親玉を倒すことができれば解決するかもしれないが、それが難しい、ということか。
ふと、シオンはロゼリアが助けてくれたとき、幻竜の様子がおかしくなったことを思い出した。彼女の銃は刻印武器ではない。どういった種があるのか純粋に気になった。
「僕らを助けてくれた時、きみの銃で幻竜の様子がおかしくなったのはどうしてなんだい?」
「私が使った弾にはシルヴァリーの香水が混ぜてあるんだ。幻竜はシルヴァリーの花のにおいを嗅ぐと酩酊状態になる。わずかな時間のことでしかないがな」
それは知らなかった。街中に咲いていた可憐な花を思い返したシオンは、気づく。
「……そうか。それでシルヴァリーの花があんなに咲いているんだね。国花だからって理由だけじゃなかったのか」
「というより、それゆえに国花とされているんだろうな。魂の竜の守り手がシルヴァリーに酔うのは皮肉だが」
自嘲めいた台詞の意味をすぐに察したシオンはくすりと笑む。
「ああ、確かにね」
「うん? どういう意味?」
首を傾げたルクレティアに、シオンは補足した。
「魂はアステルト語でシルヴァリー。聖歌と一緒でシルヴァリー。綴りは違うけど、発音は同じなんだよ」
「そうなの?」
ルクレティアが目を丸くする。
聖歌の詩に魂や聖歌という単語が用いられることは滅多にないので、アステルト語自体に堪能なわけではない彼女が知らないのは無理もない。逆にロゼリアはあれだけの調律の腕を持っているから、アステルト語に詳しいのだろう。
「伝承の話はわかったけど、幻竜の脅威があるわりには街の様子は普通に見えたような……?」
ルクシーレの活気ある街並みには怯えも恐怖も感じられなかった。
「……贄の儀式は一般の市民には知らされないからな。もしかすると伝承自体を知っているものはいるかもしれないが、事実だと知るものはいないし、幻竜の存在すら知らないはずだ」
「それなら、どうしてロゼリアは儀式のことを知っているの?」
シオンを挟んでルクレティアから投げられた問いかけに、ロゼリアは目を伏せる。
ランプの明かりの下でもはっきりとわかるほど唇が震え、しばしの間と共に答えが吐き出された。
「……今回の生贄は、私の姉さまなんだ」
「…………」
息を呑んだルクレティアが、隣で申し訳なさそうな顔になる。彼女の質問は流れとしては自然なものだったと思うのだけれど、ロゼリアの苦しそうな顔に軽率だったと感じてしまったのかもしれない。
ルクレティアの頭をそっと撫でてから、シオンは昼間のことを思い出す。
「もしかして、きみが露店で鑑定書の鑑定人にこだわっていたのは、そのことが関係していたりするのかい?」
「……ああ。姉さまが助かる方法が何かないかと思って、水晶谷の伝承を詳しく調べようと思ったんだ。だが、伝承の書かれた資料は王立図書館の地下で管理されていて……立ち入りが許されているのは、王宮勤めの者か調律師の資格を持つものだけなんだ」
「鑑定書があっても、ロゼリアが調律師の資格を認められたことにはならないんじゃないかしら?」
「それはそうだが、ないよりはマシだろう? もしかしたら許可が貰えるかもしれないし、藁にもすがりたい想いだったんだ」
姉の命がかかっているのだ。ロゼリアの必死になる気持ちは痛いほどよくわかるし、好ましく思えた。肩を落とす彼女に、シオンはやんわりと微笑みかける。
「それなら、僕とティアがきみに協力するのは駄目かな? 魂の竜の伝承を調べることは僕たちの目的でもあるんだ。きみのお姉さんが生贄にならなくても済む方法を一緒に探す。……どうだい?」
伝承を洗えば魂の竜の力を手に入れる方法が見つかるかもしれないし、竜を目覚めさせることができれば生贄の問題も解決するかもしれない。
ロゼリアが駆け付けてくれなければふたりはどうなっていたかわからないし、そういう意味では命の恩人とも言えるのだから、協力してやりたい。
