タートリオの行動は早く、翌朝には街中でその記事が話題になっていた。
『精霊教会が異例の声明発表! 外患誘致の大罪人グレイゴンとウィシャートが持ち込んだ悪魔の毒薬・エチニナトキシンの恐怖!』
そんなセンセーショナルな見出しと共に、エチニナトキシンの危険性と、それが持ち込まれた経緯、そしてその毒薬を未然に防ぐための方策が詳細に書かれていた。
レジーナの名は伏せたまま、異国の薬剤師が祖国でエチニナトキシンを駆逐した際に用いたのだというワクチンが紹介され、希望者全員に行き渡るだけのワクチンを教会が保有していることが大きく報じられている。
この辺は教会と情報紙発行会が協力して啓発活動をしているのだろう。
知識がなければ、エチニナトキシンの餌食になりかねないのだから。
教会は、なるべくすべての女性にワクチンの接種をしてほしいと呼びかけている。
レジーナのワクチンは経口接種で効果を発揮するので、注射の技術がなくても、誰でも簡単に体内へエチニナトキシンへの抗体を保有することが出来る。
貧困層にも行き届くようにと、ワクチンは無償提供される。
この辺の費用はレジーナが極限まで薬の値段を抑えたことと、情報紙が協力者としてそれなりの額を寄付したこと、そして教会が有力者へ呼びかけ寄付を募ったことで賄われている。
教会から協力の要請があれば、有力者は断れない。
なにせ、断るということは、エチニナトキシンへの対策を立てることに反対なのかという疑いを持たれることになるからな。
「え? あっ、あ~、そう。そうなんだ~、へぇ~」という評判が立てば、そいつの人生は終わるだろう。怖や怖や。
「今朝、目覚めの鐘と共に教会からも正式に声明が発表されました」
朝一番、日も昇る前に陽だまり亭へやって来たベルティーナが教えてくれる。
従来なら、教会が声明を発表すると、その声明は各区の教会を通して領主へ知らされ、領主から領民へ伝えられる。
その方法は基本的に掲示板だったりするわけで、宣伝能力は極めて低い。
だが、今回は情報紙を利用してほぼすべての家庭に情報紙が無償で配布されている。
外周区や『BU』はもちろん、内側の区にも、中央区や王族の元にもだ。
日の出前に配られた無償の情報紙を見て、人々は大層驚き、そして情報紙を握りしめて仲間内で情報の交換や確認、「ビックリだよね~」なんて共感を得るために集まって事の重大さを再認識している。
でまぁ、人が集まりやすい場所ってのがあるわけで。
それが四十二区の場合は陽だまり亭だったりするわけで。
日の出前だってのに、陽だまり亭にはよく見知った顔がわんさか集まってきていた。
「ホント、ビックリしたよね。こんな卑劣な毒薬が出回ってたなんて!」
「怖いわよね。パウラ、気を付けなきゃダメよ。パウラって人気あるから」
「ネフェリーだって、ちょっとぽや~っとしてるところあるから気を付けてよね」
「四十二区の女は魅力的だから、みんな気を付けなきゃいけないさね。まぁ、もし不埒なヤツがいたら、アタシがあんたらを守ってあげるさよ」
「あたいもか?」
「あんたはアタシが守るまでもないさよ!?」
「デリア姉様のことは、私がお守りいたします!」
「おぉ、ありがとなカンパニュラ! じゃあ、カンパニュラとテレサはあたいが守ってやるよ!」
「……マグダは店長と陽だまり亭を守る」
「あたしも協力するですよ、マグダっちょ! あたしの大切な人たちには、不埒なことはさせないです! NO不埒、NOライフです!」
「惜しいなぁ、普通はん。それ、『不埒やないと人生ちゃうねん!』っちゅー意味になっとるで?」
「えすてらさんも、気を付けて、ね? ぁの、えすてらさん、美人だし、領主だから、一番不安、だょ」
「大丈夫だよ、ミリィ。ボクにはみんながいるし、ナタリアもそばにいるからね」
「はい。どこかの不埒者がエステラ様にエチニナトキシンを使用しようとすれば、それより先に私が使用してみせます!」
「何と張り合ってるの!? 使用しないでね!?」
う~ん。
朝から賑やかだ。
「このような不埒な毒物が存在するなど、ワタクシ初耳ですわ」
「イメルダさん、美人さんですから気を付けた方がいいです!」
「では、抜き打ちでヤシロさんの身体検査をしてくださいまし!」
「持ってねぇわ」
う~っわ、信用ねーんだなー俺~、ってやかましいわ。
「というわけで、レジーナさん。早速ワクチンをくださいまし」
「薬の提供者は秘匿なんやけどなぁ~?」
「こんなすごい薬作れるの、レジーナ以外いないじゃない」
「そうそう。私たちのために薬作ってくれたんでしょ? みんなレジーナに感謝してるよ」
パウラとネフェリーに挟まれてレジーナが微妙な表情を見せる。
「なんや、困ってまうなぁ……」
褒められたからか、レジーナが困り顔を晒す。
「エチニナトキシン以上にえげつないエッロい薬持っとるとか、絶対言われへんやん」
「全部処分するように!」
「しもたー、うっかり口にしてしもたー」
「もう、レジーナったら、冗談ばっかり~」
いやいや、ネフェリー。
それな、冗談じゃねぇんだぞ?
