大衆浴場へ向かうメンバーは、俺、エステラ、タートリオ、ルピナス、そしてカンパニュラにテレサ、護衛としてノーマ、店の前で捕まえたハビエルだ。
「なんで急に風呂に行く話になってんだよ……」
「バカ、静かにしろ。タートリオたちには内緒なんだから」
「おぉっと、そうか。悪い悪い」
なんだかんだ言いつつ、ハビエルはこういうイタズラが大好きだ。
文句を言う振りをしつつ、ノリノリなのがよく分かる。
デリアは陽だまり亭に残ってもらった。
ジネットたちの護衛と、アホのゲラーシーが作り過ぎた綿菓子の後始末を頼んである。
カンパニュラとテレサでさえ、一つ食べた後は「そんなに食べられません」と言っていたのに、デリアの『別腹』は異次元に繋がっているらしい。
綿菓子って、結局のところ砂糖の結晶なんだよな。
よくあんなに食えるもんだよ……
というわけで、デリアの代わりにノーマについてきてもらうことにして、このメンバーとなった訳なのだが。
「待て、オオバヤシロ」
「は~ぁ……」
呼んでもいないのにゲラーシーがウッキウキ顔で陽だまり亭から出てくる。
おい、ゲラーシー。お前の斜め後ろでクール美女がすっげぇため息吐いてるぞ。いいのか、放置して。
「アソコに行くんだろ? 私も同行してやる」
「いや、いらねぇから帰って仕事しろよ」
「領主には息抜きも必要なのだ」
「お前、さっきまで綿菓子で大はしゃぎしてたじゃねぇか」
息抜けまくって、お前が浮き輪ならとっくの昔にぺったんこだぞ。
「それに、コーリン卿とは、少し話がしたいと思っていたのでな。ホイルトン家のことで」
情報紙発行会役員の一角で、孫がウィシャート家の娘を嫁にもらう代わりに発行会の運営手形をごっそりと売り払ってしまった、今回の騒動の原因の一人だ。
情報紙を我が物にしたいと欲をかいたセリオント家と、そこに付け込んでいいように操ろうとしているウィシャートが最も悪いとして、二十九区在住の貴族ホイルトン家もかーなーりー悪い。
裁判になればしっかりと『共犯』というポジションに名を連ねることになるだろう。
「何か動きがあったのか?」
「いや、……こんなところで話す話ではないのだが」
と、話し始めるゲラーシー。
そーゆーところが、マーゥルに怒られる所以なんだぞ。
「情報紙の影響力は言うまでもないとは思うが、その発行会の役員が二十九区にいるというのは、実は二十九区にとっても少々メリットのある話だったのだ」
有力者が自区にいると、何かしらいいことがある。
それは四十一区の狩猟ギルド然り、四十区の木こりギルド然り。
それが情報発信メディアともなれば、何かと優遇してでも自区に留まってほしいと思うものだろう。
少なくとも、「敵には回したくない」という意識が働くのは想像に難くない。
「いくつか、ホイルトン家には特権が与えられていてな――古い話で言えば、マメの消費義務の免除なんかがな」
今でこそなくなったが、マメの消費義務は実に無駄で面倒なものだった。
マーゥルでさえその義務からは逃れられていなかったのだ。
それを免除されるというのは、相当な優遇だろう。
「まぁ、それ以外にもいろいろあるのだが……ヤツは現在『運営手形』をすべて二十三区のセリオント家に売却してしまった――そうだったな?」
その辺の話はマーゥルの耳にも入っている。
「ゲラーシー、よく知ってたな」
「姉上の耳に入ったものは全部私の耳には入るわ!」
いやぁ~、それはどうかなぁ?
