早朝。
俺の体の上で丸まっているハム摩呂をぺいっとベッドの上に放り出し、俺はベッドから這い出す。
うぁ……寒っ。
ベッドの上でもぞもぞしているハム摩呂に布団をかけ直してやって、さっさと部屋を出る。
廊下に出ると、思いっきり大きなあくびが出た。
いや~、ダルいわぁ。
つれーわー、まじつれー。
カニ尽くしフェアのせいかなぁ。
なんか全然眠れなかったよなぁ。
……くっ、まだ確定もしていない事案に関して考えていたら悶々としてしまった。
一睡も出来なかったよ、くそ。
けれど、対外的にはカニ尽くしフェアのせいということにしておこう。飲酒してメンドクサイ客もいたし。
そのせいだ、そのせい。
そんな言い訳を自分自身に言い聞かせて、自己暗示をかけつつ、いつも通りの顔と声で厨房へと入る。
「おはよう」
「ぇひゃう!? おひゃよふごじゃりましゅ! ヤシロひゃん!」
あぁ~う……
やっぱ聞いていたのか、ジネット。昨日の俺とモリーの会話……
どうしよう。何か弁解を……いや、せめて言い訳を……けど、なんて言う?
『べ、別にあんたのためにあんドーナツのレシピを公開するわけじゃないんだからね!』
……いやいや、それもうほとんど肯定してるから。
むしろデレちゃってるから。
とりあえず当たり障りのない会話をしてジネットの出方を見てみるか。
「あ、カップ洗ってくれたのか? 悪いな。昨日の夜、モリーと一緒にホットミルクを飲んだんだ」
「へ、へー! そーだったんですか! まさかホットミルクだったとはー、あはは」
ジネット……下手過ぎるっ!
そして『知らなかった体』にする部分、そこじゃない。
俺とモリーが使ったってところを知ってたら、それもう現場目撃しましたって言ってるようなものだから。
どうやらジネットは昨日の会話を聞かなかったことにするつもりらしい。
なら、こっちからわざわざ話を振る必要はないか。話を振られてもジネットだって困るだろうし。
「あの、お料理っ、楽しいです! わたし、お料理好きです!」
うん。知ってる。
それはもう重々承知してるんだ。
「お料理できる時間が増えると、わたしも嬉しいですし、その……陽だまり亭の利益になればいいと、思いますっ!」
ジネット、口を閉じろ!
聞かなかったことにしたいお前を尊重しようとしてるのに、全部お前がバラす勢いで失言し続けるとさすがに浮かぶ瀬がない。
「あっ、けど、わたし、あんドーナツもカレードーナツも好きですからね」
レシピ公開によって陽だまり亭の独占状態ではなくなるそれらのドーナツは、おそらくこの先作る機会ががくんと減るだろう。
それ自体を喜んでいるわけではない、と、ジネットは言いたいのだろう。
決してあんドーナツなどを疎んでいるわけではない、と。
「あぁ。別に作るのを禁止するわけじゃないんだ。お前の気が向いた時か、俺らが食いたくなった時に作ってくれればいいよ。移動販売に回してもいいしな」
「はい。ヤシロさんが食べたくなったらいつでも作りますから、あの……いつでも、言ってくださいね……その……わたし、いつでも、作りますから」
ぷしゅ~……っと、ジネットのつむじから熱を持った空気が抜けていく。
「ぁうっ、あの…………し、仕込みを続けます」
パッと顔を逸らしてこちらに背を向けるジネット。
作業台に向かって包丁を握る……かと思ったら、両手で顔を覆い隠した。そそそっと俺から逃げるように厨房の隅へと移動する。
「その前に、五分ほどしゃがみます」
ちょこーんと、厨房のすみっこでまるまるジネット。
ん~……俺はどうすればいいんだ、この状況。
「……どうか、お気になさらずに」
と、言われてもな。
ん?
ジネットの髪に、何か…………粉?
ジネットの長い髪の毛先が白っぽくなっていた。
髪を摘まんで粉を指に付ける。
「きゃぅ!? え? あの、ヤシロさん……?」
突然髪を触られたジネットが声を上げて、目をまんまるにしてこちらを見上げる。
そんな視線を感じつつ、指についた粉の匂いを嗅いでみると……
「小麦粉、か?」
「へ? ……あっ!?」
慌てた様子で毛先を梳かして粉を払い落とす。
「これは、その、食糧庫に隠れた時に……ぅぁああ、いえ、あのっ、偶然、毛先に小麦粉が!」
どこで付いたのかを隠したいらしいジネット。
食糧庫に入ることは珍しくないのにそこまで隠したいということは……昨晩、俺が中庭に出た時は食糧庫に隠れていたんだな?
そりゃそうだよな。ジネットがそんな機敏に、しかも物音を立てずに階段を上がれるはずがない。
あぁ……わたわたして食糧庫に駆け込むジネットの姿が目に浮かぶようだ。
「そうだな……気付いたら髪の毛に小麦粉が付いてることってあるよなぁ」
ないけど。
「ですよね! ありますよね」
ねぇよ。
ねぇけど、もうなくなくもなくていいよ。
嘘が下手なのは、間違いなくお前の方だ。
……が、こんな指摘も出来ないこの現状。……どうしてくれよう。
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