奏界のエデン

空の世界を旅する王道×サスペンスファンタジー
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第27話 捧ぐ"もの"

公開日時: 2020年10月11日(日) 20:31
文字数:3,548

 シオンが案内されたのは、前回と同じ花の香り豊かな庭園だった。てっきりシオンの動向を警戒して騎士が同行すると思っていたのだが、以前と同様に彼はひとりでアウレラへ拝謁はいえつすることを許された。


 前回は取り上げられた荷物は検分すらされずにそのまま。もっとも、剣は元より宿に置いてきてあるし、肩から下げた鞄には図書館から借りてきた書物が二冊入っているだけの軽いもの。


 薔薇ばらが巻き付いたアーチを潜って蓮池まで行くと、四阿あずまやに設けられた椅子に腰かけるアウレラの姿が見えた。橋のたもとでひざまずくと、萌葱もえぎ色のドレスに身を包んだ女王が口を開いた。


「君は、存外に肝がすわっているようだね。まさか私を訪ねて来るとは。人は見かけによらぬものというけれど、先人の言葉の偉大さを痛感したよ」


 シオンの生存に、アウレラは驚いた様子は見せなかった。その言葉には感嘆のような響きすら混じっているように聞こえた。


「僕たちが生き延びていたことは、ご存じだったのですね」

「街の門に見張りの兵を置いていた。君たちが帰還した場合、報告するように命じてあったんだ」


 女王の答えは、シオンの予想の範疇はんちゅうではあった。

 にえの制度を言いふらされては困るだろうが、女王の不利益になるような行動を取らなければ、十中八九、見逃されるだろうと思っていた。自発的に赴いた水晶谷エーテル・ケイアで命を落としたのであれば何とでも言い逃れができるが、口封じのための暗殺となれば、話は別。教団を敵に回すのはヴェルスーズにとっては避けたい事態。


 今後関わりを持たずに、なかったことにする。たぶん、そんな暗黙の了解がお互いにあったように思う。


「ウェイラーから聞いた限りだと、この国の風習はすでに知っているようだね。どこで知ったんだい?」


 ロゼリアの名を出すことも考えたけれど、シオンは思い留まった。彼女の行動は女王にとっては面白くないものに違いない。ロゼリアに不審を抱いているとはいえ、それとこれとは話が別だし、ここで槍玉に上げるのは卑怯ひきょうに感じた。


「王立図書館で伝承を調べました。水晶谷に幻竜がいた事実をかんがみれば、書かれていることは史実だとわかりますし、陛下の意図も汲み取れます」


 それらしい答えを返すと女王は納得してくれたのか、瞳をうれいげに伏せた。


「非情な決断だったことは認めよう。贄の周期はまばらだけれど、今回は最後の儀式から五年と経っていない。前例がないほどの周期の短さだった。それ故に、どうしても民を犠牲にしたくはなかったんだ。そのことは、理解してくれるかい?」


 もちろん、理解はできる。けれど代わりの生贄いけにえにされた立場からすると、虫が良すぎる話だとも思う。


「よそ者なら、犠牲にしても構わないと仰るのですか?」


 シオンがちくりとそう言うと、アウレラは嘆息した。


「そうは言わない。だが……いや、何を言っても言い訳になってしまう。贄を輩出した家系には、ヴェルスーズでの永遠の繁栄を約束している。しかし君はこの国の人間ではない。もし恨みごとがあるなら、聞く心構えはできているよ」


 そうやって、市民に口外しないように口を封じてきたのか。一族の繁栄のためなら自分の娘を差し出す貴族は一定数いるだろう。簡単に想像ができてしまって、シオンの胸には嫌悪が満ちる。


 つい顔をしかめたシオンは、見下ろしてくる眼差しの落ち着きように、違和感を抱いた。女王の瞳には静かな決意がにじんでいるように思えたのだ。ふと、気づく。


 一人でこの場に通されたことも、荷物を取り上げるどころか確認すらされなかったことも、アウレラなりの誠意なのだと。

 恨み言どころか、彼女はシオンが何かしらの報復を決行しても、黙って受け入れるつもりなのかもしれない。もっとも、案内役の青年に告げたとおり、女王を害する意志などシオンにはない。


「……では代わりに、僕のお願いを聞き届けて頂けますか?」


 鞄から二冊の本を取り出し、原本をアウレラへと差し出した。


「……これは?」

水晶谷エーテル・ケイアの伝承の原本です。現在いま出回っているものはこの本を複写したものらしいのですが、僕はヴェルスーズの古代語には明るくありません。陛下に翻訳をお願いしたくて参りました」

