客室を後にしたシオンは廊下で立ち止まると、大きく息を吐いた。
ルクレティアの言葉には、シオンへの親愛の情が目一杯込められていた。
だから苦しい。シオンにとって、ルクレティアは大切だ。なによりも。けれど、真実を告げればどうしたって彼女を傷つけてしまう。どうすればいいのか、わからない。
ルクレティアに真実を話すことは無理だ。けれど、黙したまま向けられる彼女からの信頼を素知らぬ顔で受け止められるほど、シオンは強くはいられない。
「……今は、魂の竜を見つけることに集中しないと」
今頃ルクレティアはシオンを傷つけたと思い、しょぼくれているはず。
戻ってフォローするには、今の自分は平静さを欠いている。少し時間を置いてから彼女と話したほうがいいだろう。
当初の予定どおり図書館に向かうために、廊下を足早に進む。
「顔色が悪いが、大丈夫か?」
下から聞こえてきた少女の声に、シオンは階段の踊り場で足を止めた。階段下には壁に背を預ける格好でロゼリアが立っている。
すべての原因は彼女の不用意な発言なのだけれど、本人にその自覚はないのかその顔はけろりとしたもの。
いまなら、ルクレティアに会話を聞かれることもない。シオンはロゼリアを見下ろす眼差しに鋭さを込めた。
「きみ、何者?」
「……どういう意味だ?」
金緑の瞳に怪訝そうな色が浮かぶ。
ロゼリアには水晶谷で命を救われたから贄の件で力になりたいと思っていたし、同年代の同性と交流が持てて楽しそうなルクレティアの様子も微笑ましく感じていた。
しかし、今シオンの胸にあるのはロゼリアへの不審だけ。
「フェリシアのことを、どうして知っていたんだい?」
「言っただろう? おまえが寝言で」
「嘘はいいよ。それはありえないことだから」
彼女の言葉を遮り、シオンははっきりと首を横に振った。
シオンはルクレティアのことなら何だってわかるつもりだ。だから、彼女の隠し事に気づいている。そのことを黙っているのはルクレティアに気を遣わせてしまうからだ。
ロゼリアの台詞に彼女は終始怪訝な面持ちをしていた。シオンが本当に寝言を漏らしたのならば、あんな顔はしないだろう。
そもそもが、フェリシアの名をシオンが寝言なんかで言うはずがない。もし零すとしても、別の名前だ。
「……ありえない、とはどういう意味だ?」
「言っただろう、嫌いだって。その名前は僕にとっては忌まわしいものなんだ。口にするだけで嫌な気分になる」
シオンにとっては二度と聞かずに済ませたい忌み名。
何より、ルクレティアの前でその名を出すことは、はらわたが煮えくり返るくらいに腹が立つ。
他人にでさえそう感じてしまうのだから、無意識下であってもシオンが口にするはずもない。
「……忌まわしい、だと? なぜ?」
ロゼリアの顔に困惑の色が広がる。彼女はなんだか狼狽しているようだ。
これは、演技には見えなかった。
「僕の質問に答えてくれないか。どこでその名を知ったんだい? 帝国?」
「…………」
沈黙を守るロゼリアに、シオンはため息を返す。彼女の目的は贄とされる姉を救うこと。けれど、それ以外にも何か事情があるようだ。
聞いても答えてくれないのならどうしようもないし、シオンの目的は魂の竜を手に入れること。その一点は変わらない。
なので、すれ違いざまに告げる。
「きみが何の目的で僕らに近づいたのかは知らないけれど、ティアを傷つけたら許さないよ」
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