奏界のエデン

空の世界を旅する王道×サスペンスファンタジー
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第50話 異国からの訪問者

公開日時: 2021年9月29日(水) 21:13
文字数:4,460

 乱入して来たのは、シオンよりいくらか年上だろう青年。濃い灰褐色の髪は癖があるのか左右に飛び跳ね、うなじの一房だけが肩甲骨の辺りまで伸ばされている。髪と同色の瞳は切れ長だが、鋭さの中にどこか人懐こさがあるようにも感じられた。

 精悍せいかんな顔立ちと灰色のロングコートをまとった痩身からは好戦的な気配が立ち昇っている。身の丈ほどもある槍の柄は半透明な青色で、複雑な紋様――聖術刻印が刻み込まれていた。差し込む夕日を受けて、三つまたの矛が光を反射している。


 青年が石畳を蹴った。一切の予備動作なく突き入れられる槍の速度は、驚くほどに速い。剣を鞘から引き抜きざまに刀身で受け止め、斬り払う。澄んだ金属音と共に火花が散り、両者は弾き飛ばされ、立ち位置が入れ替わった。

 着地の瞬間、踏ん張りを利かせた右足に走った痛みにシオンは顔を歪めてしまう。歩くだけなら意識しない程度の怪我だけれど、流石にキツイ。


 青年の双眸そうぼうに怪訝な色がにじむも、攻撃の手は緩まない。弾かれた槍を器用に旋回させ、切っ先とは逆の柄の部分を下から突き上げてくる。何とか横に跳んでかわすが、なにぶん幅の狭い通路だ。動きが制限されてしまい、一秒たりとも気が抜けない。


「お待ちなさいな、ヴィンスッ!!」


 女性の声が掛かるが、青年は聞く耳持たず。そしてシオンも気を払う余裕がなく、一瞥いちべつすらできない。神速の突きを、何とか剣でさばく。


 ――一体、何なんだっ!


 道の幅を考えれば明らかに槍はこの場には適さない得物。だが、青年は突きと上下の斬撃をたくみに使いわけ、攻撃を繰り出してくる。

 幾度か斬り結ぶと、青年が槍を振り上げ、大上段で構えを取った。シオンはこの後に来るだろう突進を受け止めるために剣を握る右手に力をこめた。

 青年が動いた。突き入れられた切っ先の軌道に合わせて、剣の腹を差し出す。と、視界の先でほこがぶれた。持ち手をの中央に移動させ、くるりと槍の上下を入れ替えた青年は、巧妙に刀身の壁を避け、柄でシオンの手首を下から打ち据えた。痺れるような痛みに剣が手から滑り落ちてしまう。


 しまった、と思った時には、もう遅い。風を切る音が聞こえた時には、喉元にひんやりとした感触。


「ま、こんなもんか」


 端正な顔に浮かんだ不遜ふそんな笑み。シオンの背を冷や汗が伝う、と。


「この、ばか〜っ!!」

「おわっ!?」


 背後からひざ裏を勢いよく蹴りつけられた青年は、奇声を上げてつんのめった。槍の切っ先が、頬の横をすれすれのとこで通り過ぎて行く。シオンが咄嗟に横に避けなければ、串刺しになるところだった。


 蹈鞴たたらを踏んだ青年を、赤髪の女性がきっ、とにらんだ。


「こんなことをして、もし取り返しのつかない怪我を負わせでもしたら、あなた一体、どう責任を取るつもりなんですのっ!?」


 むしろトドメを刺そうとしたのはこの女性じゃないだろうか。剣を拾いながら内心で肝を冷やすシオンの耳に、のほほんとした低い声が届く。


「んだよー。おまえが声掛けらんなくてストーカーみたくなってたから、気を利かせてきっかけを作ってやったんじゃん?」


 槍を肩に背負い、青年がへらりとした笑みを浮かべれば、華奢な体躯から発せられる怒気はますます強まる。


「これの、どこが、気を利かせているんですのっ!? 善良な市民に問答無用で襲い掛かるだなんて、やってることが犯罪者ですわよ? わかってますのっ? 通報されて兵士さんが駆け付けたら、捕まって牢屋に入れられるのよっ?」


