「お前らご自慢の抜け道は、すべて把握している。もう逃げ出そうなんて考えずに裁判が始まるまで地下牢で大人しくしておくんだな。これが、俺から言える最後の忠告だ」
オオバヤシロはそう言った。
あの忌々しい若造め。
よくもこの私の膝に土をつけさせおったな。
「エステラ」
「うん。じゃあ、地下牢へ連れて行って」
クレアモナの小娘が偉そうに指示を出す。
いい大人が小娘にアゴで使われて、恥辱を感じぬのか。狩猟ギルドとは、それほどまでに腑抜けの集まりなのか。
女など、口を閉じて男の言うことに頷いておればよいものを!
「さぁ、入るダ。オラたちがスっかり見張ってるダから、騒いだりするんでねぇダぞ」
頭に二本の大きな角を生やした亜人が、我々を牢屋へと入れる。
「暴れるなんてナンセンス。脱獄なんて――インポッシボー」
指をパチンパチンと鳴らす、真っ赤な鳥顔の亜人。
いちいち癇に障る連中だ。
「おい、ドリノ、……と、なんだっけ、そっちのスタイリッシュな……」
「ゼノビオス、それがマイネームさ☆」
「あぁ、イサーク。この男は相手にしなくていいダ。無駄に疲れるだけダ」
亜人どもが我々の割り振りを話し合う。
四つある牢屋に二人ずつ投獄するようだ。
私だけが領主ということで一人らしい。
……ふん。くだらぬ配慮だ。
「ほんダら。交代で一日中見張るダ。夜間の担当は今のうちによく寝とくダぞ」
連中は、朝となく夜となく、常に牢屋を見張るつもりのようだ。
……それはまずいな。
なんとか、10分だけでも監視をなくすことは出来ないものか……
あの小癪な男、オオバヤシロは勝ち誇ったように言っていた。
「お前らご自慢の抜け道は、すべて把握している」と。
そして、どうやって入手したのか、我が館の見取り図を自慢げに見せつけてきた。
その時に私は笑みを隠すのに腐心した。
その見取り図には、最も重要な抜け道が記されていなかった。
十一区領主オーブリー・ハーバリアスの館へ通じる抜け道がな。
しかも、好都合なことに、その抜け道はこの地下牢の中にあるのだ。
ふふふ。
いくつかの秘密を暴きすべてを知ったつもりになっていたのだろう。愚かな平民め。
貴族という者は、貴様ら下賤な人間とは頭の出来が異なるのだ。
相手の裏の裏の、そのまた裏をかく知能を持っているのだよ!
私は、貴様のさらに一手先を見据えていたのだ、オオバヤシロ!
随分と舐めたことを言ってくれたな。
「これまでの行いを心から悔い、深い反省と共に真摯に向き合え」だったか?
しかし残念だったな。
私は過去など振り返らぬ。私が見据えるのは未来だけだ。
貴様を葬り去り、邪魔な貴族どもを蹴落として、いつしかこの国の実権をこの手中に収めるという輝かしい未来だけなのだよ!
「いいダか? 大人しくしてるダぞ」
スイギュウの亜人が牢屋の外からこちらを見下ろしてくる。
ふん。
私がこの国を治めた暁には、貴様ら亜人は追放……いや、皆殺しにしてくれる。目障りで汚らわしい。
チャンスは必ず来る。
統括裁判所へ提訴したところで、申請が受理されるのには最低でも十日はかかる。
それだけの時間があれば、監視の目が緩む時もあるだろう。
今はただ、座して待つのみだ。その好機を。
……だが。
我らが投獄されてから三日後、とんでもない通達がもたらされる。
「裁判は明朝、執り行われることとなった」
早い!
いくらなんでも早過ぎる!
どこからか力が加わったのか……
「この情報はすでに広く公示され、世間の知るところとなった。あなた方の悪事もここまでだ。観念するのだな」
見たこともない男が憎しみのこもった瞳でこちらを睨み付けている。
こいつは誰だ?
