ウィンク共和国と指パッチン王国、両国は大陸の覇権を争っていた。
大陸の半分を支配するウィンク共和国には、美女しかいなかった。彼女たちは、魅惑のウィンクで、指パッチン王国の男どもをメロメロにする。
逆に指パッチン王国は男性だけだった。彼らの華麗な指パッチンは、女郎どもくぎ付けにする。たくましい前腕に浮き出た血管。指パッチンが奏でる美しい音色は、女たちをキュン死にさせる。
女も男も、自分磨きに精を出していた。
女は、日に1リットルの水をのみ、お米やパンをやめ、野菜と味噌と玄米をたべた。
睡眠はたっぷり8時間。肌のお手入れは欠かさず行い、日焼けはタブーとされていた。
彼女たちの日課といえば、しなやかボディを手に入れるためのダンスレッスンとヨガ、肉体美に目覚めるためのめい想、そしてウィンクの練習だった。
男は、バカみたいにプロテインを飲んだ。朝起きてプロテイン、ランチのプロテイン、3時のプロテイン、日が暮れてからのプロテイン、プロテイン、プロテイン……。
そうして、男たちは鍛え抜かれた肉体と破壊力抜群の指パッチンを習得し、見目麗しい女たちは洗練されたウィンクを手に入れていた。
誰もが切磋琢磨し、容姿の美しい者だけが存在するはずのこの世界に、ひとりブサイクな女がいた。
その女といえば、小太りで、のろまで、顔面偏差値は限りなくゼロに近かった。そのうえ、ウィンクがへたくそで、戦場でウィンクしてもだれもメロメロにならない役立たずだった。
ブーちゃんと呼ばれたその醜女はいじめられ、国のはずれでひとり寂しく暮らしていた。
見た目の醜いブーちゃんだけれども、彼女の心はとてもとてもきれいだった。
彼女には目に見えない美しさがあった。
ただ、それに気付く者は、誰一人としていなかった。
ある日、ブーちゃんが畑のトマトをもぎとっていると、ひとりの男が現れた。
「きゃあ」と、ブーちゃんはかわいい悲鳴をあげた。
「待って、逃げないで!」
あわてて男が叫んだ。
「ほら、ごらん」と男がいう。「僕には腕がないんだ」
ブーちゃんは空っぽの両腕をみた。腕がなければ指パッチンはできない。
「君はウィンクしないの?」
怪訝な顔で男が聞く。
「みてわかるでしょ」不機嫌そうにブーちゃんはいった。ブスのウィンクは効果がない。
「いやあごめん。傷つけるつもりはなかったんだ」
男は首をたれる。
その時、ブーちゃんは怒っていなかった。
むしろ久しぶりに人と話せて喜んでいた。
「あなた、どうしてここに?」
「僕は役立たずなんだ。わかるだろう?」――男は袖をふってみせる――「だから、逃げてきた。みんな僕のことを悪く言わないけど、でもわかるんだ」
男はそれ以上を語らなかった。
ぐううぅ、と男のおなかが鳴り響く。
「くすくす」と笑うブーちゃん。
恥ずかしそうな男。
「なにか食べる?」
ブーちゃんが優しく問いかける。
男は満面の笑みで頷く。
「うちにいらっしゃい」
「いいの?」
ブーちゃんも笑みをたたえ、頷いた。
そうしてふたりは、ブーちゃんが住むレンガ造りの小屋へ向かった。
ブーちゃんはとてもワクワクしていた。何を話そうか、料理は何を振舞おうか、ごはんを食べたあとは何をしようか、とあれこれ考えて楽しんでいた。
「トマトはお好き?」
小屋へ入り、ブーちゃんはにこやかに話しかけた。
「トマト? 多分好きさ」
男はさわやかに答えた。
「ふふふ」と、笑みがこぼれるブーちゃん。
ブーちゃんは何気ない会話が、とてもとても嬉しかった。
「君はひとりで暮らしてるの?」
男が親しみを込めて尋ねた。
「ええそうよ。ずっとひとり」ブーちゃんは明るくいった。「先にこれでも食べてて」
ブーちゃんはざく切りにしたフレッシュトマトにオリーブオイルと塩コショウをまぶして男に出した。
「これなに?」
男は目を輝かせながら聞いた。
「トマトよ、知らないの? 」
