早朝から叩き起こされて準備に奔走し、お披露目会でこき使われて、日が暮れる前にと急いで四十二区へ戻って、帰るや否や店を開けてなだれ込む客を捌くなんて、そんな一日は絶対嫌だからな!?
――と、昨日思った俺なのだが、すでに早朝から叩き起こされて準備に奔走している。
イヤな予感ばかり的中するこんな世の中ってば、なんてポイズン。
昨日の夜は、前回出来なかった食べ歩きを敢行した。
今回は浴衣ではなかったが、炎に照らされる夜の街を歩くのはちょっとわくわくした。
さすがというか、四十二区へ入り浸っているルシアの治める区だけあって、光るレンガがあちらこちらに設置されていて夜でも大通りは明るかった。
松明を使用していた店は、店の雰囲気のために敢えてそうしているような店ばかりで、多くの店が光るレンガを導入していた。
なんか、街の雰囲気が四十二区に似てきたな、この街。
明日には陽だまり亭に帰って営業することが決まっているため、準備は早朝から始めなければ間に合わない。
それが分かりきっていたので、夜の買い物と散歩は早々に切り上げ、俺たちは酔っぱらいどもが酔いつぶれるよりも随分早く眠りについた。
で、今だ。
まぶたが重いぜ。
「おにーちゃん。まぶたが重いーー……むにゃむにゃ」
「俺は、お前に乗っかられてるから肩も重いよ」
人の背中で眠るな、ハム摩呂。
寝るならベッドかウーマロの背中にしろ。
まぁ、今はどっちもないんだけども。
「わざわざ移動なんかしなくても、領主の館の庭でやりゃあいいだろうが」
「たわけか、カタクチイワシ。不特定多数の者を敷地内に入れられるわけがないだろう」
「エステラんとこは入り放題だぞ?」
「そんなわけないだろう!? 普通に許可のない者は追い返しているよ!」
え!?
俺、追い返された記憶ほとんどないけど!?
それこそ、最初の一回くらいだ。
「エステラもナタリアも、セキュリティって言葉知らないのかと思ってた」
「ヤシロ様だけですよ。フリーパスなのは」
「なんでヤシロがフリーパスなのか、ボクは少々問い詰めたい気分だけれどね」
問い詰めろよ。
まぁ、ナタリアが聞き入れないと思うけどな。
フリーパスといえど、エステラの風呂を覗くようなことは出来ない。させてもらえない。きっとナタリアや他の給仕にがっちりガードされる。
俺がふらっと入れるのは、エステラに有益な話がある時や、エステラが悩んだり困ったりしていて俺の力を借りたいと思っている時くらいだ。
……あれ? なんか俺、いいように使われてる?
「エステラ。追加料金を寄越せ」
「なにのさ!? ボクの方こそ、我が家の門の通行税を君から徴収したい気分だよ」
そんなことになったら絶対近付かないけどな。
別に何があるわけでもないのに、領主の館ってのは厳重な警戒をしているもんなんだな。
盗聴器や盗撮カメラがあるわけでもなし。何に警戒してるのやら。
「そんなに下着泥棒が多いのか?」
「君の発想の貧困さには、たまに眩暈を覚えるよ」
「最もオーソドックスな危険は、毒物でしょうか」
ナタリアが俺にも分かる脅威を教えてくれた。
なるほどな。
エステラが触りそうな場所にこっそり毒を塗っておけば、暗殺が出来てしまうのか。
……四十二区が平和過ぎてそういう危険を忘れかけていた。
「エステラ様は、性的にむらむらするモノを片っ端から嗅がずにはいられない嗅ぎっ娘ですので、毒物にはことさら注意を払っているのです」
「不名誉なデマカセを流布しないでくれるかい、ナタリア!?」
あながちあり得ないことでもないだろうに。
お前、嗅ぎっ娘だし。
そんな話をしながらルシアについて歩いていくと、三十五区の大広場へと出た。
四角い形をした広場の先には、広場を見守るように大きな教会が建っていた。
やっぱり、大通りから遠く離れた辺鄙な場所に教会がある四十二区は変わってるんだろうな。
四十二区の教会は、湿地帯を見張るような位置に建っている――と、思っているのは俺の考え過ぎではないと思う。
あの場所に教会があるのには、きっと何か意味があるのだろう。
あぁ、そういや、二十四区の教会も人目を忍ぶような場所に建ってたっけ?
やっぱり、何かしら目的や意味があって建てる場所を決めてんだろうな。
で、そんな教会が見守るような、見様によっては神聖にも見えなくもない大広場に、巨大なステージが出来上がっていた。
「あ、ヤシロさん、みなさん! ちょうど今完成したところッスよ~!」
ステージの上で、こちらに向かって両手を振っている元気なウーマロ。――と、足元に転がる見覚えのない大工のたちの屍。
いたよ。
俺よりもはるかにこき使われてる男。
つか、なんであいつはあんな元気なんだ?
