事情はわかったし、シオンの目にはエリアナとヴィンスは善良な人間に思えた。そして何より、シオンとて光明の竜と巡り会えるのなら渡りに船だ。
少し考え、
「光明の竜を見つけたとして、楽譜は僕が見てもいいのかい?」
「もちろんですわ。石はわたくしたちが回収させて頂きますが、持ち帰る前に書き写すなりしてくだされば……」
シオンが欲しいのは楽譜だけ。エリアナの提案に異論はない。もう一人に視線で問うと、ヴィンスは何も言わずにただ瞳を細めた。それを肯定と受け取りつつ、シオンはもう一つ尋ねる。
「どうすれば光明の竜が見つかるかは君たちにもわからないって解釈で合っているのかな?」
「はい。わたくしたちもシオンと行動を共にすればいずれ巡り会える、としか……」
「他力本願で悪いなー」
終始に渡って申しわけなさそうなエリアナと、対照的に軽いヴィンス。シオンは熟考し、頷いた。
「わかった。個人的には構わないよ。でも、僕には一緒に旅をしている女の子がいるんだ。結論を出すのはその子に相談してからでもいいかい?」
今はいないルクレティアを思い浮かべる。人見知りをしない子だから問題ないと思うけれど、だからといってシオン一人で決めるわけにはいかない。
「へえ、連れがいたのか」
「その方は、今どちらに?」
当然の会話の流れに、シオンはどこまでこちらの事情を話すか悩んだ。
しばらく迷った末に、詳しい事情はルクレティアと合流してから偽りなく説明することに決めて、今は必要最低限のことだけを伝えることにした。
ルクレティアという女の子と旅をしていること。それからロゼリアという少女と出会い、彼女が魂の竜の力で幻竜へと変異してしまったこと。ヴェルスーズの血なまぐさい歴史。ロゼリアの悲しい過去と彼女を心配しているガリアンの存在。最後にルクレティアは今事情があってロゼリアと共に行動していて、シオンは彼女と合流し、魂の竜を編曲してロゼリアを元に戻してやりたい、と締めくくった。
二人はルクレティアと別れてしまった理由を聞きたそうにしていたが、シオンが複雑だから彼女と合流したら改めて説明するよ、と告げたら大人しく引き下がってくれた。
話を終えると、まずヴィンスが肩を竦めた。
「人間が幻妖種になっちまうのも驚きだが。この国はイスシールと比べりゃ随分と恵まれてる環境に思えたんだけどなー。その実態が生贄で成り立っていたとは。んでもってその贄は故人の解釈違い。世知辛いねぇ」
食堂は活気に満ちているが、近くの客に聞こえないようにと配慮してくれたのか、声量は抑えられたもの。エリアナは悩ましげに吐息をもらす。
「難しい問題ですわね。後から不要な犠牲だとわかっても、大のために小を切り捨てたのは一つの選択としては間違いとは言い切れませんし……」
「正しい、正しくない、なんて見る側の立ち位置で変わるしなー。最終的な責任を取るのが為政者の仕事なわけだし恨む気持ちもわかるが。まあ、ヴェルスーズごと滅ぼそう、なんてのはやり過ぎだろうな」
軽薄な物腰が目立つ青年だが、その台詞は案外と理性的だった。
「それにしても、神曲聖歌探しは波乱万丈みたいだな。一つ目の楽譜でこれとは。おまえ、悪縁に好かれてんじゃねえの?」
かと思えば、急にふざけだす。掴み所のない青年だなあと思いながら、からかうような口調にシオンは苦笑を返す。
「僕と一緒に旅をするのなら、君もその悪縁とやらに好かれているってことになるんじゃないかい?」
「どちらかと言えば、オレらが悪縁そのものって感じじゃねえ?」
エリアナが眉根を寄せる。
「嫌な言い方はやめてくださいな。良縁になるに決まってますわ」
「良縁、ね。んじゃ、そうなる努力はしてやるよ」
窘めたエリアナに不敵な笑みを返して、
「シオンが魂の竜を編曲するあいだの幻竜の足止めくらいなら、手を貸してやってもいいぜ。幻妖種と戦える機会なんて滅多にねえし、それが幻竜ともなれば、想像するだけで愉しそうだ」
「不謹慎ですわよ、ヴィンス」
エリアナの眉間のシワが深まってもヴィンスの口元に浮かんだ笑みは消えない。どうやら彼は戦うことが好きなようだ。
「申し出は助かるけど、なるべくなら彼女を傷つけないで欲しい。できそうかい?」
「善処はするよ。未来の旅路の友からの好感度は大事だしなー」
頷くヴィンスの隣で、エリアナがそろりと右手を挙げた。
「ごめんなさい、シオン。わたくしは武芸はさっぱりで……」
「"は"じゃないだろ。運動全般ダメじゃん」
茶々を入れるヴィンスにエリアナが食ってかかりそうになるので、シオンは慌てて割って入った。
「それじゃあ、明日の夜、僕の泊まってる部屋でガリアンさんと戦略を練る約束をしているんだ。二人も参加してくれるってことでいいかい?」
「おう」
「ヴィンスと違ってわたくしは聞くだけになってしまいそうですが……」
