奏界のエデン

空の世界を旅する王道×サスペンスファンタジー
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第2話 幻竜の襲撃

公開日時: 2020年9月11日(金) 17:08
更新日時: 2020年10月2日(金) 17:12
文字数:3,467

避難勧告ひなんかんこくが出ただろう。さっさと中に行け、邪魔だ」 


 ふたりを追い払うように乱暴な言葉を掛けてきたのは、三十ほどの大柄な男だった。日に焼けた浅黒い顔に、黒を基調とした旅装の上からでもわかる鍛えられたぶ厚い肉体。その背には長い銃身を持つ黒い銃がくくりつけられていた。


「あなたは避難ひなんしないの?」


 粗野そやな言葉にシオンは眉をひそめてしまったのだけれど、ルクレティアは気にした様子も見せずに無邪気むじゃきに首を傾げる。


 男はひゅう、と口笛を吹いてルクレティアを見下ろした。声を掛けてから初めて彼女の際立った容貌ようぼうに気づいたのだろう。男はルクレティアの疑問には応えずに、舐め回すような視線を彼女にそそぐ。

 シオンは両者のあいだにさりげなく割って入ると、男の旅装を検分けんぶんしてから、尋ねた。 


「もしかして、聖術師ですか?」

「へえ、よくわかったな。まあ、銃の刻印こくいんを見りゃ世間知らずのガキでも気づくか」


 男は自慢げに背に下げていた銃を手に取り、胸の前でかかげてみせた。持ち手の部分には聖術刻印せいじゅつこくいんと呼ばれる、月の紋章もんしょうを中心にした六芒星ろくぼうせいの白い紋様もんようが刻まれていた。


 刻印武器こくいんぶきと呼ばれる、聖術師が扱う武具だ。


 聖術師は聖歌を扱う術師もいるが並外れたエーテルへの耐性が必要になるため、その数は極めて少ない。武器に刻まれた刻印を媒介ばいかいにエーテルを取り込み、擬似ぎじ的な聖術を扱うものが大半だ。

 それでも空気中のエーテルを操る独自の感覚と耐性が必要になるので、その才能を持つ者は空の世界フル・フィアラルの人口でも千人に一人の割合だと言われている。


 男も後者の術者で、おそらく飛行船の護衛で稼いでいる傭兵だろう。飛行船が幻妖種ニーズ・ヘッグに襲われることは滅多めったにないが、年に数度は起こると聞くし、略奪目的の空賊くうぞくが出没することもある。


「ま、そーいうこった。万が一の時は俺が対処するから素人しろうとはさっさと逃げな。邪魔だ」

「素人じゃないわ! シオンは……」 

「はいはい、ティア。お言葉に甘えて僕らは中に行くよ」


 食ってかかりそうになる彼女の背を押して船内に向かおうとしたとき、飛行船が大きくれた。


「きゃあ……っ!」


 船体は激しく揺さぶられ、甲板がななめに傾く。シオンは慌てて手近な手すりに掴まり、空の海に放り出されかけたルクレティアの腕を捕まえた。

 一般の機械人形ドールであればシオンの筋力では支えるのも難しいけれど、ルクレティアの体重は普通の少女のものと遜色そんしょくない。片腕だけの力で何とか彼女を引っ張り上げ、近くの手すりを掴ませる。


「ありがとう、シオン……。死んじゃうかと思ったわ」


 機械の彼女に命は宿っていないのだから、第三者が聞けば疑問を抱く発言だろう。けれどシオンはそれには応えずに、薄緑の双眸そうぼうを細めて眼下を見下ろした。


 飛行船の後方でまるで間欠泉かんけつせんのように雲が吹き荒れ、青い空に舞い上がったかと思うと、今度は甲板の右舷うげん前方から雲の飛沫しぶきが派手に上がり、黒い影が境界から飛び出してきた。


 黒い疾風しっぷうが飛行船の側方を駆け上がり、上空でふわりと静止する。


 太陽の光をびてにぶく輝く蝙蝠こうもりめいた一対いっついの翼がばさりとはためき、強風に飛行船が再び傾きかけ、ぐらりと揺れた。


 黒い光沢を放つうろこおおわれた巨体に、人どころか小型の飛空挺くらいなら丸呑みできそうなあごと牙。飛行船を見下ろす黒い双眸は目があっただけで腰を抜かしそうな鋭さをはらんでいる。


 全長およそ三メートルほどの巨躯きょくを持つ幻妖種ニーズ・ヘッグは、竜のような見た目をしていた。


 思わぬ大物の出現に、シオンは息を呑む。


「おいおい、ありゃあ、なみの幻妖種じゃねえな。幻竜げんりゅうだ。なんであんなバケモンがこの界域にいやがるんだ」


 手すりから身を乗り出した男のつぶやきには、強い緊張がにじんでいた。


 地上から境界のある高度まで上がってこれる幻妖種ニーズ・ヘッグというのは個体が限られている。幻竜はそのなかでも遭遇そうぐうしたならばその日航界に出たものは運が悪かったと命を諦めるべき、ばけもの級の幻妖種だ。