 肩を怒らせて一息に言い終えても、青年はどこ吹く風。ただ、その笑みが飄々ひょうひょうとしたものからどこか楽しげなものに切り替わった。女性の肩越しにシオンを見やり。


「牢屋、ね。なあ、空の調律師。オレのこと、ヴェルスーズの警備兵に通報する?」


 ――空の調律師。


 つまり、この二人はシオンのことを知っていて何か用があるのか。剣を鞘に収め、苦笑する。青年に応える、というよりは青めた顔で振り返った女性をなだめるように。


「きちんと事情を説明してくれるのなら、そこまではしないよ」



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 女性の名はエリアナ・ブライユ。年はシオンと同じで十八歳。

 青年はヴィンス・ランシュア。こちらは現在二十歳ハタチで、二人は幼馴染らしい。


 シオンが泊まっている宿の食堂で自己紹介を済ませると、エリアナは深々と頭を下げた。


「どうか非礼をお許しください、空の調律師さま」


 睫毛まつげをそっと伏せて、エリアナは丁寧に謝罪してくれた。

 流暢りゅうちょうなヴェルセーヌ語に加えて、鴨肉をフォークとナイフで切り分ける仕草には品がある。たぶん良家の令嬢だろう。その隣でヴィンスは黒パンを頬張っているけれど、こちらはテーブルマナーなど無視のガサツさだ。


「シオンで構わないよ、エリアナさん。それに、特に気にしてないから」


 ただ驚いただけだ。最初から怒ってなんていない。シオンが柔らかく笑みを返すと、「でしたらシオンもわたくしのことはエリアナと呼んでくださいな」と微笑み返された。


「それで、僕に何か用があるってことでいいのかな?」

「それは、その〜。そうなんですけれども。ええと、何て言えばいいのかしら。ですから、その――」

「オレたちをおまえの旅に同行させて欲しいのさ」


 言いあぐねているエリアナに代わってヴィンスがそう告げた。予想外の申し出にシオンは目を丸くする。


「ヴィンス! あなたってば、どうしてそう……っ、物事には順序というものがあるでしょう!」

「こーゆーのは、取り繕ったってしょうがないんだって」


 まなじりをつり上げるエリアナに、肩をすくめるヴィンス。シオンは戸惑うことしかできない。


「話がよく、見えないんだけれど。説明してもらえるかな?」


 エリアナはナプキンで口元を拭い、居住まいを正した。琥珀色の瞳にまっすぐ見つめられると、何を言われるのかと緊張してしまう。

 

「シオンは神曲聖歌アステルト・ノートを集めて旅をしている。そうですわよね?」

「そうだけど、どこでその話を?」

「アステルト教の教主さまさ。予言に従って、オレたちはイスシールから来たんだ」


 四の大陸イスシール。


 永遠とわの冬に閉ざされた、光明の竜レヴィアタンの加護を受けし国。名前はもちろん知っているけれど――。


「その、予言っていうのは?」

「順を追ってお話ししますわね。聞いてもらえる?」


 頷くと、エリアナは静かに語った。


 イスシールは光明の竜レヴィアタンの加護を受けてまつりごとり行っている。光明の竜は未来を予測する力を持ち、本体は眠りについているが、譜面石に触れた者にその意志を伝えることはできる。これが、予言と呼ばれるもの。そして竜の声を聞けるのは、石に触れ、光明の竜レヴィアタンに気に入られた神子みこと呼ばれる存在だけ。

 イスシールは神竜オラリオンと神子の関係を政にかし、安寧を築いてきた。このことはイスシールに常駐する帝国兵に内密にするため、国の一部のものしか知らない機密事項。


 雪崩なだれによる被害の回避であったり、経済の安定。あるいは医療や夢幻機関の技術の発展。竜の力はあらゆる分野に活用され、厳しい気候にさらされながらもイスシールは繁栄してきた。


 ところが、七年前に光明の竜レヴィアタンが何者かに持ち去られてしまった。以来、神子に届く竜の声は年々弱まっていき、国は傾くばかり。


 なんとしても光明の竜を取り戻す必要があるが、肝心の竜はその居所を教えてはくれないし、大掛かりに探せば神曲聖歌アステルト・ノートが行方知れずであることが他国にバレてしまう。おまけにこの広いオルラントで光明の竜レヴィアタンの行方を追うなど、干し草の中から針を探すようなもの。


