青見 空の心臓は、破裂しそうなほど高鳴っていた。
ある種の戦闘中に覚える高揚感とはまったく違う、嫌悪感がある鳴り方だ。
鉛のように心に纏わりついて、一向に離れない。
レーヴァテインに乗ることが重く感じるなんて、いままでなかったことだ。
「大丈夫、大丈夫だから。次こそ、絶対に私が守るんだから……」
誰にも悟られないように、小声で呟く。
空が不調なのは誰の目から見ても明らか。でも空はそれを隠せていると思っていた。
波風を立てないように、いつも通りの自分であろうと努めている。
「空ちゃん、心拍数上がってます。大丈夫?」
オペレーターの小波が心配そうな声色で話しかけてくる。
いけない。パイロットの生命維持を目的として、搭乗中のコンディションはずっと見られているのだ。
普段はありがたいものなのに、いまは無性に邪魔な機能に思えてしまう。
空は泥ようになっていた思いを振り切って、空笑いした。
「あはは、少し緊張してるのかも」
「連続の出撃ですからね、疲れからの緊張かもしれません。難しいでしょうけど、リラックスしてください。空食が降りてくるまで5分はあります」
「うん、ありがとうございます」
「すぅー……はー……」
アドバイス通りにしてみたが、まったくリラックスできている気はしない。形だけのリラックスには、なんの効果もなかった。
少しだけと思って、忌避していた視界の端に映っているものを認識する。
「まだ穴が残ってる。これが空食を呼んでるんだよね……」
小地球002を見ながら、呟く。
半球状のドーム型建造物に、いやでも目立つ穴がまだポッカリと空いて、中が丸見えになっていた。
小地球は外壁が傷ついても中枢部のシステムが完全に壊れていなければ、周りの壁が勝手に自動修復してくれる機能がある。
数日前に来た時は、もうひと回り大きな穴が空いていたことを思うと、異常な再生速度には違いない。
しかし、いくら穴が小さくなろうとも小地球が壁を完全に修復して、住民から発せられるスカイギャラクシーエネルギーを遮断できるまでは、空食に狙われやすくなってしまう。
だからこそ、空は自分に使命を課す。
「今度こそ、守りきる」
「空食、予想落下地点到達まで残り1分!」
レーヴァテインに空を見上げさせた。
暗闇に支配された空が広がって、陰鬱な雰囲気に一飲みされてしまいそうになる。
無意識のうちに下がり続ける弱気を心の奥底に無理やり封じ込めて、空は空食が訪れるのを待った。
じくじくと、心の底から染み出るそれに気づかない振りをして。
……
…
落下予想地点のシミュレートは、正確だ。
空食は大気圏外から鋭角に凄まじい速度を維持しながら大地に激突した。大きな体躯を何事もなく起き上がらせる。
激突時に生じた砂煙が消えるより早く、煙の中から巨大な甲虫のような姿した空食がのそっと現れる。
甲虫タイプは空食の姿形として数多く確認されている量産型のようなものだ。新たな姿をしている空食が現れたりすると、その都度戦い方を編み出していかなければいけないから、そうではないことに空は安堵する。
空食の複眼が向いている先には、小地球があった。
目標に違いない。
「絶対近づけさせないっ! 私が守る!」
空は自分を奮い立たせるよう、できるだけ腹から声を発した。
空食の進路に立ちふさがるスカイナイト二号機-レーヴァテイン-が、背面に2本装備された剣を抜き放つ。
スカイナイトが前面に剣を構えて、戦闘態勢。地面を踏み出した。
「キュロロロ!」
レーヴァテインの動きに反応した空食が、叫びをあげながら大地を低く蹴った。
巨体にあるまじき矢のような速度でレーヴァテインに迫る。
低空を維持したまま滑空状態に移行して、空食が体当たりの姿勢をとった。
「はっ、速! くっ!」
空は瞬時に判断した。
装備した剣を握る力を緩め、手から落下させる。
このまま剣で切り裂くことは無理だ。空食がこちらに激突してくるほうが遥かに速い。
甲虫型の空食は、上部の装甲が甲羅のように硬く、頑強だ。
何もしないで剣を突き立てても、まず有効打にならない。
どうにかしたいところだが、今は無理だ。
