異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

349話 次代の統率者 -1-

公開日時: 2022年4月9日(土) 20:01
文字数:3,920

 カンパニュラを三十区の領主にする。

 

 そんな俺の発言を聞き、その場にいた者はしばし無言のまま各々が思考を巡らせている様子だった。

 最初に口を開いたのは、ルピナスだった。

 

「カンパニュラは、それでいいの?」

「はい、母様」

「雲食べ屋さんはどうするの?」

「実はもう、職業体験を済ませたのですよ」

「……え?」

 

 子供の夢と決めてかかっていたそんな職業を体験したと聞き、ルピナスが俺に真ん丸な目を向ける。

 俺が頷くのとほぼ同時にカンパニュラが話し始める。

 

「昨日、四十二区は霧に覆われのです。母様はご存じでしたか? 霧というものは空気中の水蒸気が集まり可視化したもので、それは雲と同じ原理で発生するものなのですよ」

 

 そうして、昨日の朝、俺と一緒にやった雲食べ体験の話を嬉しそうに話す。

 

「でも、残念なことに、見た目に反して味はさほど良いものではありませんでした。あの味では、たくさんの雲を一度に食べるのは不可能だと思います」

 

 そんな経験を、お茶目な失敗談のように語りながら。

 

「父様。母様。私は、四十二区へ行って、そこで出会ったたくさんの素敵な方たちのおかげで、体験したこともないような素晴らしい経験を数えきれないくらいにさせていただきました。世界には、まだまだ私が知らないことがたくさんあるのですね。そして――」

 

 すっと振り返り、テレサを手招きして隣へ呼び寄せる。

 隣に来たテレサの手を取り、きゅっと握って満面の笑みを浮かべる。

 

「かけがえのない友人にも巡り合えました」

 

 カンパニュラに言われて、テレサの顔がぱぁぁあっと輝く。

 きゅっと握られた手をぎゅうっと握り返していた。

 

「すべては、ヤーくんが私を、私の体を蝕む悪いものを見抜き、そしてそれを除去しようとしてくださったことから始まりました」

 

 カンパニュラが振り返り、俺に静かな笑みを向ける。

 まるで、ベルティーナに見つめられているような気分にさせられる、慈しみに溢れた表情。

 

「ヤーくんには、返しても返しきれないほどの大恩があります」

「大袈裟だ」

「いえ。この恩を返さないままでは、私は真の幸せを得ることは出来ないでしょう。我が身を恥知らずと謗らずにはいられないでしょうから」

 

 とことこと、幼い子の足取りで近付いてくる。

 こんなに小さな娘なのに、その瞳は聖女のような品位に満ちている。

 

「私を、幸せにしてくださるのでしょう? どうか、私を恩知らずの愚か者にはさせないでください」

 

 誰も、お前のことをそんな風には言わないさ。

 でも、こいつがそれで満足するのなら――

 

「分かった。ありがとうな」

「はい。こちらが感じた感謝と同じくらい、ヤーくんにそう言っていただけるよう邁進しますね」

 

 お前からの恩返しは、おつりが多そうで怖いけどな。

 

「でももし、お前のことを恩知らずだ恥知らずだなんて抜かすふざけたヤツがいたら俺がぶっ飛ばしてやるから、どんな些細なことでもチクりにこい」

「はい」

 

 返事した後「うふふ」と楽しそうに口元を隠して笑い、俺を手招きして、背伸びしてこっそりと耳打ちしてくる。

 

「たくさん『チクり』に行きますね」

 

 俺の使う、品のよくない言葉を真似して、嬉しそうに笑う。

 よくないところは見習わないでくれよ。母親からの制裁が怖いからな。

 

「そういうわけですので、母様。父様」

 

 再び、ルピナスたちの方へと向き直り、カンパニュラが令嬢のように頭を下げる。

 優雅に。しなやかに。可愛らしく。

 

「私のわがままをお許しください。特に、母様にはつらい過去を思い出させてしまうかもしれませんが――私は、領主になってみたいです」

 

 カンパニュラは、ずっと考えていたのだろう。

 これだけ察しのいい子だ。

 もしかしたら、俺が決断をするよりずっと前からその可能性に気が付き、自分の将来について考えていてくれたのかもしれない。

 

「……いやなものね」

 

 ぽつりと、ルピナスが呟く。

 

「貴族のしがらみというのは、どんなに逃げ出しても、必ず足元にまとわりついてくるのね。それも、私本人にではなく、こんなにも幼い娘にだなんて……」

 

 確かに、ルピナスがウィシャート家の血を引き、カンパニュラがその娘であるからこそ、俺はカンパニュラを領主にと考えた。

 それは、貴族に嫌気が差し逃げ出したルピナスを、再び貴族と関わりの深い場所へ引き戻す行為だ。

 

 そしてその渦中に立つのは、ルピナス本人ではなく、最愛の、まだ幼い娘。

 

 嫌にもなるだろう。

 

「でも、私は決めていたのよ。ヤーくんにも伝えてあったわよね」

 

 憂う貴族の顔から、面倒見のいい川漁ギルドのオッカサンの顔に変わって、ルピナスがどーんと胸を張る。

 

「カンパニュラが領主になりたいというのなら、私は実家を敵に回してでもその望みを叶えてあげるつもりだってね」

「あぁ、言ってたな」

 

 あれは、ルピナスと初めて会った日。

 足つぼをやるという名目でキャラバン隊に参加して、密室で話をした時だ。

 

「好きな男と一緒になりたいというのなら有無を言わせず捕らえる――とも言ったわよね」

「はて、そうだったかな?」

 

 怖い怖い。

 しっかり記憶に刻み込まれてるよ、その危険なワード。

 大丈夫だ。

 カンパニュラに好きな男なんぞいない。

 まだ早い。

 まだまだ早いのだ。

 認めませんよ!