そいつはムラムラトキシンを持ってるからな。おそらく間違いなく。
「みなさん。軽食をご用意しましたので、摘まんでください」
ジネットが一口サイズのサンドイッチが載った皿を持って出てくる。
「わ~い、パンだ。あたし、ご飯食べずに来ちゃったからお腹ペコペコだったんだよねぇ」
パウラが言って、みんなが集まる。
一口サイズのサンドイッチを手に、ネフェリーがジネットへと顔を向ける。
「今朝買ってきたの?」
「いいえ、作りました」
「「えっ!?」」
パンの密造は重罪。
それがこの街のルールだ。
そして、ベルティーナがいる前で、教会っ子のジネットがパンを作ったなんて発言をしたことに、その場にいる者のほとんどが驚いていた。
驚いていないのは、その工程を知っている陽だまり亭メンバーと、前もって事情を説明しておいたエステラとベルティーナ。あと、エステラが寝ている間にせっせと手伝ってくれたナタリアだな。
「これはパンではないんです」
「いや、でも……パン、だよね?」
すんすんと、サンドイッチのニオイを嗅ぐパウラ。
香りはまさにパンそのものだろう。
小麦と酵母のいい香りがする。
一同の視線が俺に向けられたので、答えを教えてやる。
「こいつは、フライパンで焼いたんだ。だから、教会の定めるところのパンには該当しない」
フライパンを使ってパンを焼くのは割と簡単だ。……日本では。
こっちの直火、強火、微調整断固拒否なかまどでは難し過ぎて俺は断念したのだが、ジネットが見事に再現してみせた。
じっくりと弱火で、焦げないように焼くのが本当に難しいんだよ。
しかし、ジネットが再現してみせたちぎりパンは焼き色も美しく、ふっくらもっちりと食感もよい。
石窯で焼くパンよりも、心持ちもちもちした食感になるけどな。
ベーグルほど密度が高いわけでもない。
「ただまぁ、ここまでパンに似てると、製法が違うとはいえ教会に思うところがあるように受け取られかねないから、大々的に売り出すつもりはない」
教会に頼まなくてもパンが自由に焼けるんだぜ~なんて触れ回ったら、確実に敵視されるし、下手したらケーキやドーナツまで禁止ということになりかねない。
下手に刺激しないに限る。
こういうのは、内々でこっそりと楽しむ程度に留めておくべきなのだ。
「んっ! 美味しいっ!」
「もう、完全にパンだよね、これ」
「まったく、ヤシロは、危険なものを生み出しちまったさねぇ」
「けど、美味いぞ。なぁ、カンパニュラ?」
「はい。デリア姉様、ほっぺにジャムが付いていますよ」
「うん、あとで取る!」
いや、今取れよ。
美味いパンに心持ち表情が和らぐが、情報紙が警鐘を鳴らす事態に緊張感は拭いきれていない様子だ。
「しかし、この発言は怖気が走りますわね」
イメルダが顔をしかめて情報紙の記事を指で弾く。
今回の記事の中で、最も女子たちの不評を買ったのは、やはりウィシャートが俺を脅すために発した、エステラに向けた下劣な発言だった。
ここにいる連中は、俺たちがウィシャートの館へ乗り込んだことも知っている。
なので、これを言ったのが誰で、言われたのが誰なのか、おおよそ予測が付いているようだ。
ミリィやノーマがエステラに寄り添うように座り、気遣わしげな目を向けている。
「あとビックリなのがこれだよね!」
ばん! と、パウラが情報紙を叩き付けて該当の記事を示す。
そここそが、タートリオがネグロと協力し、組合の役員を一気に追い詰める強烈な一撃となる記事。
『なお、情報紙発行会は、とある組織の役員を担う貴族の子息がエチニナトキシンを愛用しているという確かな情報を得ている。今後も調査を続け、確たる証拠を得た暁には紙面にて堂々と名指しし、非難する所存である』
こいつは脅しだ。
ネグロの親と長男、ヴィッタータス家への忠告だ。
『その恥知らずを土木ギルド組合の役員にするつもりなら、組合ごとまとめてお前らの名誉をぶっ潰すぞ』という、嘘でも冗談でもない、正真正銘の宣戦布告だ。
この記事は、王族を含むすべての家へ送られている。
タートリオのヤツ、かなり危ない橋を渡りやがった。
おそらく、後ろ暗いところがある貴族から牽制が入るだろう。が、その時は「あの記事はヴィッタータスの長男の話だ」と暴露してやればいい。
そうすれば、後ろ暗い貴族たちからの援護射撃が期待できるだろう。
おのれに火の粉が飛ばないよう、スケープゴートを作るのが得意な貴族どもからの援護射撃がな。
あとは、この記事を手にネグロが父親に交渉を持ちかければいい。
このまま長男を跡取りにして家ごと潰されるのか、次男である自分に家と役員を継がせて、家だけは存続させるのか――とな。
王族を含む国民の目の前で、教会の名の下に名指しで批判されることを思えば、跡取りの変更くらい容易いだろう。
これで、土木ギルド組合の改革の第一歩目は、思うよりも早く踏み出されることになるだろう。
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