ルクレティアを見ると、彼女もシオンの意見には賛成なのかにっこりと微笑んでくれた。当のロゼリアは悩むように押し黙っていたけれど、最後にはこくりと頷いてくれた。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
三人がルクシーレに到着したのは、日がすっかり沈んだ夜のこと。
明日ロゼリアに宿に来てもらうことにして、露店で適当に夕食を済ませたシオンは、ルクレティアと共に宿へと戻った。
長い空の航界を終えてすぐに洞窟へとおもむき、幻竜と闘った身体はすっかり疲労困憊だった。
埃っぽい身体をシャワーで洗い流し、寝巻へと着替えたシオンはベッドに腰掛け、ルクレティアに包帯を巻き直してもらっていた。慣れた手付きで白い布を巻いてくれていたルクレティアが、ふと顔を上げて小首を傾げた。
「ねえ、シオン。お昼に善意と悪意のお話をしてくれたでしょう?」
露店の店主がロゼリアを騙そうとしたときの会話だと、シオンはすぐに察せた。頷くと、ルクレティアはおずおずと首を傾けた。
「ヴェルスーズの人たちに生贄のことを隠しておくことは、善意から? それは、正しいことなのかしら……?」
「…………」
ロゼリアの口調から察するに、贄の制度を知っているのは国政に携わる一部のものと、生贄に選ばれてしまった者の血縁者だけなのだろう。ロゼリアの身なりの良さから察するに、もしかすると初めから制度を知っている国の重鎮の血筋から生贄が選ばれていたりするのかもしれない。
しばし考えた末に、シオンは返答した。
「どうにもならないことだから、不安を煽らないようにって考えは理解はできるよ」
「でも……ロゼリアのお姉さんが可哀想だわ。これまで生贄にされた人たちだって」
ルクレティアの言うことは尤もだった。難しげな顔で思案に暮れている愛らしい顔を、シオンは覗き込む。
「ティアなら、どうする? 受け入れる? それとも、抵抗する?」
「え……でも、わたしは人じゃないから……」
この手の話をするとき、ルクレティアはいつもこう言う。その度にシオンは、悲しくなる気持ちを押し殺さなくてはいけなかった。
確かに、ルクレティアは人と変わりなく見えるけれど、きめ細やかな肌も脈打つ心の臓だって、聖術で創られた偽者だ。
目の前にいる少女は間違いなく、人ではない。
それでも、シオンにとってのルクレティアは人形などではない。
彼女の言わんとすることに、首を横に振る。
「……ティアの体は特別なものだし、帝国では人のために尽くせって言われてきたかもしれないけれど。きみには、自分を大切にしてほしいな」
「……それなら、シオンは生贄の制度には反対なのね」
シオンの願いに首を縦に振ってくれることはなかったけれど。暗かった瞳が微《かす》かに輝きを取り戻す。シオンはただ微笑んだ。
「魂の竜を目覚めさせることができたら、解決できるかもしれないしね」
「できるの?」
わずかに不安そうに揺れる瞳に、シオンはきっぱりと言う。
「やらないと。そのために、帝国を出たんだから」
シオンの言葉は、ルクレティアを安堵させることができたらしい。軽やかな足取りで浴室へと消えていった背中を見送ってから立ち上がったシオンは、窓の外を見た。
街灯に浮かび上がる夜のルクシーレはゆったりと時を刻んでいて、平穏そのもの。
ガラスの向こうには、犠牲になった女性たちのことを知らない安穏とした顔がたくさんある。それは、いつ綻びが生じるとも知れない仮初の平和でしかないのだろう。
カーテンをさっと引いて、シオンはその景色を隠した。
そして、ずっと押し殺していた苛立ちを吐き出すように、嘆息する。
「……生贄、か。どの国もやっていることは変わらないな、七神竜は」
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