おそらく狩猟ギルドか木こりギルドの関係者であろうが。実に不愉快な目だ。
「はぁ……」とため息を吐いて、男はその口調を一変させる。
「出来ることなら、俺がこの手でテメェらを八つ裂きにしてやりたいぜ。テメェらみたいなヤツがいるからバオクリエアの第一王子派は調子に乗って、いつまでもいつまでも後継者争いが終わらねぇんだ。……親父が無事だって情報を聞いてなきゃ、俺だって正気でいられたかどうか、自信がねぇ」
「ウッセさん。あまり私情を挟むのはおやめなさいまし。彼らの身柄はもう、統括裁判所の管轄に移りましてよ?」
「……木こりの姫さんか。分かってらぁ。だから武器も持ってきてねぇ」
後ろから現れた女には見覚えがあった。
木こりギルドのギルド長スチュアート・ハビエルの娘だ。
ということは、この野蛮な男は狩猟ギルドの代表者といったところか。
双方とも人間ではあるようだが……狩猟ギルドの方はダメだな。
品性がなさ過ぎる。
地べたに這いずり生きる平民など、亜人に等しい。
「俺らの代表があのエステラとヤシロだからな……ったく、あいつらはどこまでも甘い。こんなクズども、その場で始末してやりゃあよかったものを」
「それでは、真実が世間に広まらないではありませんか。『湿地帯の大病』のこと、エチニナトキシンなどという下賤な薬品のこと、そして、バオクリエアの抱く侵略の意思。それらを広く周知することこそが、四十二区の、ひいてはこの国の平和に繋がるのですわ」
ひらひらとした扇子を広げ、木こりギルドの娘は口元を隠す。
そして、氷のように冷たい声で言う。
「安易に口を塞ぐなど、知能の足りない野蛮人のすることですわ」
それは、かつて私たちが行ってきたことを非難しているようであった。
やかましい。
女に何が分かる。
邪魔者は消す。
それこそがこの世界を生き抜くための絶対正義だ。
生き残った者が正義。
勝者の発言こそが真実となるのだ。
歴史とは、そのようにして築き上げられてきたのだよ。
「これより日没まであなた方を監視いたします」
木こりの女が一枚の書類を取り出し、それを読み上げる。
「そして、日没から明日の夜明けまでの間、あなた方はおのれと向き合い、心からの反省をなさいまし。朝の鐘と同時にここを出立し、統括裁判所へ移送いたしますわ」
広げた紙を折りたたみ、懐にしまった後、木こりの女は私に向かってこう言い放った。
「懺悔なさいまし」
そう告げると、木こりと狩猟は揃って地下牢を出て行った。
代わりの狩人と木こりがやって来て、私たちの牢屋を見張り始める。
……いいぞ。
最後の最後に精霊神が我らに微笑んだ。
おのれと向き合えということは、監視の目が離れるということだ。
そうすれば、我々はこの牢屋を抜け出し、秘密の通路を通ってハーバリアスの館へ行ける。
ヤツとて、我々が裁判にかけられれば身を亡ぼすことになる。
我々の逃亡を手助けし、裁判を有耶無耶に終わらせるくらいの手は打つだろう。
打たねば、裁判の場ですべてを公表すると脅してやればいい。
なにせ、ハーバリアスこそが、我らウィシャート家一番のお得意様であるのだから。
そうと決まればその時に備えて休息をとるべきであろう。
ふふふ……
吠え面をかくがいい、クレアモナ。
いつの時代も、最後に笑うのは我々なのだ。
ウィシャート家を敵に回したことを後悔させてくれる!
そうして、時間は過ぎ――日が暮れた。
日没後、一人のシスターが地下牢へ現れる。
そいつは息を呑むようないい女で、私もよく知っている人物だった。
「たった今、太陽は沈みました」
我々を前に語り始めたのは、四十二区教会のシスターベルティーナ。
幼少の頃より、女の甘さ、愚かさ、無能さを語り聞かされ、実の姉であろうとまともに口を利くことすらしなかった私が、唯一欲した女。
当主の座に就くより以前、まだ十代だった私が偶然見かけたこのシスターは、当時から変わらぬ美しさで、あの頃よりいつか手に入れたいと願っていた。
むしろ、この女以外の女など興味も抱かなかった。
「みなさんは今、夜の闇に包まれています」
四十二区が困窮するようゴッフレードに暴れさせたこともあった。
遣いを出しウィシャート家へ嫁ぐよう働きかけたこともあった。
しかし、この女は私の物にはならなかった。
「けれど、どんなに暗い闇の中にいても、自分を見失わず、心を強く持って耐え忍んでいれば、夜明けはみなさんの前に必ず訪れます」
手に入らぬのであれば――殺してくれようか。
「みなさんは罪を犯しました。その事実が消えることは、この先一生ありません」
そうすれば、クレアモナは吠え面をかくだろう。
何かと教会を気にかけているらしい、あのオオバという男も悔しがるだろう。
「ですが、過去は変えられずとも、人の心は変わります」
それとも、エチニナトキシンを使って強引にモノにしてしまおうか?
この女が私の物になったと知った時、ヤツらはどんな顔をするであろうか……ぐっくくく、愉快だ。実に愉快ではないか。
「みなさんの罪を目撃した者たちの中に、許しの心が芽生えることもあるでしょう。いつの日か、今は敵対している者たちとも分かり合い、喜びも悲しみも分かち合える、そのような変化が、世界に、そしてみなさんの心に、起こるかもしれません」
欲しい。
欲しいぞ、ベルティーナ……
ワタシノモノニナレ!