 俺と、四十二区オールスターズがな!

 

「なら、私も腹をくくるわ」

 

 ルピナスがもともとまっすぐだった背筋をさらにぐっと伸ばし、天を突くように立つ。

 そうするだけで、親しみやすいオッカサンの雰囲気が掻き消え、近寄りがたい貴族令嬢のオーラが迸る。

 

「次期領主の母として、完全無欠の働きを約束するわ。ルピナス・ウィシャートの名にかけて」

 

 ルピナス・オルソーという今の名ではなく、ウィシャートの名を口にするルピナス。

 それが、ルピナスの本気度の表れなのだろう。

 

「今はまだ、手続きをしていないけれど、必要とあらば、タイタさんを私の婿養子ということに変更してもらうわ」

「お、おいおい、カーチャン。タイタさんなんて、くすぐってぇよ」

「これもカンパニュラのためよ。あなたなら出来るわよね、私の最愛の夫ですもの」

「おう! カーチャンとカンパニュラのためなら、なんだってやってやらぁ!」

 

 どどんっと、自身の胸を力強く叩くタイタ。

 オルソーの名前を捨てる覚悟はあるようだ。

 

「川漁ギルドはどうにかなるのか?」

「おうよ! オレの右腕がいるからな。あいつに任せておけば間違いはねぇ。オレやオメロと同期でな、親方にビシバシしごかれた最強世代の一人なんだぜ」

 

 えぇ~……オメロがいる時点で、その最強世代って名前が胡散臭いんですけどぉ。

 

「オレと同じくらい腕っぷしが強くて、オメロと同じくらい根性がある男だ。安心していい!」

 

 いや、確かに。オメロは根性だけは凄まじいかもな。

 何をされてもデリアのもとを離れないあの根性は見上げたものだ。

 

 ただ、激しくヘタレでもあるわけだけれども。

 

「三十五区のことに関しては、こちらでなんとかする」

 

 ルシアが口を挟んでくる。

 

「ルピナスたちの婚姻関連の書類も、川漁ギルド関連の書類も、滞りなく変更できるだろう。いや、私がさせる」

 

 三十五区としては、それで問題がないらしい。

 

「ただし、平民に嫁いだルピナスが貴族へ戻ることは基本的に不可能だ。策はあるのだろうな」

 

 いくらこちらが「今日からウィシャート家!」と宣言しようが、向こうがそれを受け入れなければルピナスは貴族には戻れない。

 まぁ、当然だわな。

 貴族には相応の特権がある。

 それを、個人の都合で得たり手放したりと簡単に出来るわけがない。

 

 だからこそ、特例を認めさせる必要がある

 

「『ウィシャート』が潰れて困るのは国も同じだろう?」

 

 これまで、オールブルームの門番として強い影響力を有していたウィシャート家が急にいなくなれば、その界隈は一気に騒がしくなるだろう。

 三十区の領主なんて、うま味しかないようなポジションが空くとなれば、国中の貴族がその地位を得ようと暗躍、はたまた表立って堂々と他の貴族を襲撃し始めるなんてことも起こり得るだろう。

 

 領主の地位だけでなく、その利権にあやかろうとする貴族は慌ただしく動き回り、三十区だけでなくほぼすべての区で騒動が同時多発的に発生する。

 

 なので、そこに交渉の余地が生まれる。

 

「腐ったウィシャートを排除するのは決定事項だが、『ウィシャート』を遺す必要がある」

「うむ。名というのは、得ようとして得られるものではない。それ故に、それだけで相応の効力を発揮する」

 

 馴染みのある名前というのは、それだけで人々に安心感と信頼を与える。

 ヒット商品の名前を変更した途端売れなくなったなんて話は枚挙に暇がない。

 

 たとえ、その名が汚れていても、巨大な看板は覆しがたい力を有している。

 知名度というものは、無名という名の有象無象を一瞬で駆逐するだけの破壊力を有している。

 

『三十区にはウィシャートがいる』

 

 その事実が、目に見えた騒乱を最小限に収めるのに十全な効力を発揮する。

 それは、少しでも政に触れた者には説明のいらないことだ。

 

「貴様は、王族ですらねじ伏せる自信があるというのだな、カタクチイワシよ」

「ここの王族がバカでない限りはな」

 

 俺だけではなく、近隣区の領主と三大ギルドのギルド長が一斉に訴えを起こせば、どちらを取る方が利益になるか、バカでも分かる。

 

 そのための仕掛けも、仕込んであるしな。

 

 

「ふっ……貴様は、相も変わらずデカい口を叩く」

 

 ルシアがにやりと笑い、ルピナス以上の迫力を纏って宣言する。

 

「いいだろう。全面的に協力してやる」

 

 お前は最初から協力するつもりだったくせに、仰々しい。

 

「私も、全力を見せるわ」

「オレもだ!」

 

 ルピナス、タイタ夫妻も力強い笑みを浮かべる。

 

「では、私たちも」

「えぇ。もちろん協力させてもらうわ」

 

 そして、オルキオとシラハがゆったりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

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