「エリアナに何か頼むことも出てくるかもしれないし、参加してくれると助かるよ。逆に退屈させてしまうかもしれないけど」
シオンがそう締め括ると、二人は快く承諾してくれた。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
エリアナとヴィンスもこの宿に部屋を取ると言って、二人と別れた頃には日付が変わろうとしていた。ヴィンスは荷物を取りに当初泊まる予定だった宿に向かい、エリアナは先に部屋で休むようだ。
ここまでの疲れが一気に押し寄せてきて、シオンはベッドに倒れこむ。すべすべのシーツの感触と柔らかなスプリングが心地いい。シャワーを浴びて埃っぽい体を洗い流したいけれど、実行する気力は湧いてこない。
広い部屋のなかに、静寂が満ちた。
皺ひとつなく整えられた隣のベッドは空いている。
目まぐるしい状況で誤魔化せていても、こうしてゆとりができればシオンの頭の中はルクレティアのことでいっぱいになる。本当に彼女にもう一度会うことができるのか。フェリシアが目覚めたことで彼女の意識は消えてしまい、二度と会うことはできないんじゃないか。そんな暗い考えばかりが浮かんでしまう。
耳に痛いほどの静寂を切り裂くように、コンコン、と控えめなノックの音が響いた。
誰だろう。シオンが扉を押し開けると、燭台に照らされた廊下に立っていたのはエリアナだった。
「こんな遅くにごめんなさい。少し、お話ししたいことがあって。そんなに時間はかかりませんわ。よろしいかしら?」
「えっと……」
シオンは答えに困った。流石にこの時間に女性を部屋に招き入れるのは気が引ける。ルクレティアなら首を捻るだろうシオンの反応を、しかし、エリアナは察してくれた。
「あ、廊下で大丈夫ですわ。本当に、ちょっとだけですから」
それならばと、シオンは部屋の鍵をポケットに入れて廊下に出ると、後ろ手に扉を閉めた。壁に背を預ける格好で話を促すと、エリアナがぺこりと頭を下げて来た。後頭部で結わえられた赤い髪が肩からはらりと滑り落ちる。
「ヴィンスのこと、改めてごめんなさい。あんな適当なことを言っておりましたが、ヴィンスは賢明な人で……シオンに戦いを仕掛けたのは、彼なりにシオンの人となりを見極めようとしていたんだと思います」
確かに、乱暴な挨拶はその後の対応に性格が顕れるだろう。極限の状況下に置かれれば、本性は隠しきれない。
気性が荒ければ怒鳴りつけるだろうし、気弱なら震えて声が出なかったかもしれない。あるいは、ちくちくと嫌味を言う者もいるかも。理に適った方法に思えた。
旅を共にするかもしれない相手の力量と人柄を見極めようとしていた、ということか。
「それは、君のために――って解釈でいいのかな?」
まだ薄っすらとでしかないけれど、二人のあいだにある絆は見えつつあった。エリアナはちょっとだけ眉根を寄せて、苦い笑みと共に首肯した。
「ヴィンスは昔からああなのです。わたくしがウルさまの許嫁なので、保護者を気取っているのですわ」
軽薄な態度が目立っても、ヴィンスがエリアナを気にかけているのはシオンにも伝わってきた。なので、彼女からの謝罪に首を横に振る。
「食堂でも言ったけれど、僕は本当に気にしてないよ。寧ろエリアナたちに会えて気が紛れたし、助かったくらいだ。一人で居たら、ティアのことばかり考えていただろうから……」
うっかり口を滑らせてしまったシオンは、あっ、と思う。これではエリアナが戸惑うだけだろう。だが、彼女は何かしらの事情があると察してくれたのか、沈痛な面持ちになる。
「ずっと暗いお顔でしたものね」
「え、顔に出ていたかい?」
あからさまに暗い顔をした自覚はなかったが。エリアナは慌てて否定の仕草を取った。
「あ、違いますわ。食堂では気になりませんでした。その前――わたくしが外でシオンを見つけたときのことですわ。教主さまに見せて頂いた写真のおかげですぐに見つけられたのですけども、思いつめたお顔をなさっていたので声が掛けられなくて……」
一度言葉を切ったエリアナは、唇を引き結び。
「あの、いきなり押し掛けてきて戸惑わせてしまったかもしれませんが、わたくしもヴィンスもシオンにできる限り協力する心積もりでおりますわ。お会いしたばかりですけれど、精一杯力になりたいと思っているんです。ヴィンスも同じ想いのはずで……あ、いえ、戦えないわたくしに手伝えることはないかもしれませんがっ」
一生懸命に言葉を伝えようとするエリアナに、シオンはくすりと笑んだ。
「ヴェルスーズに来て大変なことが続いていたから、そんな風に言ってもらえると、気が楽になるかな。ありがとう。エリアナとヴィンスに会えて嬉しいよ」
これからよろしく、と左手を差し出すと、エリアナはほっとしたような顔で握手に応じてくれた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!