「ウェンディに家族なんかいるのか?」
ウェンディは廃墟の並ぶ寂しい地区で一人、古びた研究所にこもって研究を続けていた。セロンと出会った時も、そしてそれ以降も、ずっと独り暮らしだったはずだ。
「ウェンディの家族は、三十五区に住んでいるんです」
「三十五区?」
三十五区といえば、四十二区の対角線に存在する海に一番近い区だ。
海漁ギルドのマーシャが、その街門を使って四十二区へとちょこちょこやって来ていることから来られない距離ではないのだろうが、あいつらは途中の区間は馬車移動しているだろうからな。子供の足でと考えると、三十五区から四十二区はいささか遠過ぎるのではないのだろうか。
「なんでそんな遠いところから子供一人で四十二区に来たんだ?」
昔、ロレッタがセロンやウェンディから聞き出した話によれば、ウェンディはまだ一桁台の年齢の頃に四十二区に来ており、そこでセロンと出会っていたはずだ。
「四十二区に、ウェンディが必要とする植物が生息しているからですよ」
「あぁ。そういや、あの光る粉の原材料は、四十二区の森に生息する植物だって言ってたな」
「はい。実家で研究を始め、材料を突き止めたウェンディは、思い切って家を飛び出したのだそうです」
思い切ったことをする。
「不安ではなかったのでしょうか……まだ幼いうちに家を飛び出すだなんて……」
九歳の頃、祖父さんの経営する陽だまり亭に顔を出すまで、ずっと教会の外に出なかったジネットには、ウェンディの決断は信じられないものかもしれない。
なんの伝手もなく四十二区にやって来るなんてのはな。
「ウェンディ自身は家に戻ってないのか?」
「いえ。ウェンディは、年に何度か実家に戻っているようですが……なので、以前、会いたい旨をウェンディに話したことがあるのですが……」
「ウェンディの胸に会いたいって話をしたのか?」
「いえ、ウェンディのご両親に会いたいという旨です」
あぁ、そっちかぁ……紛らわしいなぁ。
「で、会ってないってことは、断られたのか?」
「はい。『実家は遠いから』と」
「お前はずっとレンガを作ってるからな」
ウェンディの気遣いなのだろう。
だが、結婚するとなると、挨拶くらい行っておいた方がいい気がするんだよな。
「ただ……なんとなくなのですが」
そこで、セロンの表情が微かに曇る。
「ウェンディは、家族のことをあまり快く思っていないのかもしれないなと……」
「そうなのか?」
「分かりませんが……なんとなく」
恋人であるセロンがなんとなくそう感じるのであれば、その可能性は高い。
言葉ってのは、誤魔化そうとすればそこに違和感を伴うからな。
「少し、気になりますね……」
ぽつりとジネットが漏らす。
こいつの言う「気になる」は、興味本位ではなく、ウェンディが家族のことで悩みなどを抱いているのではないかという心配の意味合いが強い。
なんにでも首を突っ込んで、勝手に心配をするヤツだからな。
しかし、セロンも気にするような素振りを見せているわけだし……
「ウェンディは、家族のことをほとんど口にしません。『自分で決めたことだから』と」
自分で選んだ道。自分の夢を掴むために踏み出した道。
その道を行くために、ウェンディは孤独を選んだのだ。
「ですが、やはりどこか寂しさを抱えているような気がしてならなくて……だから、出来ることなら僕は、彼女のすべてを受け止めた上で、彼女との結婚に臨みたいと思うんです。ウェンディを、世界で一番幸せにするために……」
その言葉は、優しさと共に強過ぎるくらいの決意が込められていた。
こいつは、本気でウェンディを幸せにしたいと思っているのだ。
くそ……ちょっとカッコいいじゃねぇか。
「しょうがねぇなぁ……」
俺の呟きにセロンと、そしてなぜかジネットがぱぁっと表情を輝かせる。
そんな期待したような目で見つめるな。何が出来るってわけじゃないんだ。結婚に関しては、俺も知識がないからな……
でもまぁ、ある程度の手助けくらいは……まぁ…………してやってもいいかな。
「分かったよ、セロン。協力してやるよ」
「本当ですか!?」
「あぁ……俺も、男だ。お前の気持ちは分かるからな」
「英雄様……」
そうだよな。
結婚相手の幸せは、ちょっとでも欠けていてほしくないもんな。
100%幸せにしてやりたい。それが男ってもんだ。
どんな小さな棘でも、気になると気持ちが悪いものだ。
そんなわだかまりを残したまま、そいつを無視して幸せだなんて言えない。言いたくない。
「俺も、お前と同じように……爆乳と戯れる時は幸せな気分で心を満たしていたい派だからな!」
「あの……僕はその派閥の者ではないのですが……」
「貧乳と戯れる時は幸せな気分で心を満たしていたい派か?」
「いえ、それでもなく……」
「だがまぁ、言わんとするところは分かるだろう?」
「いえ……申し訳ありませんが……」
なんで伝わんないかなぁ!?
