異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

321話 洞窟の調査 -4-

公開日時: 2021年12月21日(火) 20:01
文字数:3,622

 どっぽーん!

 

 ――と、随分高い位置から人が飛び込んだような水音をさせて、マーシャが単身でこちら側まで泳いでくる。

 

「ヤシロく~ん! エステラ~!」

 

 俺たちがいる洞窟の中の通路は海面から10メートルほどの高さにあるため、随分と下からマーシャが声を張り上げて話しかけてくる。

 おそらく、船が横付けすれば甲板と同じか少し低いくらいの高さになるように作ってあるのだろう。

 

「これって、ど~なってるの~?」

「それはこっちが聞きたいよ! マーシャ、本当に船は通れないのかい?」

「うん、そ~なの~! なんだか、壁が急にせり出してきたみたい~」

 

 壁が……せり出してきた?

 ウーマロを見れば、マーシャの言葉を聞いてどこか腑に落ちたような顔をしていた。

 

「確かに、壁がこっち側にせり出してきたとすれば、こういう地形になってもおかしくはないッスね。……そんなことがあり得るならば、ッスけど」

 

 こっち側――つまり、四十二区側から外の森、外海側へ洞窟の壁がせり出してきた可能性があるというのだ。

 壁が動いた?

 地殻変動でも、そこまで急激に変わるわけがない。

 

「もし、本当に洞窟の壁が動いたのだとしたら、地上も地形が変わっているはずだな」

「少し調べさせましょう。アルヴァロさん、皆様の護衛をお願い致します」

「おう。任せるだゼ! ……って、船で先に帰るだゼ?」

「いえ、万が一の際、エステラ様がこの洞窟から避難するための船を私が奪うわけには参りません。私は泳いで戻ります」

 

 言うが早いか、ナタリアは折角着たメイド服をすとーんっと脱ぎ捨てストッキングを脱ぐことも忘れて海へと飛び込んだ。

 高さ10メートルの崖から、躊躇いもせず。

 ……なんっちゅー豪胆な。

 

「つめたーい!」

 

 そんな悲鳴に似た叫びと共に、ばっしゃばっしゃとクロールで泳いでいくナタリアが遠ざかっていく。

 

「……ギリギリまでは陸路を走った方が早かったと思うんだけど、ボク」

「バカだな、エステラ。合理的に考えて、俺たちの前でメイド服を脱いだ方が幸福度が高いじゃないか」

「だから、合理的に考えて、ギリギリまで陸路を戻るべきだったとボクは言っているんだよ」

 

 おかしい。

 同じく論理的に考えようとしている俺たち二人の意見が真っ向から対立している。

 これは、俺がエステラに教えてやらねばいけないようだ。幸福感というものが如何に人生において重要な割合を占めているかということと、見えていいものであろうと突如目の前に現れたらそれはそれで十分「わっほ~い!」出来ちゃうメンズという生き物の繊細さと純粋さを!

 

「いいか、エステラ。水着に太ももまでのストッキングという組み合わせが如何に第三者の人生を豊かにするのかと言えば――」

「くだらない話はいいから、ナタリアの服を拾うのを手伝ってよ。……なんで主のボクがナタリアの後片付けをさぁ……」

「たまには片付けてやれよ。お前だって、毎日脱ぎ散らかしたパンツを片付けてもらってるんだろ?」

「脱ぎ散らかしてないよ!? もう! 服はヤシロが拾って! ふん!」

 

 ヘソを曲げたエステラが片付けを放棄した。

 横暴だなぁ、貴族様は。

 

 哀れな民草は、権力を振りかざす貴族の意に反することなど出来ようはずもなく、唯々諾々と脱ぎ捨てられたメイド服を拾うのだった。

 

 

 ……ぬくい。

 

 

 あれ、なんだろう。

 ちょっとどきどきする、かも?

 

 ……あぁ、自然とメイド服に鼻が近付いて――

 

「何やってんのさ!? 没収!」

 

 メイド服を奪い取られた。

 ちぃっ!

 折角、新しい世界の扉が開きかけていたというのに!

 

「あははっ! 軍師はオレたちビャッコ人族みたいだゼ! 他人の匂いを嗅ぐと落ち着くだゼ?」

「いや、落ち着くどころか、お乳を突きたくなるな」

「そうか。よく分かんねぇけど、さすが軍師だゼ」

「無責任に褒めないでくれるかい、アルヴァロ。ヤシロはすぐに調子に乗るから。あと、ウーマロ、ナタリアの脱衣を目撃したからって、いつまでも気絶してないで起きてくれるかい!? このメンバーを一人で捌き切るのは大変だから!」

 

 一人でテキパキ動き、メイド服をたたんでナタリアの持ってきていたカバンに詰め込むエステラ。

 ウーマロはひっくり返って目を回していた。

 お前に、女性への免疫がつくのは一体いつになるんだろうな。

 

「エステラ~!」

 

 マーシャが遙か崖下の海面から呼びかける。

 

「私、置いてけぼり~!」

「あ、ごめんね、ヤシロとナタリアがさぁ」

 

 人のせいにするんじゃない。

 ナタリアの不祥事は雇い主であるお前の責任でもあるだろうが。

 