「……水晶谷の様子は見ただろう? なぜこだわる?」

「最初にお答えしたはずですよ? 僕は魂の竜エインヘリヤルを求めてこの国に来た、と。幻竜に殺されかけたからといって、諦めるつもりはありません」

「伝説に命をけるのは、愚行ぐこうだと思うけれどね」


 他人事ならシオンもそう感じるだろう。けれど彼は当事者で、懸けている対象は伝説になどではない。

 神曲聖歌アステルト・ノートを求めることは空の竜ラグナロクとの約束であり、シオンにとっては絶対に譲れないこと。


 だから呆れたような顔をするアウレラに、きっぱりと告げる。


けてもいいと思えるくらい、僕にとっては大事なことなんです」

「……読み上げればいいのかい?」


 シオンが頷くと、アウレラは古びた絵本を丁寧に開いた。


 ――魂の竜エインヘリヤル水晶谷エーテル・ケイアで眠りにつく前、その魂の守り手に幻竜げんりゅうをお選びになりました。


 そして、人間の友に聖歌をお贈りになったのです。もし守護者に悩まされることがあれば、この聖歌で我は目覚め、力を貸そう、とおっしゃって。


 しかし、幾夜いくよも経たぬうちに大変なことが起きてしまいました。


 なんと、宮殿がひどい火事に見舞われ、魂の竜からたくされた楽譜コードが燃えてしまったのです。

 困った王さまは、水晶谷へ使者をお送りになりました。


 最後の目覚めからそれほど時が経っておらず、眠りの浅かった魂の竜は涙交じりの哀願あいがんに目を覚ましてくれました。友へと贈った楽譜を失くした人間に激怒したあと、魂の竜エインヘリヤルおっしゃいました。


 ――人の所業しょぎょうは許しがたい。


 だが、神は寛大かんだいであるべきもの。月が赤く染まり、丸くなる晩。竜のために無垢むくな魂を捧げるのならば、慈悲じひを授け、我は再び目覚めよう、と。


 読み終わったアウレラは本をシオンに返し、その瞳をすがめた。


「やはり、原本も書かれている内容は同じだな」


 こぼされた感想を頭の片隅で聞きながら、シオンは現代語で書かれた写本の最後のページに視線を落とす。

 最後の魂の竜エインヘリヤルの言い回しが異なるのが気になったのだ。


 ――人身を捧げるのなら。


 それが、写本に書かれている魂の竜エインヘリヤルの台詞。しかし、アウレラの読みでは原本は魂になっていた。


 鼻孔びこうくすぐる甘い香りに、シオンは顔を上げる。遠くの花壇で揺れる、草丈の長い鮮やかな花たち。脳裏を過ぎるのは、ルクシーレの街に咲き誇る可憐な花にはしゃいでいた、ルクレティアとの会話。


 ――シルヴァリーの花。魂の竜エインヘリヤルの守護者がシルヴァリーに酔うのは皮肉だという、ロゼリアの台詞。


 閃くものがあった。同時に、背筋を氷塊ひょうかいが滑り落ちていくような、ぞっとした感覚が襲う。


「……陛下は、原本と写本が同じ内容だとお思いになられるのですか?」

「ああ。表現は違うが、意味することは同じだろう? 原本はこの手の伝承にありがちな迂遠うえんな言い回しをしているだけだ」


 確かにそうかもしれない。けれど、調律師であるシオンの見解は違う。


「陛下はアステルト語の心得こころえはおありですか?」

「調律師のきみほど明るくはないだろうが、いくつかの単語の意味ならわかるよ」


 シオンは、ゆるかやな風に遊ばれる草花を視界の端に置いて、問う。


「では、国花であるシルヴァリーの花の語源はご存知ですか?」

「……聖歌、だろう?」

「そうです。聖歌は、アステルト語でシルヴァリーsirvaly。では、魂は?」

「……覚えがないな」


 眉をひそめる女王に向けて、シオンは答える。恐ろしい考えから、声音が震えてしまわないように注意をしながら。


「魂はアステルト語でシルヴァリーsilvaryつづりは違いますが、発音は同じです」


 アウレラは、長い睫毛まつげをぱちりと瞬かせた。意味がわかっていないのか、それとも理解したくないのか。


 当惑している女王に伝わるように、シオンは説明をくだく。


「意味のまったく異なるこの二つの単語の発音がなぜ同じなのか、調律師のあいだでよく話題に上ることがあります。解釈はいくつかありますが、僕はその答えを知っています」


 エーテルは言霊で変化する。だというのに、意味の異なる単語が同じ発音を持つ、というのは勝手が悪い。そのせいで聖歌の詩に『聖歌』や『魂』という単語が用いられることは滅多にない。


 シオンはその理由を空の竜ラグナロクから直接教わったことがある。


「自らの力を聖歌へと込めた七神竜セブン・オラリオンにとって、聖歌は己の魂そのものでもあります。だから、つづりは違っても発音は同じなんです」


 人にとってはまったく異なる単語でも、七神竜セブン・オラリオンにとって魂という言葉は聖歌を意味するのだ。


 無垢な、というのは処女と捉えていたのだろうけれど、けがれのない、と意訳できる。多くの人の手に渡っていないという意味で、独創楽譜オリジナルと解釈することもできるのではないだろうか。


 魂の竜エインヘリヤルのために創作した独創楽譜オリジナルの聖歌を捧げよ。それが、魂の竜が求めたことに違いない。

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