察しの悪い男だなぁ!?
まぁいい。要するにだ。
「ウェンディを幸せな花嫁にしてやればいいわけだな」
「『幸せな花嫁』……素敵な言葉ですね」
ジネットがうっとりとした瞳で虚空を見つめる。
その視線の先に、何を幻視しているのだろうか…………気になるな。
気になるが…………聞けないよな。
なので、別のことを尋ねてみる。
「なぁ、ジネット」
「はい」
「この街での結婚ってのは、どういう流れなんだ?」
「流れ……ですか?」
いや、ほら。結婚するにはいろいろ手順ってあるじゃん? 「娘さんを僕にください」とかさ。
「まず、好きな方を見つけます」
「スタート地点が遠過ぎるな……もうちょっと進展したところから始めないか?」
そのまま放置すれば、「初デートは公園でお弁当を食べて~」とか延々と語りそうだったので、大幅にショートカットさせる。
まぁ、聞いてみたい気もしなくもないがな。ジネットの理想のデートとやらを。
「お互いの両親に挨拶に行ったりくらいは普通にするんだろ?」
「そうですね……基本的に子供の頃から近しい間柄同士で結婚することが一般的ですから、貴族の方以外はあまりきちんとした挨拶などはされないものだと聞きますが」
なるほど。一般人の場合、同じギルド内とか、近所に住む者同士とかで結婚するのが普通なのか。なら、親子ともども面識があるわけだから、改まって挨拶するなんてこともそうそうないのだろう。
ってことは、セロンとウェンディのケースは、このオールブルーム内ではかなり異例の結婚なのかもしれない。
「だとしたら、やっぱり結婚の前に、一度挨拶に行くのもいいかもしれんな」
「そうですね。出来ることなら、多くの方に祝福していただきたいですし。ウェンディを幸せに出来る男であると、認めていただけるよう、きちんと挨拶に伺いたいですね」
「ウェンディがいいと言えば、な?」
「……そう、ですね」
現状、ウェンディはやんわりとした拒否しかしていないようなので、本当のところどう思っているのかは分からない。もしかしたら、本気で両親に会わせたくないと思ってるのかもしれないし、だとしたら無理強いするのは得策ではない。
いくら相手のためと前置きしようと、心の奥底ではそんなふうに思っているわけないと確信できようと、相手の理解も得ず行動に移すのは単なるエゴでしかないからな。
とにかく、一度きちんとウェンディに聞いてみるべきだ。
「婚約とかはするのか?」
「貴族の方はされるようですね。指輪を送られるとか」
そこらへんは同じか。
要するに、日本でやっていたようなことは貴族たちしかしてないってわけだ。
「一般の方の場合、結婚の意思が固まったら、領主様のもとへ行き書類を提出します。それで、結婚したと認められるんですよ」
「それから?」
「へ? それで終了……です、けど?」
「そうか……」
婚姻届みたいなものは存在するらしい。
だが、それで終了って……
誕生日のような祝い事のなかった街だ。一般人が結婚式を挙げるようなこともないのかもしれん。
言われてみれば、教会で式を行った者など、この一年見たことがない。
結婚式も、やるとすれば貴族とか、その辺の連中だけなのだろう。
で、たしか花束を送ればプロポーズの意思表示が出来るんだっけか、この街では。
……その際、プロポーズなんかはするものなのだろうか?
「なぁ、プロポーズとかってやるもんなのか?」
「そうですね。わたしたちのような一般市民には無縁なことかもしれませんが、貴族の方は求婚の際は熱烈な思いを言葉にして贈られるそうですよ。……素敵ですよねぇ」
うっとりとするジネット。
花束に言葉を添えて求婚する。そういうプロポーズは、女子の憧れらしい。
絵本のお姫様に憧れるようなものなのだろうか。
だが、現実は書類を提出して終わり。ってのは……なんだか味気ねぇよなぁ。
「ですが、最近はそうでもないようですよ」
ジネットの言葉を訂正するように、セロンが口を開く。
少し照れくさそうに……けれどどこか嬉しそうに、セロンは口の端を緩める。
「英雄様の影響で、四十二区ではプロポーズをする方が増えているようなんです」
「……俺の、影響で?」
なんだかすごく嫌な予感がする。
どういうことなのかとセロンに問おうとしたのだが、セロンの背後から現れた馴染みの顔がそれについての解説をしてくれた。
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