腰だめに力を入れて、重心を落とす。
空の胸にある思いは一つ。絶対に受け止めるということ。
空食がスカイナイトに激突した。
乾いた音を立てて風が瞬間的に舞い上がり、土が吹き荒れる。
油断すれば気を失いそうになるほどの衝撃が、レーヴァテインを──空を襲う。
それでも空は気丈に前を向き、歯を食いしばった。
「くっうぅぅ、こんのぉっ!」
いくら力を込めても、レーヴァテインは派手に地面を抉りながら、空食に押され続ける。
空食を引っ掴んで裏返せれば、装甲が薄い箇所を攻撃できるのに。
やるべきことは理解していても、空食の勢いを一瞬でも止めきれない現状だと、そんなことは夢物語に過ぎなかった。
「キュロロロロー!」
空食が咆哮し、さらに加速した。
空食が持つスカイギャラクシーエネルギーが爆発的な推力を生み出して、踏ん張っていたスカイナイトをくの字に折る勢いで後退させる。
「ダメ! このまま行ったらぶつかる!」
スカイナイトのコックピットから流れる景色が、嫌にゆっくり過ぎていく。
空はなんども後ろを振り返り、踏みとどまろうとレーヴァテインに力を込めさせる。その度によぎるトラウマのようにすらなっている光景が、十分に力を発揮させてくれなかった。
脳裏にしつこく焼きつくのは、一週間前に起きたこと。
瓦礫の中で、女の子を抱いているお母さん。
ただピクリともせずに、女の子を守るために抱きしめていた命の最期の輝き。
背筋に、薄ら寒いものが走る。
運命の時が近づいている気がした。
また悲劇が繰り返されるんじゃないか。
そうなったら、今度は形だけでも立ち直れない気すらしてくる。
彼女の──空の心は前を向いていなかった。
待って。
そこには大勢の人がいる。
あの子もいる。
守らなきゃ。
私に守れる?
そうは思えない。
自分がいなかったら誰が守る。
できっこない。
やらなければならない。
さまざまな思いが、空の心で閃光のように瞬く。だが時は無情だ。
衝撃がコックピットを襲った。
ついにスカイナイトは空食の速度を止めきれず、小地球に背面から激突したのだ。
地響きのようなものが鳴り響き、ガラガラガラと、直りかけていた小地球の外壁が、激しく崩れる。
「くっうっ……」
空は衝撃の中で、唇を噛みきってしまいそうになるほど、力を入れていた。
無力感が、空の全身を支配する。
私には守れないのかな、と思考が後ろ向きになっていく。
「守りったい。守りたいけど」
声に出しても、心が震えない。
燃やすための燃料が、枯渇してしまったのだろうか。
「キィロロロロ!」
歓喜の声。
空食に感情があるかなど知らないが、少なくとも空には、空食が歓喜しているように感じられた。
こいつらは人を食うのを──スカイギャラクシーエネルギーが食えるのを、楽しみにしている。
食欲という本能に動いている空食でも、大量のスカイギャラクシーエネルギーで稼働しているレーヴァテインは、比較的だが狙われにくい。
レーヴァテインは抵抗もするし、攻撃してくる。ようは、攻撃性のある食べ物というわけだ。好んで食べようとはしない。
かたや人は、か弱くて空食に逆らう手段がない。食しやすく、抵抗のない食べ物。
空食もわかっているのだ。非力な人間は簡単に食える。
特に小地球の壁面が崩壊して中が丸見えになっており、空食はレーヴァテインを律儀に狙う理由がない。
たんまりのご馳走が、壁を隔てることなくあるのだ。笑わずにはいられまい。
そしてレーヴァテインは動けなかった。
「動け、動け──動いて!」
空は想いが伝わるように、操縦桿を握りしめる。
焦りから力が強くなるだけで、レーヴァテインへ想いが伝わっていない。
「空さん、何があったんですか!? 空さん!」
誰かが呼びかけている。
誰だろう。
そんなことより、レーヴァテインを動かさないといけないのだ。
燃料を失くした車のように、レーヴァテインはうんともすんとも言わない。
守れない──守れない──守れない。
言葉は頭の中で、波紋のように広がる。
ふと、視界に入った。
スカイナイトの視界の端。
小地球内に崩れ落ちた壁の残骸付近に、人影がある。
子供だろうか?
