奏界のエデン

空の世界を旅する王道×サスペンスファンタジー
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第16話 ヴェルスーズの女王

公開日時: 2020年9月23日(水) 21:07
更新日時: 2020年11月9日(月) 15:28
文字数:3,820

 シオンとルクレティアが連れて来られたのは、街の北にたたずむ白亜の宮殿。磨かれた大理石の壁が陽射しを受けて煌々こうこうと輝く、美しくも荘厳そうごんな外観を持つ宮殿は、内装も洗練されていた。


 少女は厄介やっかいごとに巻き込まれるのはごめんだと思ったのか、ウェルスーズの兵士の介入に早々に立ち去ってしまい、その事情は謎のまま。申し訳ないことをしてしまったけれど、成り行き上致し方ないと言えた。


 荷物も剣も取り上げられ、謁見えっけんの準備が整うまで待つように言われたふたりは、応接間でくつろいでいた。


 といっても、向かいのソファに座ったルクレティアはそわそわと落ち着きがない。


「そんなに緊張しなくても、取って食べられたりはしないと思うよ?」


 見兼ねて茶化ちゃかすと、ルクレティアはきょろきょろと部屋を見回して、心許こころもとなさそうに言う。


「……だって、こんなに豪華ごうかなお部屋は初めてなんだもの」


 ビロードのソファはふかふかで、手触りも座り心地もすばらしい。大きな窓からはたっぷりと光が差し込み、壁の白さを際立きわだたせている。

 そよ風でゆれるレースのカーテンもテーブルにかけられたクロスの刺繍ししゅうも品がよく、ふたりに用意された紅茶も茶菓子も高級品だ。

 時折吹き込んでくる爽やかな風が心地よく、シオンにとっては居心地のいい空間なのだけれど、ルクレティアにとっては違うらしい。


「シオンは落ち着いてるのね」

「まあ、慣れてはいるからね。向こうではそれなりの身分だったし」


 入口に例の騎士の青年が立っているので帝国の名を出すわけにはいかずににごして答えると、ルクレティアはそうなのね、と相槌あいずちを打つだけ。


 スタンフォード家は帝国で公爵こうしゃくの地位をいただいていた。

 幼い頃から離宮に幽閉状態だったとはいえ、次代のにない手が生まれればシオンはお役御免ごめんとなり、家督かとくを継ぐことになるはずだった。なので、貴族としての教養と礼儀作法は徹底的に仕込まれたのだ。


 ふたりのあいだで帝国に関する話題はほとんど上がらない。聞かれたら答えられる範囲で偽りなく話す覚悟はあるのだけれど、ルクレティアはシオンの出自に関することは尋ねてこない。気を遣ってくれているのか、単に興味がないだけなのか。たぶん、前者だろう。


 部屋に侍女じじょが顔を出すと、青年が一つ頷き、ふたりに声をかけてきた。


「お待たせいたしました。陛下の下までご案内致します」


 うながされて立ち上がると、青年がルクレティアを制した。そして、申し訳なさそうにつけ足す。


「陛下の御前には、シオンさまおひとりで、と言付ことづかっておりますゆえ。あなたさまはこちらでお待ちください」


 ルクレティアはすっかり緊張してしまっているし、ある意味ではありがたい。ただ、彼女をひとり残すのも懸念けねんがあった。

 なぜ呼び出しを受けたのか。その意図がわからないままルクレティアをひとりにして何かあっては困る。


 シオンの躊躇ためらいを察したのか、青年がそっと付け加えた。


「ご心配なさらずとも、お連れの方に礼を失したことは致しません」


 相手の態度はどこまでもへりくだったもので柔らかいけれど、結局のところ、シオンたちに選択権はないのだ。


「……わかりました。彼女をお願いします。それじゃあティア、少し話をしてくるから。大人しくしていてよ?」


 この場に取り残されることが不安なのか、かげった瑠璃るりの瞳が物言いたげに見上げてくる。シオンはその小さな頭を軽くでて、部屋をあとにした。



 ◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 案内されたのは庭園だった。青年はここから先へはおひとりで、と告げて下がってしまい、シオンは生垣いけがきでできた小道に沿って歩いていた。


 国花こっかというだけあって、宮殿の庭園にもシルヴァリーの花が植えられているのか、薔薇ばらの香りに混じって甘いにおいが漂ってくる。


 アーチをくぐると、花壇かだんで飾られた広い芝地しばちの奥に蓮池はすいけが見えた。

 石橋が掛けられた池の中央には四阿あずまやが設けられている。白い大理石で造られた円形の台座を柱がぐるりと囲い、日除けの屋根を支えていた。


 小さな丸テーブルと椅子が向かいあうように置かれていて、そのうちの一つに紫色の髪を結いあげた貴婦人きふじんが腰かけていた。青いドレスも、身につけた装飾品もすべてが高級品。


 橋のたもとまで進んだシオンは、その後どうするべきか迷った。

 立ち尽くしていては不敬と取られてしまう。けれど、作法によっては帝国の貴族の出だとバレてしまうかもしれない。天上人フィオルは帝国の貴族にいい感情を持たないだろう。面倒事はなるべくなら避けたかった。


