奏界のエデン

空の世界を旅する王道×サスペンスファンタジー
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第59話 四人のこれから

公開日時: 2021年10月7日(木) 21:51
文字数:4,196

 あれから五日が経っても、ロゼリアが目を覚ますことはなかった。意識を失ったままでは衰弱する一方で、命に関わる。シオンは女王に頼み、エリアナの借りている部屋から宮殿の医療室へと移してもらった。宮殿ならば、最先端の医療技術を施してもらうことができる。


 ルクレティアはシオンと一緒に毎日見舞いに行っているが、愛らしい顔は日に日に曇っていき、その胸中がシオンは心配でたまらなかった。



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



「あのお嬢さんには、時間が必要ってことなんじゃねえの?」


 七日目の夜。夕食の席で、暗い顔のシオンとルクレティアにヴィンスがそう言った。


「何年か経って目覚めたらさ、案外復讐なんてどうでもよくなってるかもしれねぇじゃん? 今はそのための時間なんだって思っとけよ」


 そのげんには一理あった。仮にロゼリアが目覚めたとしても、シオンは彼女の心を救えるような言葉をかけてはあげられない。ロゼリアの意識が戻っても、その憎悪が晴れなければ意味がないのだ。


「俺とエリアナはおまえの意志を尊重するけどさ。いつまでもヴェルスーズに留まってるわけにもいかないんじゃねえの?」


 その言葉はもっともだ。


 あれからガリアンは宮殿の庭師として雇われ、時間を見つけてはロゼリアの見舞いに訪れているらしい。シオンたちが旅立ってから彼女が目覚めたとき、側に居る人間が存在するというのは救いだった。


 このままロゼリアの目覚めを待つのか、ヴェルスーズを発つのか。シオンは向かいの席に座る相棒を見る。


「ティアは、どうしたい?」


 答えの出せない問いをルクレティアに振るのは卑怯に思えた。しかし、これはシオンだけの問題ではないのだ。


「わたしね、ずっと考えていたの。ロゼリアが目を覚ましたら、何を言えばいいのかしら、って」

「答えは出ましたの?」


 隣に座るエリアナが小さな顔を覗き込むと、ルクレティアはしょんぼりと肩を落とした。


「わからなかったの。わたし、ロゼリアに何を言えばいいのか、わからないわ」


 シオンと同じことを彼女もずっと考えていたらしい。シオンが僕もだよ、と肯定しようとすると、ルクレティアが顔を上げた。


「でもね、ヴェルスーズに来てからわたし、たくさんのことを知ったわ。これからの旅でも、きっと色んなことを学べると思うの。たくさんたくさんこの世界のことを知ったら、いつかロゼリアにかける言葉が見つかるかもしれない。答えが出たら、わたしはロゼリアに会いに来たいわ」


 ルクレティアの強い眼差しに、シオンはハッとする。彼女の言う通りだった。シオンもルクレティアも、傷ついたロゼリアの哀しみを癒す言の葉を見つけられない。


 でもそれは、今の話。ずっとじゃないのだ。


「……わかった。定期便の運行次第だけど、早ければ二日後、ヴェルスーズを発とう。それまでにロゼリアの意識が戻らなかったら、ガリアンさんに定期的に手紙を出すことにする。ティアもそれでいいかい?」

「うんっ」

「んじゃあ改めて、残り少ないヴェルスーズでの晩餐ばんさんを楽しもうぜ」


 ヴィンスは痩躯そうくに似合わずかなりの量を食べるので、四人がけのテーブルに並ぶ料理は多い。薄くスライスされたジャガイモにチーズをたっぷりとかけたグラタン。豚肉とソーセージ、白豆を煮込んだ赤いシチュー。オニオンスープや、シルヴァリーの蜜にけたリンゴを使った焼きたてのアップルパイもある。


 ヴェルスーズでしか食べることのできないキツネ色のパイをエリアナが口に運ぶと、ルクレティアが吐息をらした。


「アップルパイ、わたしも食べたかったわ……」


 それは、以前のルクレティアならばシオンを気遣って口にしなかっただろう台詞。ルクレティアの抱える事情はエリアナとヴィンスに包み隠さず伝えたので、彼女が食事を取れない理由もすでに知っている。


 エリアナが優しく微笑んだ。


「ティアの身体からだが戻ったら、わたくしが同じものを作りますわ」

「本当?」


 ルクレティアがぱっと顔を輝かせると、すかさずヴィンスが口を挟んだ。


「騙されんなよー、嬢ちゃん。箱入り娘のエリアナに料理なんてできるわけねぇじゃん」

「エリアナ、お料理できないの?」


 格好がつかなくなったからか、エリアナは顔を真っ赤にする。


「い、今はできませんけど! これから上手くなれば問題ないでしょう? 今度からは、台所を借りられる宿を取りましょう。毎食わたくしが作りますわ」


 その宣言に、シオンはヴィンスをうかがう。


「それってつまり、僕らが実験台にされるってことかな……?」

「だろーな。一体どんなゲテモノが出来上がるんだか」

「あら? 他でもないティアの為ですもの。薄情なヴィンスはともかく、シオンは嫌とは言いませんわよね?」


 圧のある笑みに、シオンは慌てて微笑む。


「もちろんだよ、エリアナ」

「ですわよねっ!」

「まーエリアナの修行の話は置いてといて。次の目的地はどうすんだ?」


 今後の方針を定める話に、シオンはまだ話していなかった光明の竜レヴィアタンの手がかりを打ち明けることにした。二人にとっては特に大事な話題だから、この七日間ずっとタイミングをはかっていたのだ。


