――ルクレティア。
それは真っ白な記憶のページにただ一つ記されていた単語。少女を少女足らしめるただ一つのもの。
ルクレティアが覚醒してから最初に会ったのは、帝国の王さまだった。
皇帝は言った。
自立型歌唱人形は、人の営みに役立つ為だけに存在する。人に尽くし、自らを犠牲にしろ。できなければ廃棄処分だ、と。
ルクレティアは答えた。わかりました、と。
二番目に会ったのは、王さまほどではないけれどやっぱり帝国の偉い人。
彼は言った。
お前は終末の書と呼ばれる聖歌を歌う為だけに生み出された存在。それだけがお前の存在理由。成功させることができなければ価値がない、と。
ルクレティアは答えた。必ず成功させ、役に立ってみせます、と。
三番目に会ったのは、白衣を着た研究者。彼女は言った。
終末の書を歌うことができないだなんて、お前はとんでもない出来損ないだ、と。
四番目の人も、五番目の人も、六番目の人も、みんなみんな、言った。
終末の書が歌えないお前になんて価値がない、と。
役目を果たせない機械の末路は単純明快だ。廃棄処分。
手足をもぎ、瞳を抉り取り、首を切り落とし、最期にはゴミ処理場に送られる。そして、その機械はなかったことにされるのだ。
毎日毎日、繰り返される罵倒にルクレティアはひたすら頭を下げた。
ただただ、ごめんなさい、と謝り続けた。終末の書が歌えなくてごめんなさい、役に立たない機械人形でごめんなさい、と。
頭を下げるルクレティアを見ると、みな一様にため息を吐くのだ。そして冷めた目と共にこんなことを言う。
――どうしてこんなことになってしまったのか、と。
ルクレティアは定期的に記憶を削除されてしまっていたから知らないけれど、彼女が造られてから一年以上が経過しているらしい。
その間のルクレティアは同じことの繰り返し。
終末の書は歌えず、役立たずの木偶の坊。文字通りのお人形。
終末の書が使えないから、幻妖種との争いは苛烈を極め、戦況は芳しくない。
そんな状況を打破する為に偉い人たちが話し合い、一つの結論が出た。
ルクレティアの人格を消して、完全な人形にしてしまおう、と。記憶を削除するだけでは生ぬるい。そもそもが自我なんてものが芽生えてしまったから聖歌は成功しないに違いない、と。
二度目の来訪を果たした王さまは冷たく言った。
お前は人形。人形に人格は不要。求められることはわかるだろう、と。
ルクレティアは懇願した。それで役目を果たせるのなら、どうか自我を消してください、と。
それで喜んでもらえるのなら。帝国の為になるのなら。ルクレティアは本望だった。
ルクレティアの返事に、王さまはある楽譜を差し出してきた。曲名は知らない。ただ、これを歌えばお前の人格は消え去る、とだけ教えてもらえた。
楽譜を暗譜したルクレティアは、偉い人たちから儀式の間に呼び出される日が来るのをじっと待っていた。
けれど、そのあいだに一つだけ考えてしまったことがある。
人格を消されてしまったら、ルクレティアという名前も失ってしまうのだろうか、と。
それは――悲しいな、と。
自らの最期の日はいつ訪れるのだろうかと、ぼんやりと地下部屋で待っていたルクレティアに会いに来たのは、ひとりの男の子だった。
悲しい瞳をした、とても優しい声の男の子。
ただ一人、ルクレティアの名前を呼んでくれた彼。
男の子は言った。
――僕を助けて欲しい、と。
切なそうに。苦しそうに。怖い、と涙を流す男の子の姿は見ていてとても哀しくて。
だからルクレティアは、その男の子の手を取って。それで――。
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