 迷った末に、結局は女王に敬意を払うことを優先し、シオンはその場にひざまずいてこうべれた。それから、声がかけられるのを辛抱しんぼう強く待つ。


おもてをあげてくれ」


 降ってきた声はうるわしくはあるが、男勝りだった。とはいえ、流石に威厳いげんと気品が感じられる。


「初めまして。私がこのヴェルスーズの女王アウレラだ。会えて光栄に思うよ、空の調律師」

「もったいないお言葉、光栄に存じます。ヴェルスーズが太陽、女王陛下」


 こういった場は慣れてはいるけれど久しぶりで、かしこまった話し言葉は舌をみそうになってしまう。


 濃紫のうしの瞳が細まった。


「発音が流暢りゅうちょうだし、物腰も洗練されているね。君の素性は知らないけれど、家柄はよさそうだ。だが、性に合ってはいなさそうだね。楽にしてくれて構わないよ」


 そう言われても、女王相手に気安い態度など取れるはずもない。ひざまずいたまま、シオンは次の言葉を大人しく待った。


「突然呼びつけてすまなかったね。君をここへ招いたのは、飛行船での経緯いきさつを小耳に挟んだからなんだ。幻竜げんりゅうを退けた英雄の顔を、ぜひともこの目で見たいと思ってね」


 あの空での攻防は、すでに遠い日のできごとのように思えた。しかし、それだけのことでわざわざ騎士にシオンを探させたのだろうか。不審ふしんに思うと、女王は続けた。


「もしも私が君を宮廷きゅうてい付きの調律師としてやといたい、と言ったら……引き受けてくれるかい?」


 どうやら、それが本題だったみたいだ。調律師は貴重だし、称号を授与じゅよされた者はある意味では王族よりも尊い宝。手元に置きたがる為政者いせいしゃは多い。


「身にあまる光栄なお言葉ですが、僕にはさねばならないことがあり、一つどころに留まるわけにはいかないのです」

「この国に来た目的は、何かな?」

「陛下の不利益ふりえきになるようなことではないかと」


 シオンが慎重に言葉を選ぶと、女王はくすりと笑む。それから、ゆるやかに首を横に振った。


「ああ、誤解しないでくれ。君の腹を探りたいわけじゃないんだ。あの飛行船には我が民も多く搭乗していた。君が居合わせなければ、帰らぬ者となっていただろう。私なりに礼をしたいんだよ。何か力になれないかと思っているんだ」


 社交辞令しゃこうじれいに過ぎない言葉だと思うけれど、とがめるつもりがないのであれば別段隠すようなことでもないだろう。


「僕は魂の竜エインヘリヤルの伝承を求めてこの国に参りました」

神曲聖歌アステルト・ノートか。懐かしい響きだ。求めてどうするんだい?」

「調律師が伝説の楽譜コードを追うことに、理由が必要でしょうか?」


 尋ね返すと、アウレラはくすくすと上品な笑みをこぼす。


「なるほど、正論だ。たしかに今のは私が無粋ぶすいだったね」


 す、とシルクの手袋に包まれた指が遠く彼方かなたを示した。反射的に目で追ってしまうけれど、視界に入るのは緑が目に優しい自然と青空にゆったりと流れていく雲だけ。


「ルクシーレの東に、エーテル濃度が極端に濃い水晶谷エーテル・ケイアと呼ばれる洞窟がある。その最奥に魂の竜エインヘリヤルが眠っている、という伝承が残されているんだ」


 いきなり詳細な場所まで知れるとは思わなかったので、シオンは息を呑んだ。


「魂の竜が? 事実なのですか?」

「さあ、どうだろう? 私が知る限りでは実際に見たものはいないから。けれど、水晶谷エーテル・ケイアの伝承が伝わっているのは事実だよ」


 九百年ものあいだ謎に包まれている楽譜なのだ。当然と言えば当然の答えなので、シオンは特に落胆らくたんはしなかった。すると、女王は眉根を寄せた。


「……ただ、気を付けるといい。磁場が狂っているせいで方向感覚がなくなるのか、それほど深い洞窟でもないのに行方知れずになる者もいる。今は封鎖しているから滅多にないけれどね」


 うれいげにそうこぼしたあと、シオンに向けて微笑む。


「もし水晶谷エーテル・ケイアに向かうのなら、私が立ち入りを許可し、兵に足を用意させよう。洞窟まで送らせるよ。大した距離ではないけれど、歩いて行くのを進めるのは忍びないからね」

「そこまでしていただくわけには――」

「言っただろう? 礼をしたい、と。大したものでもないけれど、力になれるのなら光栄だよ。それに、称号を持つ調律師に恩を売るのは悪くない」


 シオンが辞退しようとすると、アウレラはほがらかに笑んでそんなことを言う。


 何かが引っかかった。けれどそれが何かまでがわからなくて、シオンはもやもやとした気持ちを抱えてしまう。

 話がうまく行き過ぎているから不安に思えてしまうのだろうか。


 もし魂の竜エインヘリヤルの力が実在するのならば、それがどのようなものでも女王はシオンの手に渡るのは良しとはしないだろう。しかし、そもそも神曲聖歌の伝説を信じていない可能性のほうが高いし、本気で見つかるとは夢にも思っていないだろう。


 シオンとしては別に空振りでも構わないのだから、行くだけ行ってみるのは悪くない。当初の予定では、書物でヴェルスーズの伝承を調べ上げ、片端かたはしから当たって行く算段だったのだ。候補が早々に上がるのは、悪い話ではないのだから。


 しばし考えた末に、シオンは胸の奥のざわめきを押し殺し、深くこうべを垂れ、陛下のお心遣いに感謝致します、とその申し出を受け入れた。

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