「ど~しよ~か、船?」

「そうだね。とりあえず引き返してもらった方がいいかもね。カエルじゃないにしても、何かしらを目撃したってことだから」

「分かった~! 一回三十五区に返しちゃうね~」

 

 マーシャが手を振って海の中へと潜る。

 だが、すぐに顔を出して、両手を口の両サイドに添えて大きな声を届けてくる。

 

「でも、私も心配だから、今日泊めて~!」

 

 洞窟の調査が……では、ないよな。

 エステラにもそれが伝わっているようで、眉を曲げながらも嬉しそうに口元を緩めていた。

 

「まったく。……お節介なんだから、ボクの親友は」

 

 そんな呟きを漏らし、マーシャに向かって手を振る。

 

「分かった~! あとで一緒に大衆浴場に行こう!」

「うん~! 泳ぐ~!」

「いや、泳がないように!」

 

 そんな投げかけには返事をせずに、マーシャは海へと潜っていった。

 

「……まったく。人の話を聞かないんだから」

 

 なんて不満を垂らすエステラだが、マーシャは誰よりも人の話を聞き取っているさ。

 それこそ、一言すら漏らさずにな。

 

 あんなデカい船にどうやって乗り込むのかと思ったら、どうやら船底の付近に外から入ることが出来る人魚用の通路があるらしい。

 すごいな、俺の知ってる船とは根本から構造が違うようだ。

 

 水槽付き荷車は港に置いてあったし、今日はそのままエステラのところに泊まれるだろう。

 思いがけず嫌な過去の記憶を呼び起こされてしまった親友を慰めるために、一晩中付き合ってやるのだろう。

 いい親友を持ったもんじゃねぇか。

 

 ここに来て、エステラの表情が幾分柔らかくなったもんな。

 

「にしてもさ」

 

 アルヴァロが、目の前を塞ぐように立ち塞がる岩壁を見上げている。

 

「本当に壁がせり出したんだとしたら、これはちょっと大変なことになるだゼ」

 

 そりゃそうだ。

 地形が変わる危険もあるし、地滑りなんかも恐ろしい。

 ただ、気になるところもある。

 

 カエルを見たと騒ぎながら逃げ出してきた大工たち。

 ウーマロが事情聴取したところによれば、連中はこの先の、現在工事が進んでいるポイントでカエルを見たと証言している。

 

 つまり、あいつらが逃げ出してくるまで、この道はもう少し先まで進めた――ってことになるんだよな。

 その道が今は塞がれ、その原因が地殻変動だか、強引な拡張工事による地滑りだか知らないが、岩壁がせり出してきたとなると……

 

 

 俺たちの誰一人としてそれに気付かないってのはおかしい。

 

 

 当然ながら、地面が動くなんてことになれば相応にデカい音がするだろうし、振動だって起こるだろう。

 俺たちは地鳴りを聞いてもいないし、地震も感じていない。

 岩壁がせり出してきたと思われるその時、俺たちは港にいて、のんきにフィレオフィッシュサンドを売っていたのだ。

 

 ……そんなことがあり得るか?

 

「まぁ、塞がっちまったってんだったら、もう一回崖を切り崩すだけ――だゼ!」

 

 全身のバネを使い、大きく振りかぶった拳を岩壁に叩き付けるアルヴァロ。

 よくもまぁ、臆することなく岩なんか殴れるもんだ。

 俺だったら指の皮膚が破れて、骨にヒビが入っているかもしれん。

 鍛え方が違うのか、種族差なのか、けたたましい轟音を響かせて岩壁にぶつかったアルヴァロの拳が負傷することはなかった。

 

 だが。

 

「……あっれぇ? おかしいだゼ」

 

 岩壁もまた、ヒビ一つ入ってはいなかった。

 

「こんだけ思いっきり殴れば、普通の岩なら多少砕けるはずなんだゼ?」

 

 しかし、岩壁は小石一つも欠けることはなかった。

 

「なら、今度は本気でいくだゼ!」

 

 アルヴァロの全身から、白くてなんだかシュワシュワした霧状のオーラが放出される。

 頭の上に白と黒のトラ耳が生え、鼻から下が獣化する。

 握った拳もたくましいビャッコのそれに変化し、アルヴァロが咆哮と共に先ほどとは比較にならない速度と迫力で岩壁を殴りつける。

 

「ガァァアアアア!」

 

 鼓膜がバカになるかと思うような咆哮と衝撃音に頭がクラクラする。

 このバカトラ! やるならやると言ってからやれ!

 

 だが、そんなモンクを言いそびれるほど、俺は度肝を抜かれる光景を目の当たりにする。

 

 

「……壁が、砕けないんだゼ」

 

 

 俺には格闘のセンスなんか微塵もないが、これまでの経験と知識で、アルヴァロの全力で壊れないこの岩壁が異常であることくらいは理解できる。

 それこそ、小石一欠け、砂埃一粒すらも落ちてこないなんてのは、どう考えてもあり得ない。

 

 

 

 

 これは、ちょっとばかり人智を超える超常の力が働いているんじゃないか――そんなことを予感させるには十分な出来事だった。

 

 

 

 

 

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