異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

336話 下準備を始める -4-

公開日時: 2022年2月19日(土) 20:01
文字数:4,416

「うぅっ、寒っ」

 

 レジーナの家の裏手に回り込むと、冷たい風が吹きつけ背筋がひやりとした。

 さすがレジーナの家の裏手だ。ジメジメしていて薄暗い。

 そんじょそこらの日陰とはレベルの違うじめっと感だ。

 

「発散されないレジーナの欲求が吹き溜まってんじゃないかってくらいに陰鬱な場所だな」

「レジーナの欲求が溜まってるなら、この場所はもっと桃色に染まっているはずさ」

 

 まぁ、そりゃそうか。

 

「お、見ろ。いっちょ前に椅子とテーブルが置いてあるぞ」

「え、レジーナ、こんな陰鬱な場所でティータイムとかするつもりだったの?」

 

 どよ~んとした日陰に小さなテーブルと木製の椅子が二脚置かれている。

 よく見れば、その場所は花壇にでもなりそうな雰囲気だった。

 

「あいつ、薬剤師のくせに自分で薬草の栽培とかしてねぇのかよ」

「いや、レジーナに植物のお世話とか、ムリなんじゃないのかな?」

 

 だな。

 あいつは採取とか栽培とかしそうにないもんな。

 ミリィに言って、薬草畑でも作ってもらえば、多少は自分で世話をするようになるかもしれないが。

 

「まぁいい。折角だから椅子を借りるか」

「え~……壊れないよね?」

 

 雨ざらしで薄汚れた木製の椅子。

 座るには多少の覚悟がいる。

 念のため座面を手で強めに押してみるが、腐って壊れる様子はない。

 座るくらいは出来るだろう。

 ただ、座れば確実に尻が汚れる。

 

 しょうがないので、俺のお手拭き用タオルを座面に敷いてエステラに勧める。

 

「ほれ、座れ」

「え……、えっ!?」

 

 なんだよ、その二度見は?

 

「……偽物?」

「こんなイケメンが世界に二人もいるかよ」

「随分紳士的じゃないか」

「二種類あるうちの簡単な方を選択したまでだ。タオルを敷くか、敷かずにあとで汚れた尻の汚れを手で払ってやるか……む、やっぱり二個目の選択肢を採用した方が――」

「じゃあ、遠慮なく座らせてもらうよ」

 

 もう一方の選択肢の有用性に気付いたが、時すでに遅し。

 エステラはさっさと俺のタオルの上に尻を降ろした。

 

 あとでくんかくんかしたところで、どーせ朽ちかけの木のけったいなニオイが勝っているんだろうな。

 あぁ、惜しいことをした。

 

「それで、今度は何をするつもりなんだい?」

 

 空いたもう一方の椅子を俺に勧め、エステラが問いかけてくる。

 なんだか、尋問されてる気分だ。

 

「エタノールは、非常に気化しやすい液体なんだ」

 

 座りながら、琥珀色の瓶をテーブルに置く。

 エステラに手を出させて、その上にエタノールを数滴垂らす。

 エステラの手のひらの上でエタノールはあっという間に気化してなくなり、エステラの手のひらに白く丸い跡を残す。

 

 乾いた手を指でなぞりながら、エステラが「へぇ~」と声を漏らす。

 

「で、それがなんなんだい?」

「気圧が低くなると、水の沸点が下がるのは知ってるか?」

「気圧? ……沸点?」

 

 いまいちピンときていないようだ。

 まぁ、しゃーない。

 この世界には小学校がないからな。そんな基本的な科学の知識も教えてくれるヤツはいない。

 

 水が100度で沸騰するのは地上、言い換えれば『大気圧』の場合だ。

 気圧が下がると水の沸点は下がり、100度以下で沸騰し始める。

 高い山に登ると気圧が変化して、80度程度で水が沸騰するというのは有名だと思う。

 

「ちなみに、分子って言葉は聞いたことがあるか?」

「反乱分子、とか?」

 