 捜索が難航し、朗報なく七年が経ったとき、神子が一つの予言を聞き届けたのだと言う。


「空の称号を与えられし調律師が、光へのしるべとならん――それが、光明の竜レヴィアタンさまのお声です。わたくしたちはマリステラの教主さまにあなたの居場所を尋ね、神曲聖歌アステルト・ノートを求めてヴェルスーズへ旅立ったことを教えて頂いたのですわ」


 それで、光明の竜レヴィアタンを取り戻すためにシオンの旅についていきたい、ということか。


「どうか、わたくしとヴィンスをあなたの旅に同行させてくださいませ」


 真剣な眼差しに、しかし、シオンは首を横に振った。


上辺うわべの事情はわかったけれど、肝心の部分をぼかしたままの説明だけじゃ信用することはできないし、頼みを聞くのは難しいよ」

「え……?」


 整った顔に狼狽ろうばいの色が浮かんだ。シオンはため息を漏らす。


「盗まれた神曲聖歌アステルト・ノートを探すだなんて、イスシールにとってはかなりの大事《だいじ》だろう? それなのに、その大役を君たちに任せた経緯いきさつが丸ごと抜けてる。不自然なくらいに。わざとはぶいたんだよね? どうしてだい?」


 背景はわかった。しかし、二人の素性は謎のままなのだ。シオンの切り返しに、エリアナが口元を引き結ぶ。彼女が再び口を開く前に、くつくつと忍び笑いが聞こえてきた。ここまでだんまりだったヴィンスがおかしそうに笑み、


慧眼けいがんだな。非礼をびよう、空の調律師」


 見据えてくる灰褐色の瞳の色が深まる。シオンはその色に既視感があるような気がしたのだけれど、それは一瞬のことで、どこで見たのかまでは思い至れない。


 ヴィンスはまたすぐに軽薄な笑みを浮かべ、軽い口調で続けた。


「確かに、正論だ。けどさ、別にオレたちはおまえを利用してやろうとか後ろ暗い事情があるから隠しておこうとか、そーいうよこしまな気持ちで伏せたわけじゃない。ようは、見栄みえを張りたかったんだよ」

「見栄?」


 首肯しゅこうし、ヴィンスは横目でエリアナを見た。


光明の竜レヴィアタンを盗んだのはオレの兄貴。そんで、愚行ぐこうを働いた我が兄は、エリアナの婚約者でもある」

「え……」

「オレは血を分けた兄が大罪人だってことを恥じるほど繊細にできてねーけど、こいつは違うんだよ。親同士が勝手に決めた縁談でもさ、将来の伴侶はんりょ盗人ぬすっとで、おまけに別れの言葉もなく捨てられましたーなんてこと、恥ずかしくて言えねえじゃん?」

「~~~~っ!」


 エリアナの頬がみるみる紅潮していく。あんまりな物言いに耐え切れなくなったのか、


「ヴィンスっっ!」


 瞳を潤ませ、林檎のように真っ赤な顔で食って掛かった。


「んだよ~。耳元でがなり立てるなって」

「わたくしは、捨てられてなど、おりません!」

「いい加減認めろよ。兄貴はおまえを捨てて、光明の竜レヴィアタンを盗んで国を出た罪人なんだって。帰国したら処刑。最悪はまぬがれても、一生牢屋の中。どのみち婚約は破棄されるんだしさー」

「ウルさまのことだもの。何か深いお考えがあってのことに決まっております! 陛下だって、納得できる理由があれば寛大かんだいな処分をお下しになるはずですわ」


 ウル、というのがヴィンスの兄の名前みたいだ。エリアナの言い分は無関係のシオンですらだいぶ無理があるように思えたし、事実、ヴィンスは呆れたように息を吐く。


「恋する乙女は盲目だよな~。深い考えがあっても大罪人に代わりはねえし陛下の温情が期待できるとも思えねえが」


 ぼやくように言ってから、不敵な笑みがシオンに向けられた。


「まあ、そんなこんなで、オレは身内の不祥事ふしょうじに始末をつけるために勅命を受け、光明の竜レヴィアタンを持ち帰る使命を託された。エリアナは強引に付いて来た、ただのおまけ。どうだい、シオン。これがオレたちの抱えてる事情だ。頼みを聞いてくれるかい?」

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