 おそらく界面で襲われていたであろう帝国の飛空挺はなすすべもなく撃墜げきついされたに違いない。


此に捧げるはryu rue焔の書siuru tue賢人たるtiu nouheアナティウムがanathium創りし調べの唄etea siue noisu


 飛行船の外装に取り付けられた拡声器から、抑揚よくように欠ける、無機質な女の声が流れてきた。

 それは聖歌と呼ばれる奇跡きせきつむぐ歌であり、歌い手はこの飛行船に積まれているであろう機械人形ドールだ。


 歌が終わると術が完成し、空に火球が生まれ、それは幻竜に向かって放たれた。


 ――並の幻妖種ならば十分な威嚇いかくになるのだけれど。


 幻竜は翼を器用に羽ばたかせて滑空かっくうすると、炎の弾丸をことごとくかわしていく。さらにいくつかの火球が生成され再び幻竜を襲うが、黒竜は空の海を泳いで悠然ゆうぜんとかわした。


 いつのまにか幻竜への照準を合わせていたらしい男が、銃の引き金を引く。放たれた銃弾は一直線に竜の肩をとらえ、着弾するとたちまちその巨体が炎に包まれた。


 一瞬の制止をついた攻撃は見事だったが――。


「おいおい、冗談じゃねぇぞ」


 炎がかき消え、姿を現した幻竜のうろこにほとんど傷はなく、表面がかすかに焦げているだけだ。

 術者の才能にもよるが、歌という工程をはぶいているがために、刻印を用いた聖術の威力いりょくは聖歌と比べて格段に落ちる。強靭きょうじんな鱗で守られたあの幻妖種にはダメージを与えるには至らなかったようだ。


 鉄のかたまりに意識を向けていた幻妖種が、そこで初めて甲板の一点に意識を向けた。凶暴な瞳がぎろりと男をにらみすえる。


 船内からは、悲鳴が聞こえてくる。船室の乗客たちは、いつ死んでもおかしくないこの状況に恐慌状態へおちいっているに違いない。


 このまま体当たりでもされたら、飛行船は一撃で落ちかねないのだから。


 一連の攻防を息を詰めて見つめていたシオンは、右耳に着けているピアスにそっと指をわせた。

 透明感のある青い水晶を加工して金の台座にえたそれは、一見ただの装飾品に見えるけれど、帝国の機械技術のすいが注ぎ込まれた、小型の通信機械。

 ついになるピアスを持つ相手と遠距離での会話が可能になり、この場合のシオンの相手はルクレティアになる。


「ティア、通信機ピアスのスイッチ入れておいて」

「シオン?」


 驚いたようにこちらを見返してくるあいの瞳にうなずいてみせ、シオンは剣を抜いた。両刃の片手剣の刀身には、男の銃と同じく聖術を発動させるための刻印が刻まれていた。


 シオンはいまだ放心状態の男に声を掛ける。


幻竜げんりゅうが近づいてきたら、ギリギリの距離でじゅうを一発だけ撃ち込んでください。その後は僕が引き受けます」

「はあ? なにバカなこと言ってやがる! さっきの見てなかったのか? あんなばけもの、出会った時点でんでるんだよ!」


 すでに死を覚悟しているらしい男の態度はいっそいさぎよいかもしれないけれど、シオンは生憎あいにくとこんなところで死にたくはなかった。


 だから、頭一つ分ほど上にある男の目を見上げ、強く言う。


「聖術師なら、弱音をく前に最後まで生き残る努力をするべきです」

小賢こざかしいことを言うがな、俺の攻撃は効かねえし、この船の機械人形ドールに組み込まれてる術式は当たらねえ! どうしろってんだ!? そんな小枝こえだみてえな剣でどうにかなるとでも思ってんのかっ?」


 怒りで顔を真っ赤にした男に、シオンは目線でルクレティアを示す。


「彼女は聖歌を扱える聖術師です」


 機械人形ドールだと説明すると面倒なことになるので、シオンはいつも第三者にはルクレティアを聖術師だと紹介していた。驚いたように目を見開く男に、続ける。


「そして僕は調律師ちょうりつしです。幻竜に対抗できる楽譜コードは持っています。戦術次第ではやつを退しりぞけられるはず」


 落ち着きを取り戻し始めたらしき男に、シオンはさらにたたみ掛けた。


「彼女が聖歌を歌うあいだ、僕が幻竜の足止めをします。銃を撃ったらあなたは操縦室まで行って飛行船が離れすぎないように指示を……」

「シオン! 竜がっ!!」


 ルクレティアのさけびに、シオンは上空を見上げた。太陽を背にした幻竜が翼をたたみ、甲板めがけて急下降してくるところだった。

 まだ説明の途中だったけれど最低限言いたいことは伝わったはずで、シオンは剣を手にして手すりに飛び乗った。


 幻竜の体がみるみる迫り、烈風れっぷうに手すりから振り落とされそうになる。片膝をついて手すりを掴み、体を支えることで何とかえる。竜の腕が振り上がり、その爪が船体に叩きつけられる直前に、シオンは叫んだ。


「いまだ! 撃って!!」


 火線が竜の顔面を正確に捉え、炎をまともにらった竜はたじろぎ、その巨体がふらりと揺れる。反射の行動か、竜の翼が態勢を整えるために羽ばたくと豪風ごうふうに船体が激しく揺れた。


「ティア、足場をお願いッ!」


 振り返ることもせずに右耳のピアスに向けて叫んだシオンは手すりをり、空の海へと体を投げ出した。


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