 分子という言葉が通じるなら、この世界のどこかに原子だの分子だのを研究しているヤツが存在しているってことか。

 それとも『強制翻訳魔法』がまた気を利かせて似たような言葉を翻訳しているのか……

 単純に『群れの中の個』という意味で使う言葉なのかもしれないな。

 

「レジーナと『細胞』の話をしただろう?」

「うん。半分くらい忘れたけどね」

 

 半分も覚えているか疑わしいけどな。

 

「それと似た感じで、この世界に存在するモノはすべて、目に見えない物質が結合して成り立っているんだ」

 

 雑な説明になるが、まぁ軽く説明するだけならいいだろう。

 

「原子っていう目に見えない小さい物が複数結合して分子という物を作り、その分子が集まった結果、水や空気という物が出来る」

「空気が出来るって……空気だって目に見えないじゃないか」

「そうそう。そんな感じだ。目に見えないけど、確実にそこにあるだろ?」

「……ある、の、かな?」

 

 空気はあって当たり前なので、その存在を認識させるのは難しい。

 ないと息が出来ないって言っても実感は湧かないだろうし。

 過去、一酸化炭素中毒の話をした時も、いまいちその危険性が伝わりきってなかった気がするしなぁ。

 

「まぁ、とにかく、目には見えないが分子ってのがそこら中に存在してるんだ」

「人体に害はないのかい?」

「基本的にはな」

 

 一酸化炭素を吸い続ければ危険だが、そんな事態はそうそうない。

 普通に生活していて「分子がある! 危険だ!」なんて場面には遭遇しない。

 なので、普通に生きていく上では特に意識する必要はない。

 

 が、これからする話は分子を理解していないとさっぱり意味が分からないので「分子ってのがあるんだな~」くらいは分かってもらわないといけない。

 

 エステラの目の前に手のひらを出し、おにぎりを結ぶような手つきで空気を包み込む。

 

「たとえば、この中に百個の分子が入っていたとする」

 

 そう言って、包み込んでいた空気を潰すように手のひら同士を密着させる。

 

「それを、こうして潰すと、中の分子はどうなると思う?」

「え? ……潰れる?」

「分子を構成する原子は最小単位だからそれ以上潰れることはない」

「……え、どういうこと?」

「分子は無敵なので潰れない」

 

 ――ということにしておこう。

 厳密に言うと違うのだが、科学のド初心者に説明するにはそれで十分だ。

 

「じゃあ、……くっつく?」

「そうだな。正解に近付いたよ」

 

 くっつきはしない。

 だが、空間が圧縮された分だけ分子と分子の間隔は小さくなる。

 別の言い方をすれば、圧縮される。

 

「物質は圧縮されると温度を上げる」

 

 分子の動きが活発になり、分子の衝突によって熱を発する。

 空気であれ水であれ、圧縮すれば温度が上がる。

 電子レンジの原理も粒子の振動によるものなので近しいものがあるかもしれない。

 

 ビーカーでもなんでもいいが、密閉された容器に水を入れ容器の中の圧力を上げていく。

 すると、分子の運動により水の温度は上がっていく。

 極端な話として、加圧により中の水が100度になったと仮定する。

 気圧が上がるので100度を超えても水が沸騰することはない。

 そうすることで100度以上の水が容器の中に誕生する。

 

 そこで、蓋を開けるなりして一気に気圧を下げるとどうなるか。

 

 水の温度は100度を超えているので一瞬で沸騰する。

 100度を超えた水は一気に蒸発して水蒸気を発生させる。

 水が気化する際、水蒸気は熱を奪っていく。この際の水蒸気は100度を超え、勢いよく噴き出していく。

 

「エステラ。これくらいの透明で頑丈なガラス瓶が用意できないか?」

 

 消毒液が入った琥珀色の瓶を見せながら言う。

 

「ウーマロなら、ガラス職人に知り合いがいると思うよ」

「高いんだろうな」

「だろうね。……でも、必要なんだろう?」

「だな。それがあれば、港の工事を再開させられる」

「なら、ウーマロも張り切って協力してくれるだろうね」

「あとは、コルクみたいな、この蓋を完全に密封できる物が欲しい」

「それはアッスントかな」

「高いかもなぁ」

「分かったよ。いいよ、経費として処理しておくから、好きにしなよ」

 

