少し前から……いや、実は随分と前から違和感は覚えていたのだ。
貧しい街だったから、そういうものなのかと一時は納得していた。
だが、やっぱりそんな理由があったんだ。
「じゃあ、もしかしてミリィの両親も?」
「そうだよ」
デリアとミリィは一人で生活をしている。
両親がどちらもいないのだ。
事故か病気かと思っていたが、まさか流行り病だったとはな。
「あと、パウラのお母さんもそうだね」
「パウラの?」
パウラの家は大通りだ。
西側じゃないのに、なぜ……
「パウラのお母さんはね、敬虔なアルヴィスタンでよく教会へ奉仕に来ていたんだよ」
「それで……」
教会に通っていた「せいで」――と、パウラは思ってもおかしくはない。
でも、今のパウラを見ていると、そんな感情は一切見て取れない。
「パウラはお母さんっ子だったみたいでね。お母さんがそうしていたように、自分も時間がある時は教会へ手伝いに行っているんだよ」
そういえば、ジネットがそんなようなことを言っていたな。
教会でパウラに会ったとか、一緒に掃除をしたとか。
あぁ、それでパウラはちょこちょこ陽だまり亭に寄っていくのか。
たま~に「なんでこのタイミングで?」って思う時があったんだが、あれは教会の帰りだったんだな。
「森から切り出してきた木材で家具を作っていたゼルマルも、元は西側の住人なんだよ」
以前ウーマロがゼルマルは尊敬できる職人だ~とか寝言を言っていたが、木を使う加工をしていたのなら、ウーマロが興味を示すのも納得だな。
あぁ、それでゼルマルは陽だまり亭に顔を出しづらかったのか。自分は逃げてしまったから。
陽だまり亭と、祖父さんを亡くしたばかりのジネットを残して。
……そんなことまで気にする必要はないと思うんだがなぁ。
あのジネットがそんなことを気にしているとも思えないし。何より、ゼルマルは流行り病に感染する年代だったわけだし。
ってことは、逆にムム婆さんがすげぇな。よく逃げ出さなかったもんだ。
もしかして、ジネットを一人残していけないと思って、か?
だから、ジネットはあんなにもムム婆さんに懐いて……
ムム婆さんには、労いが必要だな。
存分に贅沢して、英気を養ってもらって、少しでも長くジネットのそばにいてもらわないとな。
「それからね、オオバ君」
デミリーが静かな声で言う。
ろうそくの火を消さずにしゃべるみたいな、繊細な気遣いで、そっと。
「エステラの父、オルトヴィーン・クレアモナが倒れたのも、その流行り病のせいなんだ」
隣にいるエステラを傷付けないように、最大限に配慮する声音で。
「……父は、湿地帯の調査に参加していたんだ。領民を苦しめる病魔を見つけて対策を確立するんだって。先頭に立ってね」
そうして、流行り病に冒され……
「それで、施政から?」
「うん……。貯金の多くを使って診療して、投薬をして、なんとか命だけは取り留めたよ。けれど、……結局表舞台へは戻れなかった」
エステラの声が涙に揺らぐ。
こいつがずっと領主代行に留まっていたのは、父親が領主として復帰してくれることを望んでいたからなのかもしれない。
自分に自信がなかったってのももちろんあるだろうが、誰よりもこいつがそれを望んでいたからなのだろう。そんな気がする。
「父は、お金を使う治療を嫌がっていたんだよ。そんなお金があるなら、被害者の家族への補助金にって……でもね、領民のみんなが『領主様にこそ治療を』って言ってくれてね」
クレアモナ家は、代々領民に愛されてきた領主だったようだ。
「ヤシロに出会うのがもっと早ければ、魔法みたいな力であっという間に全快していたかもしれないけどね」
「アホか。俺は魔法使いじゃねぇぞ」
俺には、出来ないことの方が断然多い。
ほとんど何も出来ないと言ってもいい。
俺に出来るのは、他人の目を欺くことだけだ。
流行り病が猛威を振るい、働き手を多く失った四十二区は、一層貧困に喘ぐことになる。
川魚や西側の農場で作られた野菜のイメージ悪化もそれに拍車を掛ける。
よく、首の皮一枚であろうと繋ぎ止めていたものだ。
「エステラ」
他の誰がなんと言おうが、俺は胸を張ってこの言葉を贈れる。
「よく頑張ったな。すげぇよ、お前は」
「やし……っ!」
エステラの顔がぐにゃりと歪み、美しい雫が飛散する。
テーブルを乗り越え、向かいの席から飛びかかってくるエステラを、立ち上がって受け止めてやる。
座ったまんま飛びかかられて後方にすっ転ぶなんて無様は、今は晒せないからな。
「ボク……なにも、できなくて…………っ! 見捨てなきゃいけないことも、多くて…………ボク……ボクはっ!」
「アホ。お前だから、ここまで来れたんだ」
初めて見た四十二区は悲惨なものだった。
だが、一年ちょっとでこの街は大きく変わった。
これからも変わる。
「お前がいたから、四十二区は生きながらえたんだよ。もっと笑って、思い切り胸を張れよ、微笑みの領主様」
「ぅ……ぐ…………微笑みの領主って……言ぅなぁ…………ぅうっ!」
泣きながら俺の胸をぽかぽか殴り、顔を見上げてにへらっと笑ってみせる。
大失敗な笑顔だが、無防備で純粋で、いい笑顔だと俺は思った。
「まぁ、胸を張れなんて無茶振りもいいところだろうが」
「うるさいよ」
どぅ……っ!