あのマーゥルが得た情報を無条件でお前に流すとは考えにくい。
概ね、都合のいいように情報の開示秘匿を使い分けていることだろう。
「話を戻すが、『運営手形』がなければ、ホイルトンは情報紙発行会を引退したということになるであろう? つまり、今現在ホイルトン家は不当に領主より特権を受けている状態というわけだ。役員を降りたのであれば、速やかにその旨を報告し得ている特権はすべて返上するのが筋であろう。それが、なんの音沙汰もないのでな」
「それで、一応当事者に確認を取ろうってわけか」
「あぁ。現在はあくまで状況証拠と又聞きの情報だけだ。足場を固めるためにも、被害を受けているコーリン家の者に話を聞きたいと思っていたのだ」
真面目な表情でタートリオを見て、ゲラーシーが言う。
その後ろでは、イネスが無表情で立っている。
何も言わず、何を考えているのか一切読ませない、完全なる無の表情で。
「いねしゅしゃ、ちれぃ……」
「はい。あれが、現役の有能な給仕長のお顔なのですね」
テレサとカンパニュラは、ナタリアやギルベルタ、マーゥルのところのシンディなんかと交流を深めているが、その連中が陽だまり亭で見せる表情はプロの給仕長の顔とは異なる柔らかいものだ。
現在、イネスが見せているのは初めて会った時のような氷の無表情。
そこにいるのに存在が希薄で見失いそうになる。
……なのに、圧倒的質量を持ってこちらを威圧してくる。そんな佇まいだ。
「そうじゃのぅ……」
イネスの顔を見ているうちに、タートリオが口を開く。
「確実に、ホイルトンはセリオントに運営手形を譲渡したじゃろうの。そうでなければ、セリオント家がワシに嘘を吐いて運営権を迫害しておることになるんじゃぞい」
「こちらには三分の二の運営手形がある」とコーリン家から運営権を奪い取ったセリオント家。
というか、現会長テンポゥロ・セリオント。
それが嘘だったら、まず間違いなくタートリオはテンポゥロをカエルにするだろうな。
躊躇すらしないだろう。
それだけのことを、ヤツはタートリオにしている。
テンポゥロも、肥満体ではあるがバカではないはずだ。節制が出来ないのと、状況が理解できないのは別だ。
さすがに、そんなリスクの高い嘘で経営権を主張したりはしないだろう。
「そうか……。どうやらホイルトン家は、領主から不当に特権を受け取っているようだな。早急に手を打たせてもらおう」
そうして、ゲラーシーの話が一段落したところで、イネスが「はぁ~っあ!」と、これ見よがしなでっかいため息を吐いた。
「なんだ、イネス!? 驚くではないか!」
イネスの反応に理解が及ばないゲラーシー。
いやだって、お前さ……
「じゃあ、話も済んだし、俺たちは出かけてくるな」
「あぁっ!? ま、まて! 私も行くと言っておるだろうが!」
「いやだって、話したいこと終わったじゃん」
「終わっても付いていくわ!」
この暇人め!
「なるほど。イネスさんは、ゲラーシー様の行動に思い悩まれていたんですね」
「そうね。貴族であれば、相手が興味を示した話は出し惜しみして、話す代わりにと自身のメリットになる状況を引き出すものよ。ゲラーシー様は今、その交渉をせずに自身の持つ情報をさらしてしまったことになるわね」
「そーゆーとき、きゅーじちょーは、どうすると、いぃ、でしゅか?」
「そうね。互いが構築している信頼関係にもよるでしょうけれど、一声かけて諫めるのがいいかもしれないわね。利益を生む情報をみすみす無価値なものにする必要はないもの」
「ありがとうごじゃましゅ! おぼぇておきましゅ」
テレサとルピナスの会話を聞いて、ゲラーシーが「はぁぁぁあっ!?」みたいな顔をさらしている。
カンパニュラでも思い至ったことに、気が付けなかったようだな、現役領主さんよぉ。
「お姉様も、気苦労が絶えないでしょうねぇ」
ゲラーシーの不出来を目の当たりにして、ルピナスが同情のため息を漏らす。
ゲラーシーがわなわな震え、ばっとイネスの顔を見る。
「イネス! このことは、姉上には――」
「報告するようにと仰せつかっておりますので」
「オオバヤシロ! 少し知恵を貸せ! 姉上対策をする! 貴様とて、俺が領主の方が何かと都合がいいだろう!? 姉上より幾分マシだろう!? な!? な!?」
すがりついてくるゲラーシーを見て、ハビエルがしみじみと、低い声で呟く。
「なんつーか、ヤシロよぉ。お前、ほとほと変なのに懐かれるよなぁ」
「お前を筆頭にな」
「はっはっはっ! ワシは筆頭なんてタマじゃねぇさ。辞退させてもらうぞ」
辞退できると、なぜ思い込んだ?
お前ほどの残念マン、そうそういないからな?
「ミズ・クレアモナ! イネスを大衆浴場へ連れていってやってくれないか! イネスもたまには息抜きが必要であろうし、あの大きな風呂であればきっとリフレッシュが出来るであろう! さぁ、イネス。私に遠慮せず、ご一緒して参るのだ!」
「ではお言葉に甘えまして。ただ、その前に――」
イネスの細い指がゲラーシーのアゴに添えられ、ぐっと力を込めてゲラーシーの顔を横に向ける。
俺たちのいる方向へ。
「今からどこに行くのかは内密に行動しているみなさんの前で、大衆浴場や大きなお風呂といったネタバレをされるのは、よろしくない行為だと思いますよ」
「……あっ」
「ご覧ください、コメツキ様の表情を」
イネスがゲラーシーに見せた俺の表情は――
「魔獣が裸足で逃げ出しそうな、邪悪さが迸っております」
「顔が怖いぞ、オオバヤシロー!?」
まったく。
ロレッタ以下のネタバレ野郎め!
ロレッタならまだ可愛げがあるから笑って許せるが、お前はダメだ。可愛さがどこにもないのにドジっ子とか……需要がねぇよ!
しょうがないので、ゲラーシーも連れて大衆浴場へ行くことにした。
こいつには、サウナと水風呂のローテーションを八回くらい繰り返させてやろう。
のぼせて倒れるがいい。このおっちょこちょい領主め!
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