろう。

 そして、ようやく身に沁みたのだろう。

 もう、どうしようにもないってことが。

 

「これから先、つらいことがたくさんあると思うけれど……」

 

 一度口を引き結び、エステラはじっくりと考えて、結局その言葉を口にした。

 

 

「……生きてね」

 

 

 いろいろあっても、結局エステラは甘い。

 死にゃあいいんだ、こんなヤツ。……とは、言えないんだろうな、きっと、この先もずっと。

 

 今になって、ようやくエステラの思いが沁みてきたのか、バロッサはぐっと喉を鳴らして頭を下げた。

 

「本当に、申し訳ありませんでした……」

 

 

 生きるための、細い細い、頼りのない道しるべ。

 それを偶然にせよ見つけて手繰り寄せられたこいつは、幸運なのかもしれないな。

 

 

 

 

 

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