「はじめて見たよ。なんてたってあいつら、プロテインしか飲まないからね」
はははっ、と笑う男。
ブーちゃんも一緒に笑った。
ふたりの笑い声が小さな小屋に響く。
「悪いんだけど、食べさせてくれないかな」
男が気軽にいった。
ブーちゃんは笑顔で、「もちろん」と答えた。
この時すでに、ブーちゃんは男に特別な感情を抱いていた。それは、人と話す懐かしさだけではない。名前も知らない、出会ったばかりの男に、愛情を感じていた。
ブーちゃんは男に寄り添い、トマトを彼の口に運んだ。男の口についたオリーブオイルは、ブーちゃんが手で拭った。
ふたりは見つめあい、微笑みあった。
「ずっとここにいてもいいかな?」
男がちょっと不安そうにいった。
「もちろんいいわ」
ブーちゃんはちょっと照れくさそうに答えた。
そうしてふたりは仲睦まじく暮らした。お互いを信頼し合い、思いやりに溢れた、うっとりとするような毎日を送った。ブーちゃんと男は毎日に感謝し、安らぎと平和に満ちた日々をそれはそれは大切に過ごした。
そんなふたりの暮らしに危機が訪れた。
ウィンク共和国と指パッチン王国が、近くで戦いを始めたのだ。
ウィンクができないブーちゃんと、指パッチンができない男は恐怖にさいなまれていた。おびえた心を慰めるようにふたりは寄り添い、お互いを守り抜く覚悟を決して忘れなかった。
最初に小屋を訪れたのは、見た目の美しい女だった。
その女はふたりを見つけるとすぐにこういった。
「貴様ら何をしている‼」
鋭く突き刺さるような声だった。
「おやめください!」ブーちゃんは女に飛びつき、懇願した。
「ええぃ邪魔だ!」
女はまとわりつくブーちゃんを激しく突き飛ばし、男に容赦なくウィンクを飛ばした。
「いやああああ」とブーちゃんの叫び声がこだまする。
しんと静まりかえった小屋の中で、最初に口を開いたのは女だった。
「ど、どういうことだ……」女は動揺を隠せない。「ウィンクが、効かない?」
「何事だ!」
ブーちゃんの叫び声を聞きつけ、別の男が駆け付ける。
その男は、女の姿をみるやいなやすぐに指パッチンをお見舞いする。
パチン!
乾いた音が響く。
不意打ちを食らった女はその場に倒れた。が、ブーちゃんは何ともなかった。
「お前は……」と驚きを隠せない男、パチン! パチン! パチン! と立て続けに指パッチンを繰り出すが、ブーちゃんはへっちゃらだった。
恐々とする指パッチンの男。
その男にタックルで応戦する腕のなしは、よろけた男の顔に回し蹴りをお見舞いする。直撃を受けた男はその場にぶっ倒れ、ピクリとも動かなくなった。
「大丈夫か‼」と叫びながら、男がブーちゃんに駆け寄る。
「あなたこそ」
ブーちゃんも男を気にかける。
「私達、無事よね」
「ああ無事さ」
ふたりは体を寄せ合い、お互いの存在を確かめた。
「あなた、ウィンクが効かないのね」
「君こそ、指パッチンにびくともしなかった」
「でも、どうしてかしら?」ブーちゃんは首を傾げる。
「わからない。だけど僕たちはもう戦わなくていいんだ。何にも怯えることなんてない。隠れて暮らすこともない」
男は誇らしげにいった。
そんな男の言葉にブーちゃんは心から喜んだ。嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
ふたりの未来には、二度と脅かされることのない安らぎに満ちた生活が待っていた。
見た目の美しさなんかに惑わされない強靭な心を手に入れたふたりは、逃げ隠れるのをやめた。
そうして、ふたりの存在はウィンク共和国と指パッチン王国に知れ渡った。
両国の男と女は、ふたりの間に生まれた美しい心を目の当たりにして、己の醜さにようやく気付いたのだった。
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