 工事の再開がかかっているとあって、エステラも協力的だ。

 イヤイヤ感が顔に滲み出ているが。

 

「それでみんなを説得できるんだね?」

「あぁ」

 

 説得は出来るだろう。

 

「それだけ揃えば、十分に『誤魔化せる』」

 

 エステラの視線が鋭くなる。

 

 そう。

 俺が行うのは誤魔化しだ。

 解決策ではない。

 

「『港に出たのはやっぱりカエルでした』と言えない以上、うまく誤魔化すしかないだろう」

「……そう、だね」

 

 幸いというか……

 湿地帯でカエルの大群を目撃したのは俺とエステラとナタリア、そしてレジーナだけだ。

 

 レジーナは今この街にはいないし、ナタリアはエステラの不利益になるようなことはしない。

 今回の誤魔化しで丸め込めそうにない連中は、説得の対象外だ。

 

「少々強引な手を使う」

「…………」

 

 エステラは難しい顔をして俺を見つめる。

 

 ウィシャートに関連するいざこざで、俺は結構際どいことをやってきた。

 ゴロツキをカエルにしたり、別のゴロツキの首を掻ききったように見せて殺人事件を偽装したり。

 だからこそ、エステラには警戒されると踏んだ。

 こいつに隠して実行しようとすれば、その直前で待ったをかけられかねない。

 

 だから話した。

 

「この手以外じゃ、ウィシャートを潰しでもしない限り港の工事は再開できない。俺はそう思っている」

「…………」

 

 港の工事再開を急ぎたいのはエステラも同じだろう。

 だからといって、今すぐウィシャートの家に押し入って暗殺なんてするわけにはいかないことも理解している。

 

「危険はないのかい?」

「危険な実験なんかしねぇよ」

「そうじゃない」

 

 少し強い口調で言って、エステラが座ったまま身を乗り出してくる。

 

「君に、危険はないのかい?」

 

 危険、か……

 もし、四十二区の連中に『精霊の審判』をかけられれば、もしかしたらカエルにされちまう可能性は、なくはない。

「洞窟に出たのはカエルじゃなかった」という嘘を吐くことになるのだから。

 

 だが、それをこいつに言えば、こいつはきっと……

 

「まぁ、そうだな」

 

 なので、なくはない程度の軽い話にすり替えておく。

 

「大丈夫じゃないか。俺、四十二区の人気者だし」

 

 すっとぼけた顔で言うと、エステラが目を丸くした後で「ぷっ!」っと笑った。

 

「どうやら、ボクと君とでは見えている世界が随分違うようだね」

「そうか? 似たようなもんだろう」

「君、男女混浴法なんてふざけた法律を作ろうとしてるんだって?」

「ルシアめ……なんて口の軽い」

 

 こっそり計画を進めて、もう断れないって段階でエステラに持ちかければワンチャン押し通せたかもしれないものを!

 

「まぁいいさ」

 

 張り詰めた表情を消し、穏やかな表情を見せるエステラ。

 四十二区の領民のことを思う時によく見せる顔だ。

「四十二区のみんなはいい人ばかりだからね~」という、お気楽な顔だ。

 

「君のやろうとしていることに反対はしない。……ボクには、代案も出せないしね」

 

 ウィシャートを黙らせる妙案は浮かんでいないと正直に認めるエステラ。

 その目が俺を見る。

 どこか、寂しそうな目が。

 

「その代わり、ボクは君の隣にいるからね。……何があろうとも、ね」

 

 俺がヘマをしてカエルにされたとしても――とか、そんな決意が滲む目だ。

 ……バカだな。大丈夫だっつーのに。まったく。

 

「じゃあ、今から大浴場に――」

「懺悔室と牢屋と、どちらがお好みだい?」

 

 どんな時も隣にいてくれるわけではないらしい。

 まぁ、分かってたけどな。ちぇ~。

 

 

 そんなわけで、急ピッチで準備を進めることとなった。

 出来るなら、ルシアがいるうちにケリを付けてしまいたい。

 

 

 

 

 

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