「そのためにも、みなさんには、この暗く冷たい夜の闇を見つめていただきたく思います」
私は決めたぞ。
必ず生き延びてお前を手に入れる。
そして、クレアモナとオオバヤシロ、貴様らに復讐をしてくれる!
地獄の炎ですら生温い、苦痛と後悔と絶望の闇へ叩き落としてくれるぞ!
「懺悔してください」
ベルティーナはそう言い残すと、地下牢を出て行った。
唯一灯されていた出口脇のランタンが消され、地下牢が闇に包まれる。
重い施錠の音がして、足音が遠ざかっていく。
暗黒の中に沈黙が訪れた。
……くくくっ。
はははっ、あははははははっ!
やったぞ!
私は自由を手に入れた!
新たな野望も見つかった!
この闇が、私の新たな人生の始まりだ!
ゴン、ゴ、ゴン、と、鉄格子を叩く音が聞こえた。
ウィシャート家の者だけが分かる、音による暗号だ。
『今より五分後、脱出を開始する』
先代当主であった父からのメッセージだ。
それに対し、私は了承の意とともにこのようなメッセージを返す。
『クレアモナは、おのれの甘さに敗北す』
微笑みの領主などと持て囃されいい気なものだ。
上に立つ者に優しさなど必要ない。
必要なのは、先を見通す頭脳と、邪魔者を排除する冷徹さのみ。
それを実行できる者だけが勝者となり、勝者こそが正義となるのだ。
故に、我、絶対正義なり!
壁と床に仕掛けたスイッチを動かす。
一見すればただの石だが、微かにスライドするように作られている。
それを、三分の一だけ動かす。
この微妙な匙加減は、ウィシャート家の者にしか分からないことだ。
二年近くもここに閉じ込められていたノルベールにも発見できなかった、内側から牢屋を開ける方法。
備えを怠らなかった我々の勝ちだ。
私が牢を出るのとほぼ同時に、並んだ牢屋から六つの影が這い出してくる。
全員無事に脱出できたようだ。
足音を立てぬよう、出口目の前の小さな牢屋へ入る。
ここに隠された扉をくぐれば――
「やった。抜け出せたぞ」
「声を立てるな、愚か者め」
叔父上を諫める先代も、声は嬉しそうだ。
隠し通路には見張りもおらず、人の気配もない。
やはり、この通路は見つけられなかったか。
愚かなり、オオバヤシロ、クレアモナ。
「ささっ、ハーバリアス様のもとへ急ぎましょう」
ドールマンジュニアが腰を低くし先頭を進む。
この男は、父が妾に産ませた子だ。
卑しい身分ではあるが、身体能力に秀でていたため、暗部を任せている。
おのれの立場をよく理解しており、使い勝手はよかった。
とはいえ、所詮は捨て駒だがな。
クレアモナの罠である可能性が払拭できない以上、捨て駒を先頭に立たせ警戒して進むのがよかろう。
だが、そんな警戒も虚しく、我々はハーバリアス家へとたどり着いた。
拍子抜けだ。
「ワシが先頭に立って話をいたそう。オーブリーとは旧知の仲だ」
早々に世代交代したウィシャート家とは異なり、ハーバリアス家はいまだ老害のオーブリー・ハーバリアスが当主の椅子にしがみついている。
貪欲でがめついスケベ爺だ。
年寄りの相手は先代に任せるのがよかろう。
先代、叔父上の順でハーバリアスの館へと踏み込む。
扉を抜け、待合室にてベルを鳴らせばハーバリアスが館へと招き入れてくれる。
いつもそうやってきた。
今回も、同じように――
「うぐぅあっ!」
先代の声が聞こえ、次いで叔父上の首が飛んだ。
「主様っ、避難を!」
執事に腕を引かれ、ドールマンジュニアに守られながら、私は訳も分からず走った。
なんだ?
何が起こった?
先代と叔父上はどうなった?
「ぎゃぁあああ!」
ハーバリアスの館の方向から、悲鳴が聞こえる。身内のものだ。
……まさか。
「裏切ったな、ハーバリアス!」
そうか。
裁判でおのれの名を出される前にまとめて消してしまおうという魂胆か!
ならば、裁判が早まったのもヤツの……ヤツらの仕業か!
私に真実を話されると困る連中。
おのれ……このウィシャートを切り捨てるつもりか!
「こうなれば、裁判ですべてを告白してくれる! ハーバリアス! 他の貴族どももみんな道連れだ!」
「そんニャことをされては困るんだニャ」
ふいに、耳元で声がした。
次の瞬間、執事の悲鳴が上がる。
バカな!
いつの間に追いつかれた!?
こちらは異変を感じてすぐに全力で走ったのだぞ!
