「カタクチイワシ」
白組陣営から離れて一人でふらふら歩いていると、俺の目の前にルシアが現れた。
仁王立ちで俺を待ち受けている。
「んだよ」
「貴様は他区の給仕を手懐けるのがうまいようだな」
「見てんじゃねぇよ……」
俺の意図したことじゃねぇわ。
「懇意にしている給仕長が他所に出来たのであれば、もうウチのギルベルタにはちょっかいをかけるでないぞ。……ふん。清々するというものだ、ぺっぺっ」
子供みたいに悪態を吐いて、驚くほど綺麗な姿勢で去っていくルシア。
あいつがわざわざそんなことを言いに来たということは……なるほどね、ギルベルタなら、そうかもしれないな。
くるりと辺りを見渡し、赤組の中に紛れるように身を潜めてこちらを観察しているギルベルタを発見した。
オメロのデカい体の陰に隠れて、頭だけをひょっこりと出している。
じっとこちらを見つめるギルベルタ。
手招きをすると、触覚がぴくっと動いて、すそそそっと、静かな足取りで近付いてきた。
「どうだ、赤組は?」
ギルベルタが目の前に来るのを待って、そんな話題を振る。
「特に見受けられない、大きな問題は。ただ一点、ルシア様の痴態がエスカレートしているというのを除いて」
「一番面倒な問題が巻き起こってるようだな」
それ、除いちゃいかんだろ。
というか、それこそが大きな問題なんじゃねぇか。
「とりあえず、うまくやってるようで安心したよ」
「よくしてくれている、赤組のチームリーダーたちは、ルシア様や私に」
「そうか。それはよかったな」
「よかった思う、衝突がなくて」
デリアたちがギルベルタやルシアを受け入れているというのもそうなのだろうが。
「お前が受け入れられようと努力した成果だな」
こいつが、ルシアと他の連中との間をうまく取り持っているってのが大きいだろう。
デリアなんかは好き嫌いがはっきりしているからな。
そのデリアがルシアに対していい印象を抱き、『様』なんて敬いの姿勢を自然と見せているのは、そばにいるギルベルタがそうなるように取り計らっている証拠だ。
「偉いぞ、ギルベルタ。たいしたもんだ」
こういう頑張り屋になら、俺は惜しみなく称賛を贈ろう。
「褒めてくれるのか、友達のヤシロは、私を?」
「もちろんだ。お前はすごいよ、ギルベルタ」
「嬉しい、思う。私は……」
ギルベルタの触覚がぴこっと揺れる。
こんなもんで喜んでくれるならお安いものだ。
「では、期待してもいいか? 私は、ご褒美を?」
ご褒美?
と、思ったら、ギルベルタが無言で頭を差し出してきた。
小さな頭がこちらに向けられている。
なんとも分かりやすい催促。
マグダといい勝負をする分かりやすさだ。
「へいへい。ご期待通りに」
ぽんぽんと、軽く叩いて、ふわっふわっと髪を撫でる。
機嫌のよさが触覚に表れている。ぴこぴこと楽しげに跳ねている。
「今こそ言う、私は、万感の思いをこめて……『むふー』と」
「……いつマグダに教わったんだ、それ?」
「憧れていた、密かに、私は、随分と前から」
いつか機会があれば言ってやろうと思っていたらしい。
憧れるほどのことかね……
「……いいな、やっぱり。優しい、私に、友達のヤシロは」
いつもより少しだけ俯いて、前髪で瞳が見えなくなる。
けれど、その下で満足げに緩んでいる口元はばっちり見えて、ギルベルタの機嫌がいいのは一目瞭然だった。
「ルシア様も……優しい思う、私は」
「まぁ、お気に入りの給仕長には甘々だよな」
ギルベルタを喜ばせるためになら、俺にわざわざ声をかけてきたりするんだからよ。本当は俺になんか頼みたくもないだろうに。
「なので、今日はちょっとだけ見えやすくしている、触覚を。サービス」
「それで触覚を出してたのか」
いつもは前髪の中にしまい込むようにしている小さなグンタイアリの触覚。
今日は鉢巻で前髪を少し持ち上げてよく見えるようにしてある。
ハム摩呂に浮かれ過ぎるルシアを、多少は牽制する意味合いもあるのだろう。でなきゃ、ハム摩呂にべったりになりかねないからな、あの変態は。
「なら、ちょっとだけルシアに感謝してやろうかな」
「友達のヤシロが? なぜ?」
「お前の触覚が拝めたからな。ぴょこぴょこしてて可愛いぞ」
「かゎっ……!?」
『くわっ!』と目を見開いて、ギルベルタが拳を握りしめる。
「剃る! 私は、前髪をっ!」
「待て待て待て!」
「全部っ!」
「前髪も可愛いから、落ち着け!」
「伸ばす! 私は前髪をっ!」
「極端か!?」
なんだ?
給仕長って、そんなにも褒められ慣れてないのか?
普段罵声しか浴びせられてないのかよ?
