奏界のエデン

空の世界を旅する王道×サスペンスファンタジー
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第21話 悪夢

公開日時: 2020年9月30日(水) 17:00
更新日時: 2020年11月9日(月) 15:32
文字数:2,535

 ――ああ、まただ。今日もまた、見たくもない最悪の夢を見る。


 定期的に牙をくその悪夢は、現実に起きたこと。


 天井のステンドグラスから差し込む陽射しに照らされた真っ白な部屋の中央で。プラチナブロンドの長い髪が目をく愛らしい少女が、聖歌をつむぐ。

 見守る、というよりは監視するように壁際に並ぶ大人たちの視線なんて意にかいすることはなく。


 いつものように、楽しそうに、そのたぐいまれなる美しい歌声を響かせる。


 当然だ。彼女はシオンの作る聖歌を愛してくれていたし、シオンもまた、この光景を愛していた。


 離れた場所から恒例行事を見守っていたシオンの視界の先で、突然少女が目をみはった。大きな瞳をぱちり、と瞬かせた少女は、ひゅ、っと息を呑んだかと思うと苦悶くもんの表情を浮かべて喉を抑える。


 ふらり、と膝をついた彼女は冷たい床に倒れ込み、全身を駆け巡る痛みから逃れようともがき出す。


 いきなりのことに何が起きたのかわからなくて。


 それでも、たまらずに駆け寄ろうとしたシオンの身体が、大人たちに押し留められた。強い力で拘束されたシオンは、必死に声を上げる。


 つんざくような悲鳴は悲痛で、耳をふさぎたくなる。聞きたくなかった。こんな、苦しみに満ちた絶叫は。断末魔だんまつまじみた叫びは。


 見たかったのは、いつもの彼女の笑顔。それだけ。それなのに、なぜこんなことになってしまったのか。


 ――くすくす、と。耳元で少年のひそやかな笑い声が響いた気がした。



 ◆◆◆◇◆◇◆◆◆



「シオン!」


 はっと目を覚ますと、目の前にはランプの明かりに照らされたルクレティアの顔があった。視線がからむと、少女はほっとしたように息をく。


「起こしてごめんなさい。でも、うなされてたから。……大丈夫?」

「ティ、ア?」


 喉にたんが絡んで、声がつっかえてしまう。つぶらな瑠璃るりの瞳を細めて、ルクレティアは頷いた。その頰に手を伸ばすと、愛らしい顔は不思議そうな面持ちになる。


 手のひらに伝わる体温は、とても温かい。


「どうしたの、シオン?」


 黙ったままルクレティアの温もりにすがるシオンに、彼女はとうとう怪訝けげんな顔になる。

 手を下ろし、起き上がったシオンは何とか微笑みを作った。


「……ごめん、嫌な夢を見て。ちょっとぼうっとしてた。起こしてくれてありがとう」

「うん……大丈夫?」


 シオンは今度こそ綺麗な笑みを浮かべて、はっきりと頷く。


「大丈夫だよ。汗かいたから、シャワーを浴びてくるよ」


 首筋や背中に伝う寝汗ねあせはひどく気持ちが悪かった。

 おずおずと頷くルクレティアにもう一度微笑みかけつつ、そっとカーテンの向こうをうかがう。外はまだ薄暗く、未明といった頃合いだった。寝た気はしないけれど、今夜はもう眠れないだろう。



 ◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 シオンが着替えを持って浴室へと姿を消すと、ルクレティアはしばし悩んだ末に寝室を後にして、リビングへと向かった。

 ふたりが滞在している宿は貴族やお金持ちの商人などが利用する高級なものだ。そのため間取りも広く、寝室とは別にリビングがある。


 リビングのランプをともして、それからシオンの荷物をがさごそとまさぐって。使われた形跡けいせきのない譜面ふめん帳と宿に備え付けてあったインクに羽ペンを手にしたルクレティアは、ふかふかのソファに身体を預けて、テーブルへと向かった。


 さらな譜面帳にペンを走らせ始めてから、どれくらい経ったのか。静まり返った部屋に響いた足音に顔を上げると、


「あれ、……ティア?」


 シオンが、目を丸くしていた。ルクレティアはにっこりと微笑む。


「目がえてしまったの。シオンを待っていたわけじゃないのよ?」


 彼は何かを言いかけたけれど、思い留まったように言葉を呑み込んで。いつもどおりの柔らかな笑みをたたえて近づいてくる。ふわりと香るのは、宿に置いてあった石鹸せっけんの匂いだ。すっかり馴染なじみとなったシルヴァリーの甘やかな香り。


「何を書いていたの?」


 隣に座ったシオンが、テーブルに置かれた楽譜がくふのぞき込む。


「あのね、わたしもたまには自分で楽譜を作ってみようかなって」


 シオンの気をまぎらわせるために即席で書いたものだ。聖歌を作るのは敬遠していても、普通の曲なら彼は思い悩む様子はなくて、旅のあいだも手慰てなぐさみにルクレティアに作ってくれたりしていた。


 ルクレティアは歌うことは得意ではあっても作る方に関しては素人しろうと。だからできあがったものは曲とも呼べない杜撰ずさんなものだ。適当に音符と詩を書いただけなのだから。


「食べ物のことばっかり書いてある」


 詩を読んだシオンが、呆れたような顔になった。音律はシオンからすればつたないものだろうし、書き込まれている歌詞は彼の言うとおり、料理に関するものばかり。それは、曲のイメージがなかなかいてこなくて、ふと飛行船で出された山盛りの料理を思い出したからだった。


 滅多めったに手に入らないという魚のチップスや、チーズの香りがかぐわしいお月さまみたいなケーキは記憶に新しかった。なのでこれは、せっかくだから食べてみたかったという願望を込めて書いた詩。


 嘆息たんそく混じりのシオンの言葉に、頬をふくらませる。


「だって。わたしは食べても味がしないのに、みんな美味しそうに食べるんだもの。不公平だわ」


 ルクレティアだって、うらやましく思う気持ちがないわけじゃないのだ。


「…………」


 冗談混じりの台詞に、しかし返ってきたのは重たい沈黙だった。


「……シオン?」


 視線を隣に移すと、シオンははっとしたように顔を上げてこちらを見てくる。


「あ、ごめん。何だっけ……?」

「あの、……」


 よく考えたら、シオンはルクレティアが機械人形ドールだということを気にしているのだ。彼を元気づけたい一心からのおふざけだったのだけれど、これは不謹慎ふきんしんだったかもしれない。


「あの、違うの。冗談のつもりで、別に本気で羨ましく思ったりなんてしてないわ」


 慌てて首を横に振って、ぱたん、と楽譜を閉じる。再び満ちた沈黙はちょっと重たい。ルクレティアの耳元で、シオンのため息がこぼれ落ちた。


「……その詩は却下、かな。いくらなんでも情緒じょうちょがなさすぎるよ」


 冗談めかしてそう言ってくれたシオンにほっとして、ルクレティアは彼に楽譜を差し出す。


「それなら、シオンが何か曲を作ってくれればいいわ。わたしは歌う係ね」

「……いつもどおりだね」 


 ぱらぱらとページをめくりながらペンを手に取った彼は、そうささやいた。

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