俺の仮説は、あくまで仮説だ。
精霊神のことなんぞ何一つ知りもせず、興味すら一欠片も持っていない俺が適当に思いついただけのものだ。
だが、それを実証するだけの条件が揃えば、そんな時が来れば、語って聞かせてやるのも悪くないだろう。
手始めに、軽く探りを入れてみる。
「なぁ、エステラ」
「なに?」
「もし、大工が見た影が本当にカエルだったと仮定して――」
俺は声を可能な限り潜めてエステラに問う。
「精霊神が、人間からカエルを守るために隠したって可能性は考えられないか?」
この街において、カエルはすべての権利を剥奪された存在だ。
カエルには何をしても許され、罰せられることはない。
だが、それはあくまで人間が決めたルールで、教会がそんなことを言っているわけではない……のかな?
言わないよな、教会がそんなこと。
「カエルをいじめちゃいなよ、YOUたち~!」とか。
ベルティーナが? ないない。
そういや、カエルには何をしてもいいって、誰が言い出したんだ?
とにかく、この街の人間はカエルと見るや危害を加えようとする……者もいる。
だから、カエルを心配した精霊神が人間に見つからない場所へカエルを匿うなり逃がすなりしてやった。そんな可能性もあるのではないか。
そう思って問えば、エステラは肩をすくめて首を振った。
「あり得ないね。精霊神様はカエルをかばったりはしないよ。絶対」
言い切ったな。
「絶対か?」
「そりゃそうだよ。だって、カエルは精霊神様に忌み嫌われた存在なんだよ? そんなカエルを、精霊神様が守る理由がないじゃないか」
「誰が言ったんだよ、それ?」
「誰って……」
エステラは少し考えて、確信を持って言う。
「経典に書かれているんだよ」
「それを書いたのは人間だろ? 都合よく精霊神の思いを改変してる可能性もある」
「経典を書かれたのは精霊神様本人であると言われているよ」
誰が言い出したんだよ、そんな胡散臭いこと。
神様が書いた経典ですよ~って?
怪しい宗教家でもそんな胡散臭い手は使わねぇぞ、たぶん。
「精霊神様は何より嘘を嫌っているんだよ? 教会の基礎となった経典に嘘なんて何一つあるわけないじゃないか」
「初代の教皇が大嘘吐きだったらとか、考えないのか、お前らは?」
「記録に残っているよ。初代教皇には百と八十回の『精霊の審判』がかけられたけれど、カエルにはならなかったって。教皇の語る話は一概には信用できないような神秘的なものが多かったようだけれどね」
精霊神が書いた経典や、精霊神にまつわる逸話、神話などは、みなその教皇が語ったものだという。
「嘘を吐いた者に『精霊の審判』をかけるとカエルになります。嘘だと思うなら『精霊の審判』をかけてみなさい! ほら、カエルにならないでしょう? 嘘じゃないんですよ」って?
……よく信じたな、その当時のオールブルーム民。
まぁ、でも実際『精霊の審判』や『強制翻訳魔法』なんてものが存在するわけで、経典に書かれていたことってのは真実なわけだ。
『会話記録』なんかを見せられりゃ、突拍子もない精霊神関連の話も信用しちまうかもしれないな。
俺も『会話記録』には驚かされたし。
しかし、そうか……
「…………」
「ねぇ、ヤシロ」
「ん?」
「何を考えているんだい?」
「いや、教皇がくらった『精霊の審判』の回数が180回って、逆にしたら『081』でおっぱいだなぁ~って」
「そんなしょーもない話はどーでもよくて!」
ぐいっと身を寄せ、俺の顔を覗き込み、瞳の奥をまっすぐに見つめてくるエステラ。
些細な言い逃れも見逃さないという強い思いが感じ取れる。
「……今回の件に、教会が絡んでいると思っているのかい?」
教会が何かしら陰謀めいたことを仕掛けているのではないか――と、そんなことを考えているのではないか、って?
まぁ、俺の話を聞いてりゃ、それを疑っているように見えるか。
この街にとっての教会ってのは、礎なんだよな。
精霊神を信じようが信じまいが、精霊神が施したという大規模魔法に生活のすべてを委ねている。
『強制翻訳魔法』がなければ、俺たちは会話すら出来ないのだ。
こうやって、意思の疎通を図るなんて夢のまた夢だ。
その教会に疑いの目を向ける――いや、エステラの場合は『俺が』疑いの目を向けるってことを危惧してるんだろうが――それは、王族をも巻き込みかねない離反行為だ。
この街の根底を否定しかねない暴挙だ。
「安心しろ。教会が何かを企んでるとは思っちゃいねぇよ」
四十二区の港を潰しても、教会に利益はないからな。
むしろ、柔らかいパンの製造法を提供した四十二区とは、もうしばらく友好関係を築いていたいとすら思っているだろう。
わがままな貴族が今あるパンに飽きた時に「もっと他のは?」と聞くためにも。
だから、教会は疑っていない。
俺が疑ってるのは――
「精霊神がテメェの無配慮を隠蔽するためにバカげた力を使ったんじゃねぇかと思っただけだ」
「精霊神様を疑うことは、そのまま教会を疑うことになるだろう」
いや、そうとは限らんだろう。
精霊神は嫌いだが、ベルティーナの隠れ巨乳は大好きだ。
人とは、そういう生き物である。
『それはそれ、これはこれ』
まぁ、精霊神が物凄い爆乳で、普段着が「え、それ紐? はみ乳の限界に挑戦でもしてるの!?」みたいなヤツだったら、多少は好感度が上がるだろうけどな。
…………ふむ。なくは、ない、か?