「よかったです。ウーマロさん、この街の大工さんと仲良しになれたようですね」
「えっ、俺の目には修復不可能な深い溝が出来上がったように見えるけど!?」
ジネットには、協力し合い達成感に打ち震えている男たちの図に見えているようだが……これ絶対、体力が回復したら「お前、ふざけんなよ!?」って掴みかかられるパターンじゃね? 「どんだけ酷使してくれてんだ!?」って。
「ふむ。言ってみるものだな」
出来上がった舞台を眺め、ルシアが感心したように言う。
「本当に出来るとは思わなかったぞ」
「無茶だと分かって発注したのかよ……鬼か、お前は」
「いや、ヤシロ。君だって人のことは言えないんじゃないのかい?」
「俺はウーマロを信用してるもん」
「私も同じだ。キツネの棟梁は信用に足る男だと思っているぞ」
「……信用も、口にする人によって随分印象が変わるよね」
エステラが微妙な表情で乾いた笑いを漏らす。
俺は別に脅迫とかしてないぞ?
ルシアのは脅迫だったけど。
「出来るよな? 信用してるぞ。期待を裏切るなよ? ん?」みたいな。
「それにしても、立派なステージだ」
想像以上の出来栄えに、ルシアは大層ご満悦だ。
昨日言って朝のうちになんとかしとけって依頼だから、もっと適当なみすぼらしいものになると思っていたのだろう。
「……ウーマロなら、これくらいは当然」
「もちろんです! ウーマロさんは、やれば出来る子ですから!」
四十二区の連中は、このクオリティを期待していたみたいだけどな。
低めの舞台は、きっとガキどもを舞台上に上げることを想定しているのだろうし、それを見守る観客席も、どこに座っても舞台がよく見える設計になっている。
何気に、後ろにそびえる教会も含めて見栄えとか意識してないか、このデザイン?
観客たちの目には、相当インパクトのある舞台に映るだろう。
そんな、非の打ちどころのない舞台へ近寄り、ある一角の板に人差し指を這わせる。
「……このへん、カンナあまくない?」
「鬼か、あんた!? 精一杯やったわ!」
三十五区の大工がむくっと起き上がって、涙目で俺を非難する。
あぁ、ごめんごめん。トルベック工務店の連中のつもりで接してしまった。
連中なら「鬼ぃー!」とか言いながらも、次回からはきっちりとグレードアップしてくれるんだよなぁ。
「一分の隙もなくして何も言わせない仕事をするぞー!」みたいなノリで。
うん。
やっぱ、四十二区に住むと社畜ウィルスに感染するんじゃね?
たぶん、こっちの大工たちの反応が普通だと思うぞ。
「ここは子供が通るかもしれないッスから、危ないッスね。ハム摩呂、カンナかけておくッス」
「はむまろ?」
「返事は?」
「はむまろ?」
「それは返事じゃないッス!?」
「任されたー!」
「よし。頼むッスよ」
「たか~いたか~い、頭やー!」
「頭が高いとか、どの口が言ってんッスか!?」
「おねーちゃんの口ー!」
「あたし言ってないですよ!? 冤罪もいいとこです!」
とかなんとか騒いでいる間に、ウーマロはハム摩呂にカンナを渡し、ハム摩呂は慣れた手つきでカンナをかける。
おぉ、うまいじゃねぇか。これだけ出来りゃ上出来だ。
「あ、あんな小さいガキが、こんな綺麗なカンナを……!?」
「トルベック工務店……恐ろしい」
三十五区の大工たちがハム摩呂のかけたカンナの削りカスを見て驚いている。
ごくりと生唾を飲み込む音がここまで聞こえてきた。
ハム摩呂、他所の大工に驚かれるほどの腕前なのか?
ウーマロ。ちょっと気に入って仕込み過ぎじゃね?
「それでは、わたしたちは調理の支度を急ぎましょう。もうすぐ、街の人たちが集まってくると思いますから」
太陽が意気揚々と空を昇り始めている。
朝食が済んだ後、今回のお披露目会が行われる。
それまでにもち米を蒸して準備をしておかなければ。
あんこときな粉は朝のうちにルシアの館で作ってきた。
あとは、人が集まった後で餅つきを披露して、昼飯前に早々に立ち去るのみだ。
帰りに海鮮を買い込んで、七輪で浜焼きにしよう。……もう当分餅は見たくもない。
そんなこんなで準備に追われ、太陽の温かさを感じ始めたころ、三十五区餅つきお披露目会が開会した。
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