ぽかぽかが、一発だけ『ずんっ!』になった……鎖骨が……俺の鎖骨がぁ……
「まったく……君たちは仲が良過ぎるね」
俺にひっつくエステラをそっと引き剥がし、デミリーが困ったように眉毛を曲げる。
「信頼関係にあるのはいいことだけれど、ほどほどにね。今回のことは見なかったことにしてあげるから」
ぽんぽんとエステラの髪を撫で、「淑女は淑女らしくするようにね」と、まるで血縁者のような注意をする。
エステラも「はい……ごめんなさい、オジ様」とまるで娘のように謝罪をしている。
淑女らしくったってなぁ。
「エステラは甘えん坊だから、すぐ誰かに引っ付くだろ。気を付けられるのか?」
「べっ…………別に、君に甘えたいわけじゃないよ、ボクは」
そっぽを向く首筋が真っ赤だ。
「給仕長の彼女に引っ付くといいよ。ナタリアだったね。彼女に甘えるといい」
「……いえ、ナタリアに甘えるのはちょっと…………」
弱みを見せたくないもんな、あいつには。なるべく。
どこで何を言われるか。最もダメージが大きいであろう時を狙って的確に暴露するからなぁ、ナタリアは。
「なら、陽だまり亭の店長さんがいいよ。彼女の包容力は、私から見ても素晴らしいものだ」
「ジネットちゃんになら、素直に甘えられます。えへへ……ぎゅ~ってすると気持ちいいんですよ」
「そうかいそうかい。それを経験できないのは少し残念だが、エステラに素敵な友達がいることに安心できるよ」
くそ、デミリーが言うとイヤらしさが感じられないのはなんでだ?
「それを経験できないのは残念だなぁ、でゅふふ」とか言えばいいのに。
「ぎゅ~ってすると気持ちいいんですよ~、でゅふっ」とかさぁ。
「なにせ、陽だまり亭の店長さんは、オオバ君ですら受け止めて包み込めるほどの大物だからね。それほどの逸材はそうそういないよ」
俺がいつジネットに甘えて包み込まれたって……見たような口利きやがって。
「エステラ。デミリーがジネットのおっぱいの話をしてるぞ」
「してないよ!? どこでどうなってそうなったんだい、オオバ君!?」
「ぽぃ~んと受け止めてむぎゅう~っと包み込める『大きいもの』だって」
「言ってない装飾語がいろいろ追加されてるよね!?」
「まぁ、確かに。俺もエステラもジネットには甘やかされているからな」
その点は認めてやろう。
認めた上で――
「エステラ。今から一緒に、これから一緒に、埋まりに行こうか」
「ボクが君を殴りに行こうか?」
共感が得られない。
なんてヤツだ。
ともあれ、豪雪期の時にジネットが寂しそうな顔をしていた理由が分かった。
この話は、無闇に口にしていい話題ではないな。
知れてよかった。
知らないまま、迂闊に口にして誰かを傷付けてしまうのは避けたいからな。
「ヤシロにはもっと早く話しておくべきだったよ。悪かったね」
「いや、お前もいろいろ言いにくいこともあっただろ?」
自分の父親のこと、守れなかった者たちのこと。
こいつはそういうことを「過去のこと」と割り切って前に進むのが大の苦手だ。
どこまでもどこまでも、ずるずる引き摺っていくヤツだ。
話し出すタイミングを見つけられなかったのだろう。
ジネットもきっと、まだ引き摺っている。
仕方ないと思おうとしても、変わってしまった風景がずっとそこにあるんだもんな。
「まぁ、アレだな」
起こってしまった悲劇をなかったことには出来ない。
それを忘れてしまえばいいとも言えない。
だから、せめて。
「こっから西側はどんどん賑やかになるから、ちゃんと記録として書き残しておけよ。遠い未来に『そんなこともあったんだ』って勉強できるようにな」
つらい過去に負けないくらいに楽しい未来にしてやろう。
「デミリーも、いてくれてありがとうな」
世話焼きなお人好し領主にも礼を言っておく。
「ふふふ。オオバ君が素直に感謝を述べるなんて、貴重な経験をしたよ」
「室内が明るくて助かったよ」
「素直に感謝を述べてよ! ねぇ!」
感謝してるって。
その証拠に――木こりギルドを総動員して、西側を大いに盛り上げる計画とか立てたくなっちまってるもんよ。
港が完成したら、港で働くヤツらを西側に住まわせて、陽だまり亭の周りももっと賑やかになるようにいろいろ誘致してやる。
雪のプレイスポットとか、林の中に自生している果物を管理して梨狩りを売りにした果樹園とか、楽しげなものを作って人を呼んで仕事を生み出し、定住者を集めてやる。
ま、何年かかるか分かんないけどな。
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