「は？」

　言いがかりも甚（はなは）だしくてシオンはいつになく低い声を上げてしまったのだけれど、急に矛先（ほこさき）を向けられたルクレティアはうろたえている。

「わ、わたしのせい？　え、でも、シオンが楽譜（コード）を間違えたりするはずないわ」

「石が砕けちまったのは見ただろ？　楽譜が違ってたから、反発した以外に原因があるか？　体つきは貧相だが嬢ちゃんは顔が抜群にいいし、十万くらいなら簡単に稼げるさ。なんなら、俺が手取り足取り指南してやってもいいぜ？」

　はは、と嗤（わら）う男の下劣（げれつ）さは、聞くに堪（た）えない。

「しなん？　って、何を……？」

　幸い、ルクレティアには意味が伝わらなかったようだけれど、それでも何か嫌な雰囲気は感じ取ったようで、その瞳は不安そうに揺れている。

　シオンは拳を握りしめた。これほど腹が立ったのは、いつ以来か。ルクレティアの善意をこんな形で踏みにじられて黙っていられるほど、シオンはお人好しのつもりはなかった。

　素直に頭を下げようとする彼女を制して、男の前に立つ。

「この店、譜面石の原石は取り扱っていますか？」

「あん？　話を逸（そ）らすんじゃねえよ。責任取ってもらえるまで俺は引き下がらねぇぞ」

　どこまでも粗野（そや）な店主の態度。シオンは懐（ふところ）から金貨の入った革袋を取り出し、台の上に放り投げた。

「お望みどおり、責任なら僕が取りますよ。あるのかないのか、答えてください」

　袋の中身を改めた男はあからさまに目を瞠（みは）る。十万ゼニーを優（ゆう）に超える大金が入っているからだ。

　驚きからまん丸になった双眸（そうぼう）を見下ろして、シオンは淡々と告げる。

「そのお金で譜面石の原石と、それから、紙のもので構いませんから合成の楽譜（コード）を貸してもらえますか？」

「なんだよ、さっきの機械人形（ドール）の楽譜にケチつけようってのか？　俺は機械はさっぱりだから、組み込まれた楽譜の確認の仕方なんて知らねえぞ」

「まさか。あなたの機械人形（ドール）はアテになりませんから、僕の相棒（パートナー）に歌ってもらうのに必要なだけですよ」

　店主は疑わしげな眼差しをしていたが、大金の魅力（みりょく）には抗（あらが）えなかったのだろう。

　差し出された石と紙束を受け取ったシオンは、記憶にある合成の楽譜に相違ないか確認したあと、ルクレティアへ手渡した。

「どうするの、シオン」

「簡単なことだよ。合成を成功させるんだ」

　不敵な笑みを返し、楽譜の書き込まれていない真（ま）っ新（さら）な譜面石を起動させる。先ほどと同様にエーテルの濃度を頭に入れ、今度は一から楽譜を組み上げていく。

「おまえ……」

　迷いなく音符を打ち込んでいくシオンの手腕に驚いたのか、少女の息を呑む気配が伝わってきた。ふと先ほどの問答を思い出し、少女に微笑んでみせる。

「僕にも矜持（きょうじ）はあるからね」

　ルクレティアの善意を無駄にされた挙句（あげく）にめいっぱいの悪意で返されたのだ。引き下がるような真似はしたくない。

　出力鍵（キー）に指を走らせていた時間はどれほどだろう。たぶん、十分はかからなかったと思う。既存の楽譜（コード）を調律するのなんて、パズルに近いただの作業だ。

　完成した譜面石を銃の隣に並べたシオンは、ルクレティアを振り返る。

「ティア、歌って」

　促（うなが）すと、楽譜に視線を落としたルクレティアがすう、と息を吸い込んだ。 

【此に捧げるは（ryu rue）真理の書（vert tue）。賢人たる（tiu nouhe）アナティウムが（anathium）創りし調べの唄（etea siue noisu）】

　桃色の唇から零（こぼ）れ落ちた歌は一節（ワンフレーズ）だけで空気を一変させた。

　機械人形（ドール）が歌うような無機質なものではない。滅多に聞けない生の聖歌。ざわめきが刹那（せつな）で静まり返る、圧巻（あっかん）とした歌声。

　譜面石がどろりと溶け、銃身に吸い込まれていく。うねる青い液体は意志を持つかのように蠢（うごめ）き、這（は）いずり、複雑な紋様（もんよう）を描いていく。

　ルクレティアが歌い終わると銃には白く変色した刻印がしっかりと刻み込まれていた。

　唖然（あぜん）としている男の前でシオンはその銃を手に取り、銃口を空に向けてエーテルを刻印へと流し込み、引き金を引いた。

　打ち出された弾丸が青空で弾け、焔（ほのお）が渦（うず）を巻く。間違いなく、焔（ほむら）の書の一の四番だ。

　ルクレティアの歌に聴き入り、放心していた見物人からわっ、と歓声が上がった。

「これで、問題ありませんよね？」

「……あ、ああ……」

　銃を返しても店主はぎこちなく頷くのみ。構わず、シオンは畳（たた）み掛けた。

「第一階位の譜面石です。相当な価値があると思いますけど、代金はきちんと彼女に払ってくださいね。そうでないと、あなたのペテンに気づいた見物客が悪評を広めてしまいますよ」

　それだけ告げて、ルクレティアに視線を向ける。

「行こう、ティア」

「え、でも……シオンのお金が」

「大した金額じゃないからいいよ。行こう」

　宿代と小金はトランクケースに分けてあるし、調律師の仕事なんて探せばいくらでも見つかる。手に職を持っているシオンはいざというときに稼ぐ手段に困ったりしないのだ。

「でも……」

　これ以上見世物になるのは遠慮（えんりょ）したかったので、シオンは迷いを浮かべるルクレティアの手を取り、その場を後にした。