「ルシア。先に戻ってるぞ」
「なんだ、付き合いの悪い。まぁ、よい。帰ってからしっかり酌をさせてやる」
「ギルベルタ、そこの酔っ払いをしっかり連れて帰ってきてやれ」
「任せてほしい思う、私に、その任務は」
ギルベルタがいれば、とりあえずは安心か。
で。
「ハビエル。お前はイメルダのところに泊まれよ。デミリーとリカルドはちゃんと帰れ。エステラの館は今日は閉まってるからな。間違っても陽だまり亭には来るなよ」
「がっはっはっ! そりゃあ、『是非遊びに来てくれ』って意味か?」
「オオバ君も、なかなか寂しがりなんだねぇ」
「素直に頼めば考えてやらなくもないぞ。えぇ、オオバ?」
酔っ払いどもがニヤニヤしてやがる。
俺は斜め後ろへ振り返り、ジネットへと視線を向ける。
今日くらいはイタズラに協力しろよ、亡者シスター。
俺は首を指差した後で、自分の肩を指差した。
俺の意図を汲んで、ジネットが少しだけ意地の悪そうな笑みを浮かべる。
ただ、少しだけ申し訳なさそうに眉毛が曲がっていた。いいからいいから、気にすんな。
「アホのお前らに分かりやすく忠告しておいてやる。もし、陽だまり亭に来たら……」
そこまで言ってから、酔っ払い連中には気付かれないように、ジネットへ合図を出す。
俺の合図で、ジネットが俺の肩に手を乗せる。
その瞬間、俺の首が「ごろんっ」と転げ落ちた。
「……こうなるぞ?」
「「「ぎゃぁぁあああああああっ!?」」」
ついでに、上下半身分離マジックもお披露目しておく。
「ついでに、こうなる」
「「「「うぎゃぁぁああああああっ!?」」」」
上下半身分離は初めて見るルシアも混ざって、大絶叫がこだまする。
酔いが覚めたか?
ざまぁみろ。
「んじゃ、帰るわ」
「お、おぉおっ、おまっ、お前、ヤシロ! だ、大丈夫なのか!?」
「今のはなんだったんだい、オオバ君!?」
「テメェ、さては人間じゃねぇな、オオバ!?」
「急に知らないヤツをぶっ込んでくるな、カタクチイワシ!」
この街の偉そうな連中がぎゃーぎゃー騒いでいる声を背中に受けて、素知らぬ顔で店を出る。
俺の後ろで、ジネットが領主連中を宥めている声が聞こえた。
「みなさん。今日はハロウィンですので」
「「「「いや、ハロウィンだからって!?」」」」
「それでは、おやすみなさい」
にっこり笑っている顔が容易に想像できる声だった。
イタズラ大成功。
そんな満足感を、チラッと感じる声音だった。
「少し、びっくりさせ過ぎたでしょうか?」
「大丈夫だろ。全員、心臓に毛が生えているような連中だ」
「くすっ……、そうですね」
店の外まで溢れ返っている客の間を縫うように、俺たちはトムソン厨房を後にした。
大通りを越えると、この街に来た初めての夜を思い出すほどに静かになった。
もっとも、夜道は見違えるほどに明るくなっているけどな。
二人並んでとぼとぼ歩く。
なんとも穏やかな時間が流れていく。
すれ違う者もいなければ、誰かの話し声も聞こえてこない。
「だ~れもいねぇな」
「みなさん、お酒を嗜んでいるか、もう眠ってるんでしょうね」
ガキどもの夜はもう更けて、おっさんの夜は始まったばかり。そんな時間だ。
「けど、ヤシロさんがいます」
「ん?」
「一人じゃないって、なんだか安心しますね」
一人じゃないのが安心するって……
「……なんか、寂しかったか?」
「え? い、いえ! 最近はみなさん一緒にいてくださって、楽しいことばっかりで……!」
慌てた様子で弁解するジネットだったが、大きく開かれていた瞳が不意に緩く弧を描いた。
「一年と少し前は……ヤシロさんがお店に来てくださる以前は、本当に静かな夜ばかりだったので……嬉しいんです。手の届く場所に、見える範囲に、声が聞こえる近さに、大切な人がいてくれる――そんな毎日が」
立ち止まったジネットが顔を上げる。
視線の先には、明るく照らされた陽だまり亭が闇夜の中に浮かび上がって見えた。
「ただいま、陽だまり亭。寂しくなかったですか?」
「なんだ、こいつは寂しがるのか?」
「そうですよ。しばらく留守にして帰ってくると、『おかえり』って言ってくれるんです。ね、陽だまり亭」
嬉しそうに語りかけ、そして小走りで陽だまり亭の前へと駆けていく。
陽だまり亭の壁に手を添えて、長い髪を揺らしながらこちらを振り返る。
「嬉しいです。ヤシロさんが、この気持ちを分かってくれて」
「ん?」
「陽だまり亭が『おかえり』を言ってくれるって……きっと、他の人に言ったら笑われちゃいます」
いや。
そうでも、ないんじゃないかな。
少なくとも、マグダとロレッタならなんとなく分かってくれるさ。
ここは、特別な場所だからな。
「そういえば、お掃除がまだでしたね。先に済ませちゃいましょう」
朝までルシアの仮装をやらされ、そのまま寝落ちしたせいでフロアのテーブルは退けられたままだ。
床に化粧や絵の具がついているかもしれない。
確かに、掃除は必要か。
ジネットが鍵を開け、それに続いて店に入る。
誰もいない陽だまり亭はしんと静まり返っていた。
いつもは、もう少し温もりを感じるんだが……
「こんなに長く誰もいないなんてこと、滅多にありませんからね」
ジネットも同じことを感じたのか、そんなことを呟いた。
今日は『おかえり』が聞こえなかったようだ。
あの感覚ってのは、そこに存在していた人間の残留思念みたいなもんを感じているのかもしれないし、その人の温もりや香り、そこで交わした会話を脳が思い出しているだけかもしれない。
理由は分からんが、「人がいた」という気配はその後しばらくその場に留まる。
今日は朝からずっと店を閉めていたからかもな。
陽だまり亭がすっかり冷えきって感じるのは。
「温かいコーヒーを淹れますね」
「あぁ、頼む」
ジネットがコーヒーを淹れている間にテーブルでも片付けようか、そんなことを思った矢先、陽だまり亭のドアが開いた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!