なんで、そんなところに。
危ない。
潰される。
幼げな、くりっとした瞳で、子供はこちらを見上げている。
不安、恐れ、期待、嬉しさ。
瞳がどの感情を宿しているのか、恐れを抱いた空には判別できなかった。
ひとつの想いが、空に芽生える。
守らなければならない。
あの子が潰される前に!
二度と誰も失わせないために!
陽炎のような想いだけを頼りに、彼女は立ち上がる。
「うっあああああああ!」
レーヴァテインが空の火事場の馬鹿力な声を頼りに、関節を稼働させて唸りを上げる。
そうだ。
動け、動く!
スカイナイトが瞬時に状態を立て直し、1歩引いて歓喜していた空食に肉薄する。
「キュロッ」
空食はレーヴァテインに虚をつかれ、後退した。
「絶対にっ、逃がさないんだからぁっ!」
空食の甲羅を、最大まで伸ばした両手でガッチリと掴む。
レーヴァテインの背面から、紅の粒子が溢れんばかりに吹き出て、出力が上昇していく。
「いっけぇぇ──!」
無意識から出た叫びを力にして、レーヴァテインが空食を押す。
地面を抉るようにして加速し、小地球から離れていく。
目指す場所は決まっていた。
「キュロロロッキュロォ!」
空食が押し返そうと踏ん張っているが、もう遅い。
こっちは最大加速力まで到達している。空食に好き放題押された時とは、真逆の形だ。
「あった!」
言ったと同時に、スカイナイトが空食を両手でホールドしたまま、空へ浮かび上がる。
少し高度を稼いだところで、掴んだままの空食を頭上まで持ち上げ──。
「どっせぇぇーい!」
地面に向けて、渾身の力で投げつける。
「キュロロロッ」
空食が姿勢を立て直せないまま、鳴き声をあげて地面に激突。
土煙が舞い上がる中、レーヴァテインは即座に動き出していた。
地面すれ擦れを低空飛行し、空食を受け止める際に手放した、2本の剣を逆手で回収する。
速度を維持したまま、空食の周辺を一回り。
土煙を巻き上げて、空食を視認する。体がひっくり返って、弱点が丸見えの状態だ。
それを見るなり、レーヴァテインが空食の直上まで飛び上がり、逆手に保持した2本の剣を真下へ突き立て──。
「これでぇっー!」
急降下!
地球の重力にも後押しされて、レーヴァテインが速度を増しながら降下する。
2本の剣が空食に深々と突き刺さった。
空食の背面に着地すると同時に剣をさらに押し込み、力を込める。
荒れ狂う嵐のような爆発的エネルギーが剣から発生し、空食を内部からズタズタにしていく。
「キュロォッ……」
放出されるエネルギーに耐えきれなくなった空食が爆発。
爆炎が舞い上がり、紅の装甲が淡く輝く。
逆手に持った剣を背面に仕舞い、空は状況を確認する。
「はぁ……はぁ……やった……」
レーヴァテインは頼りなく小地球の前まで移動すると、ふっと力尽きて座り込んだ。
空の意識は、消えかけの蝋燭のように朦朧としていた。
火事場の力を出し尽くしてしまったのか、身体中に意思が伝わらない。
「空さんのバイタルが急激に低下しています! 樹里さん!」
「わかってる! 私と大地で現場までいく! いいな、大地」
「はいっ!」
「車で行ってください。空食に発見されないように、コーティングは済ませてあります」
「ありがとうございます、調さん。少し間、ここをお願いしますっ!」
「了解しました。空さんをお願いします」
みんな、大層に慌てている声だ。
しっかり敵を倒したのに、なぜ慌てているんだろう?
でも樹里さんや大地くんがいるから、大丈夫だよね。
空食がまた襲来してきたとしても、みんなが守ってくれる。
それにしても──。
「私、守れたかな……まも……れたなら……」
空の意識は、糸が切れたかのように途切れ、暗闇に落ちていった。
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