「なぁ、エステラ」
「なに?」
「初代教皇は精霊神のはみ乳について、何か言い残したりしてないか?」
「前提がいろいろおかしいよ!」
エステラは俺の額をぐりっと押して、「まず、精霊神様ははみ乳なんか晒さない!」と、最も重要であろう部分を否定した。
ん。じゃあ精霊神への好感度はマイナスのままだな。
しょーもねぇーな、精霊神は。
「まったく……君の精霊神様像については、今度じっくり話す必要がありそうだね」
「なぁ、エステラ。どんなに様付けしても育ってないんだから、そろそろ諦めたらどうだ?」
「うるさいな!? まだ始めたばかりだよ!」
精霊神に『様』を付けているのは巨乳ばかり――なんていう、俺が適当に言った言葉を真に受けて、これでもかと様付けを始めたエステラ。
その効果はまだ現れていない。
やっぱ、ご利益はねぇんだな。精霊神。
エステラが言うように、カエルが精霊神から忌み嫌われている存在なのだとしたら、カエルは精霊神の治めるこのオールブルームから逃げ出そうとするかもしれない。
人間に見つからない抜け道を作り、こっそりと洞窟を通って外海へ……
その途中で大工に見つかった。と、そう考えれば辻褄が合わなくもない。
アルヴァロが破壊できなかった謎の岩を除けば、な。
けど確かに、精霊神がカエルを匿たってのは無理筋かもな。
見た感じ、カエルは非生産的で、守ったところで精霊神にメリットがあるとは思えない。
精霊神が無類のカエル好きでもない限り。
だが、精霊神はカエルが嫌いだと経典とやらに書かれていると。
じゃ、今回の件に精霊神は無関係か。
よし、じゃあ、そういうことにしておこう。
ま、可能性を完全に排するつもりはないけどな。
「んじゃ、別の可能性を探るか」
「そうだね。もっと現実的な仮説を頼むよ」
精霊神がカエルを庇うってのは、一顧だにする価値もない非現実的な話らしい。
どんだけ悪く書かれてんだよ、カエル。その経典とやらに。
日本では、無害で大人しい、ぬめっとして若干可愛らしい部類に入る生き物だったのにな。
今度ベルティーナに頼んでみようかな。経典を見せてくれないかって。
写しでもなんでもいいから。
「なぁ、ジネット」
エステラとの内緒話を終え、ジネットに声をかける。
ジネットはこちらの話が終わるのを待っていてくれたらしく、駆け足で寄ってくる。
………………いや、遅いわっ! なんなら普段の歩調より遅く感じるわ!
ただ、その分弾む双丘を堪能できるので、結果ジネットは偉い!
「えらい!」
「懺悔してください!」
褒めたら怒られた。
ギブとテイクが釣り合っていない。
「それで、どうかされましたか?」
「いや、ちょっと聞きたいんだけどさ、ジネットって教会の経典を読んだことはあるか?」
「いえ。経典を目に出来るのは、教会の中でも一部の方たちだけですから」
そうなのか。
ま、そんなもんか。
「写しとかないのか?」
「一部を抜粋して、礼拝堂に刻んであることはありますね。『明日を見つめよ。さすれば夜は明けん』とか」
うわぁ……一節だけで胃がもたれそうな内容だな。
明日を見つめなくても、枕に顔をうずめて眠りこけていても夜は明けるっつーの。
『飛び跳ねよ、さすれば乳は揺れん』の方が、よっぽど心に響くぜ。
ちなみに、この時の『揺れん』は『揺れるであろう、それも盛大に、わっほっほ~い』という意味だ。
「じゃあ、ジネットも内容はよく知らないのか」
「全部は知りませんが、一部でしたら覚えていますよ。眠る時にシスターが語り聞かせてくださいましたから」
「うわ、二秒で寝られそう」
「くすくす。ヤシロさん、寝つきがいいんですね」
退屈な話を聞かされると脳が『あ、休憩しよ』って自己判断でスリープモードになるんだよな。
「今度お願いしてみますか? シスターに」
「膝枕付きなら検討するよ」
「それは、四歳までの特権です」
あったのか、そんな特権!
くっそ! どうして俺は四歳まで若返らなかったのか!?
なんなら、今からもう一回若返ってみてもいいよ? 大衆浴場も出来たしさ! ねぇ!
「うふふ」
俺が世の不条理を嘆いていると、ジネットが嬉しそうに笑みを漏らす。
「ヤシロさんが教会の教えに興味を持ってくださって、嬉しいです」
「いや、残念ながら、仮説の実証に使えるかどうか疑問に思っただけだ。ベルティーナの膝枕には、とても興味を持っているが」
「わたしに分かる範囲でしたら、なんでも聞いてくださいね」
「じゃあ、膝枕の柔らかさってどれくらいだった?」
「それは、特権のない方には教えられません」
くぅ!
近しい感触の物を用意して『どこでもベルティーナ(膝枕用)』を作ろうと思ったのに!
なんてことを言いつつも、事態の収拾に頭を回す。
とりあえず、街門は当面封鎖。
削ったはずの崖がせり出し道を塞いでいた件は情報が出揃うまで保留。
カエルらしき人影は――もう一度現地調査を行ってみよう。
「それじゃ、陽だまり亭に戻ろう」
メドラとハビエルによろしくと街門を頼み、俺たちは陽だまり亭へと向かった。
どこまで話すべきか、少しだけ頭を悩ませながら。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!