普通だろうが、いつもと違うことを思い切ってやってる健気系女子に、その努力を肯定してやるのなんて!
ミリィとかギルベルタには優しくしようって思うのは、男子なら普通だろうが!
それがなんで前髪剃るor伸ばすになるんだよ!?
……ったく。
「ギルベルタ。今回はチームが分かれちまったが、別にそれで俺たちが敵対しているわけじゃない」
「もちろん。そう思っていた、私も、ずっと!」
ほわっと、ギルベルタの表情が和らぐ。
そうかそうか。そんなに気にしてたのか、違うチームだってことを。
そうやって表情が綻ぶってのは、そうしたかったけれどそう出来ない、そうしちゃいけないって思い込んでたって証拠だ。
そんなもん気にしなくていいんだよ。
俺とギルベルタは友達だ。
ルシアはともかく、俺はギルベルタには優しくしたいと思っている。
だから、な、ギルベルタ。
「次の競技、同盟を組まないか?」
「同盟……」
ギルベルタの小鼻が膨らむ。
そして非常に珍しく、ギルベルタの口角がにっと持ち上がった。
「……詳しく聞きたい思う、私はっ」
素直でいい子ちゃんなギルベルタに、俺は話を持ちかける。
出来ることならルシアを引き込みたいと思っていたのだ。だが、ハム摩呂の花嫁になることに躍起になるルシアを引き込むのは難しいと思っていた。
だが、ギルベルタが動いてくれれば……なんとかなる。
デリアには、あとで直接話を通しておく。
よし、これで次の競技も勝利の確率を上げられる。
現在最下位争いをしている赤組との同盟なら、白組が首を絞められることもないだろう。
一番厄介な青組と、メドラのいる黄組を白赤同盟で叩き潰してやる!
「――って作戦だ」
「理解した、私は。過不足なく伝達してくる、ルシア様に。そして、必ずや届ける、朗報を、友達のヤシロに」
「よし。じゃあ頼んだぞ」
「了解した、私は」
嬉しそうにジャンプ&ターンをして、赤組陣営へと駆け戻っていくギルベルタ。
よし。じゃああとは白組の体制を整えないとな。
――と、振り返ると。
「給仕長なら誰でもいいのですか、あなたは?」
イネスが、物凄く冷たい目で俺を見ていた。
……俺が手当たり次第手を出しまくってるみたいな濡れ衣着せるのやめてくれる?
こっちにもいろいろあるんだよ。お前ら『BU』との対立ではがっちりタッグを組んだりしたからな。
「前髪くらい、私も剃れますけれど?」
「それ、俺が望んだことじゃないから」
剃毛フェチじゃないからな、俺?
おデコフェチでもないし。
「つむじ付近まで前髪を剃り、後ろ髪をまとめてその空いたスペースに乗せましょうか?」
「それ、チョンマゲつって、俺の故郷で実際あった髪型だから……」
イネスのチョンマゲ姿は見るに堪えない。
なので全力で止める。
「イネス。次の競技も力を借りたい。頼めるな?」
「………………頭を……」
「撫でればいいのか?」
手を持ち上げると、イネスは自身の両腕で頭を庇いつつ俺から距離を取った。
伊勢エビも真っ青なバックステップで。……なんだよ。まるで俺が痴漢しようとしたみたいに……背筋寒くなるからそういう反応やめて。マジで。
「な、撫でるのは……もう、当面必要ありません……あの……もう、お腹いっぱいですので……」
拗ねながらも、照れはしっかり残っているようだ。
んじゃ、「頭を」どうしたいんだよ?
「撫でさせてください」
「……は?」
「あなたの望む仕事を見事完遂した暁には、こちらが満足するまで頭を撫でさせてください」
……えっと………………なんで?
「…………」
「…………」
「…………」
「…………いいけど」
「契約成立です」
「便乗します」
「デボラ!?」
いつの間にかイネスの後ろにデボラがいた。
無駄に隠密性の高いヤツめ!?
「撫で回します」
「撫で倒します」
「にゅふふふ……」
「ふふふにゅ……」
不気味な笑いを残して、給仕長ズが立ち去る。
……おかしいな。
俺は、俺の身の安全のためにあいつらを引き込んだはずなのに…………軽く身の危険を感じているんだが……
「……ヤシロ」
給仕長ズの軽い暴走に頭痛を感じ始めていた俺の隣に、マグダがやって来る。
元祖、頼れる系女子。
俺のピンチを幾度となく救ってくれた頼もしい少女。
マグダ。
不思議なもんだな。
お前を見てると、なんだか心が安らぐよ。
「……マグダも、活躍に応じてヤシロを撫で、愛で、詣でる所存」
「…………詣でても御利益はないぞ?」
な~んとなく分かってきた。
こいつら、面白がってるだけなんだろうなぁ、きっと。
とりあえず、あとのことはあとで考えるとして、俺は次の競技の勝利に必要な人材に声をかけに行くことにした。
こういうのって、『現実逃避』って言うんだろうな。うん。
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