 浮島ラグーンでの出来事を語り終えると、エリアナとヴィンスは難しい顔になる。


「エリックにレト、ね……」

「心当たりはあるかい?」

「残念ですけれど……」


 エリアナは首を振り、ヴィンスは肩をすくめた。どうやら二人の知り合いというわけではないみたいだ。


光明の竜レヴィアタンを所持してるなら、兄貴はその空の解放軍デュアル・サーペントとやらに協力してるってことだよな。解放軍の情報を集める必要があるが、空は広いしなー」

「君たちが受けた予言を信じるなら、解放軍の足取りを追うよりも他の楽譜コードを探した方が早い気がするけれど」


 広い空のどこに居るかわからない解放軍の情報集めよりも、場所だけは確かな神曲聖歌アステルト・ノートを探した方が確実だ。解放軍も神曲聖歌の情報を集めて回っているらしいし、どこかで邂逅かいこうする可能性に賭けた方がいい。


「確かにな。俺はそれでいいぜ」


 ヴィンスはあっさり頷いた。シオンがエリアナを見つめると、悩ましげな沈黙の後に彼女も首を縦に振った。


「……わたくしのわがままでシオンたちを振り回すことはできませんもの。方針はお任せしますわ」

「それなら問題はどの国に行くか、だよね」

「ヴェルスーズから定期便が出てんのは二の大陸アルテウスだが……」


 他の国にももちろん飛行船は出ているが、ヴェルスーズが頻繁に行き来をしているのは二の大陸だけだ。五日に一度の定期便が、他の国になると三十日に一度の頻度まで下がる。


「アルテウスって、譜面石が取れる国?」

「ええ。聖術の祖とされるアナティウムさまの生まれた国でもありますわ」


 エリアナがそう付け加えると、ルクレティアの瞳が好奇心できらめいた。聖歌が大好きなルクレティアにとっては興味をそそられる国に違いない。


「明確な手がかりがあるわけじゃないから、アルテウスでもいいんじゃないかな?」

「では明日、空港へ行って旅空券を取りましょう」

「そーいえばさ、エリアナ。嬢ちゃんにパイを焼いてやるなら、レシピ聞いとかないとダメなんじゃね?」

「そうでしたわっ」


 木製の椅子を蹴倒す勢いでエリアナが立ち上がる。というか、実際に倒してしまって彼女は慌てて椅子を直す。

 エリアナのちょっと抜けたところはとても可愛らしくてシオンは微笑ましく思う。ヴィンスにはからかいの対象として遊ばれているけれど。


 エリアナが厨房に向かうと、ヴィンスはルクレティアにも声をかけた。


「嬢ちゃんも一緒に行ってやってくんない? エリアナの奴、人見知りだからさー。話しかけらんなくてまごつく姿が目に浮かぶ」

「エリアナは、人見知りなの?」

「そ。年上に対してはなー。年下はだいじょーぶだけど」

「そう、なの? わかったわ」


 銀髪を揺らしてエリアナを追いかけるルクレティアを見送ったシオンは、手掴みでパイを頬張っているヴィンスを見つめる。


「もしかして、エリアナには聞かれたくない話があったりするかい?」


 会話の流れは、明らかに不自然だった。レシピを口実にエリアナを遠ざけたかったとしか思えない。


「察しが良くて助かるよ」


 指先についた蜜を舐め取ったヴィンスは、かくりと首をかしげる。


「エリック、だっけ? その男の見た目、教えてくんない?」


 浮島ラグーンで出会った青年の姿を、シオンは脳裏に描く。


「エリックさん? ええと、髪も目も珍しい黒色で、綺麗な男の人だったかな。背格好はヴィンスと変わらないと思う。それから、左目に眼帯をしてたかな」

「やっぱ、そうだよなー」


 頬杖をついたヴィンスはため息をいた。シオンが首を捻ると、ヴィンスは嫌そうに鼻を鳴らす。


「そいつ、間違いなく俺の兄貴のウルフリック。エリックは偽名」

「……どうしてすぐに言わなかったんだい?」

「だってさー、元婚約者が別の女と一緒に行動してる、とか。聞きたくねぇだろ?」


 異性として意識するには、レトの容姿はあまりに幼い。だからシオンにその発想は浮かばなかった。


「レトのことも知っているのかい?」

「あいにく、心当たりはねぇなー」


 ヴィンスは否定するけれど、先ほどの彼の嘘をシオンは見抜けなかった。だからその言葉が真実なのか、わからない。


 だが、仮に嘘だとしても話したくないことを無理に聞き出す必要はないと思った。ロゼリアを救うため、ヴィンスは命を懸けてくれたのだ。彼の人間性をシオンは信じられると感じる。


空の解放軍デュアル・サーペントのリーダーが兄貴だってことさ、エリアナには黙っててくんねえ?」

「いつかは知ることになるんじゃないかい?」

「まーな。けど、今じゃなくてもいいだろ? もうちょっと時間が経ってからの方がいい気がするんだよなー」


 エリアナとの付き合いはヴィンスの方が圧倒的に長いのだ。その判断をシオンは信じるしかない。


「見てみて、シオン! おばさんがくれたの!」


 戻ってきたルクレティアは黄金色の液体が入った瓶を抱えていた。たぶん、シルヴァリーの蜜。屈託なく微笑むルクレティアに、シオンはよかったね、と心からの笑みを返す。


 ヴェルスーズに着いたとき、シオンは不安でたまらなかった。魂の竜エインヘリヤルが見つかるかもわからなかったし、自身が抱える秘密が幼なじみに与える影響も心に影を落とした。

 真実を知ってもルクレティアは変わらない。そして、今はエリアナもヴィンスも居る。


 神曲聖歌アステルト・ノート探しはまだ序盤だ。何しろ、七つのうちの二つしか揃っていないのだから。この先の旅路はもっと長いだろう。それでも、シオンの心は以前よりずっと軽くなっていた。

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