ドールマンジュニアたちの妨害を掻い潜り、こんなに早く追いつけるわけが――
「……貴様、亜人……か」
振り返り、この目で見たシルエットには、獣の耳が生えていた。
バカな。あり得ない。
三等級貴族が、暗部とはいえ身近に亜人を置くなどと……
「そういう偏見が、あんたのダメニャところだって、ハーバリアス様は言ってたニャ。使えるモノは使わニャいとニャ~」
「主様ぁ!」
「ぅニ゛ャ!?」
亜人の背後から、ドールマンジュニアが体当たりを喰らわせる。
油断していた亜人は壁へと激突し、頭を強打する。鈍い音がこちらにまで届いた。
「走ってください! まもなく、我が館の敷地に入ります! さすれば、この通路を塞ぐ鉄格子を閉められます!」
ハーバリアスの裏切り、奇襲に備えて、我が館へ通じる通路は封鎖できるようにしてある。
まさか、使う羽目になるとはな……ハーバリアスめ!
しばらく走ると、開いた鉄格子が見えた。
あそこを閉じれば追ってはこれまい。
「よくも……やってくれたニャァァアア!」
亜人が鬼のような形相で追いかけてくる。
踏みつける足がレンガの床をめくれ上がらせる。
……とんでもない馬鹿力だ。
「ドールマンジュニア、少しでよい、時間を稼げ!」
「しかし……っ!」
「命令だ!」
「……かしこまりました!」
このままでは追いつかれてしまう。
ドールマンジュニアを亜人にけしかけ、私は一人敷地内へと足を踏み入れ――鉄格子を閉める。
「主様!?」
鍵がかかる音を聞き、ドールマンジュニアが取り乱したようにこちらへ駆けてくる。
「安心しろドールマンジュニア! 我らウィシャート家の恨みは、この私がきっちりと晴らしてくれる! いつかウィシャート家が復興した暁には、貴様の名を刻んだ石碑を立ててくれよう!」
「冗談じゃない! オレを見捨てるのか!? 仲間だろ!?」
仲間?
「穢れた血を持つ貴様が、何を言っている?」
「……デイ、グレア……っ!」
「貴様のような者を、これまで特別に目をかけてやったのだ。それだけで十分であろう? 恩返しだと思って、その亜人の息の根を止めよ!」
「ちきしょぉおお!」
鉄格子にすがっていても殺されるだけ。
それが分かったようで、ドールマンジュニアは亜人へと突進していった。
最期の最期で少しは役に立てたな、ドールマンジュニア。
真実の名を呼ぶのも汚らわしい、仮初の名で呼ばれる紛い物の血族め。
「……戻るのは愚策か」
七人いた者が一人になっていれば、脱獄の罪を咎められるだろう。
そもそも、三等級貴族が暗躍した裁判など、真っ当にこちらの意見を聞いてもらえるはずがない。
最悪、出廷した直後に暗殺だ。
ならば、今は一時撤退し、機会が来るまでどこかに身を潜めるのが得策。
鉄格子のそばにある、外へと通じる扉へこの身を滑り込ませる。
この先は、誰も人が寄り付かぬ裏路地。
闇夜に紛れれば、誰の目にも触れずに抜け出せる。
一時オールブルームを離れ、勢力を蓄えるとしよう。
今は退いてやる。
だが、この恨みは永遠に消えぬことをその身に刻み込んでおけ、クレアモナ、オオバヤシロ、そしてハーバリアス!
長い階段を上り、外へ通じるドアを開ける。
高い壁に挟まれた狭い路地に出る。
ふははは……っ!
外だ!
私は自由だ!
「私は、必ず帰ってくるぞ。この街に。この三十区は、私の街だ!」
強い意志と共に、路地を抜ける。
大通りを迂回して外門に設けた隠し通路を通れば、誰にも見つからずに外へ――
「…………ん?」
ふいに、背中が熱くなった。
何の前触れもなく、突然に。
じんわりと熱を帯びた背中が、次第に燃えるように熱くなり、激しい痛みが全身を駆け抜ける。
「うぎゃぁあああ!」
なんだ!?
痛い!
なんなのだ!?
一体何が起こった!?
痛みに顔を歪ませ、食いしばった奥歯から苦悶の声を漏らしながら、なんとか背後を振り返る。
そこには――
「お前のせいだぞ、ウィシャート」
「…………グレ、ィ……ゴンッ!?」
土木ギルド組合の役員へと取り立ててやったにもかかわらず、こちらの望むことは何も出来ず、あまつさえクレアモナに反撃のきっかけを与えた無能。
くそっ!
やはり愚か者には正しく状況が判断できぬのか!
貴様が破滅したのは貴様が無能だからだ!
こんな、逆恨みで……私を…………害する…………など…………まこと…………愚……
そこから、私の耳には何の音も聞こえなくなった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!