残った料理を平らげ、最後に水を飲み干す。
一気飲みで乱れた呼吸を整えながら背もたれに身体を預けると、全身から力が抜けていった。
「俺が負ければルナリスは救われるのかな?」
立て掛けられた刀を一瞥し、テーブルに突っ伏す。
テーブルを指でこつんこつんと小突く。
「もしそうだったら……」
「おい、大人しくしているか?」
不意にドアの向こう側から声が聞こえてきた。
ルナリスの妹、シルファの声である。
「大人しくも何も、遊ぶ物が一つもないから何もできないんだけどね。この世界のオモチャとか持ってきてくれてもいいよ」
「……悪いな」
「えっ!? いや、冗談のつもりだったんだけど」
「間違いなく、ルナリス様はお前を信じていた。いいや、今も信じたいと思っているはずだ。しかし……」
重々しく言葉を濁す。
意を決したのか、ようやく言葉を紡ぎ直した。
「ルナリス様の……オレたちの父親であり、先代のファルカリア王──タクルス・ファルカリア様の死を……ルナリス様は許せないんだ」
「死が許せない? それってどういう意味?」
引っ掛かる言い回しだった。
亡くなったことが信じられないとかではなく、死が許せないという。まるでその死んだ父親か、あるいは死そのものを憎んでいるかのようだ。
それに、それがシンリとどう繋がるというのか。
ドア越しに小さな深呼吸が聞こえてくる。
「十二──今は十三か。十三人の王たちが争うキングゼロ。数百年……いや、実際はいつから続いているのかもわからないが……昔は今と比べて相当に酷かったと聞いている。ルールを侵さない範囲で、勝つためにはどんな手段も行っていたそうだ」
話を聞いただけでシンリの脳裏にいくつかのイメージが浮かぶ。
想像だけで鳥肌が立った。
そんな恐怖を、続く優しげな声が浄化する。
「タクルス様は娘であるルナリス様と同じく、とても優しい御方で、全ての民を愛し、全ての民から愛されていた。ルナリス様やオレにも優しく接してくれていた。最高の王であり、最高の父だった」
しかし、声音はすぐに一変した。
「だがある日……事件が起きた。タクルス様が他国の者に暗殺されたのだ」
「……暗殺?」
【民を戦わせることは決して許されない。戦う資格を持つのは王だけである】
謎の声が告げたルールが思い出される。
浮かび上がる矛盾。
「国民を戦わせるのは駄目なんじゃ──」
だが、あることに思い至って黙る。
シルファが震える声で答えた。
「暗殺のためにこの国へ訪れたのは……その国の王自身だった」
民ではなく、王自身が手を下せばルールに触れない。これもまた、ルールを侵さない範囲での手段ということなのだろう。
だとしても妙な話だった。
「で、でも暗殺って……ルナリス、言ってたじゃんか、他国の王の顔は知ってるって。もしそうなら、相手が王だってわかってたんじゃないの?」
相手が王だとわかっていれば、容易に暗殺などされないはず。
そもそも、他国の王を招き入れたりするだろうか。シンリのような例外を除いて。
「もちろん王の顔は知っていた。しかし……後継者の顔までは知らなかったんだ」
「後継者?」
「どうやらファルカリアへ来る前に王位を継承したらしい」
「王様が変わってたってこと? それ、ルナリスたちは知らなかったの?」
「王位継承が行われたという情報だけはあった。だが、それがどんな人物なのかまではわからなかった。そしてそいつはある日、突然ファルカリアにやって来た。そう、お前と同じようにな」
「──っ!」
言葉がドアをも突き破り、シンリの心を殴りつける。
あまりの衝撃に固い息を呑んだ。
「そいつは新たな自国の王の使者だと名乗り、書状を持参したなどと言っていたらしい。当然、兵士たちは警戒し、タクルス様に指示を仰いだ」
「そんな嘘を……」
「タクルス様は大層悩まれたそうだが、そのとき発せられたルナリス様の言葉を受け、招き入れることを選んだらしい。だが、それは結果から言えば失敗だった。取り返しがつかないほどの。その者は謁見の間へと通されると、一瞬の隙を狙って、タクルス様を毒牙にかけた」
歯を食いしばる音が聞こえてくる。
シンリ自身も、気付けば拳を握り締めていた。
「……それで、そいつは?」
恐る恐る尋ねる。その先に起きた惨劇を想像しながら。
民は他国の王を攻撃できない。だとしたら、その王からの一方的な残虐があるのではないかと。
だが、シルファの答えはシンリの予想に反したものだった。
「民である兵たちは戦えない。王であるそいつを追い返すことしかできなかった。そいつもまた、ルールにより去ることしかできず、何もせずに帰ったらしい」
「去ることしかできなかった……?」
「王は他国の民を傷つけてはならない、それもルールだろう」
「マジかよ……聞いたことないんだけど。俺、知らないこと多すぎじゃない?」
「本当に、自分が王だということすらも昨夜初めて知ったようだな」
シンリは思わず苦笑う。
「だからそう言ったろ」
「民も土地も所有していないのか?」
「うん。むしろ住む家もない。ここを放り出されたら無一文の宿無しだ。さて、これからどうしたもんか」
冗談めかしてそう言った。
見えないとわかっていながら、わざとらしく肩をすくめる。
不意に鍵を開ける音がした。
「そうか。だったら──」
ゆっくりとドアノブが下がっていく。
開いたドアの先に立っていたシルファは、昨日着ていた兵士服とは違い、彼女の女性らしさと美しさをより鮮明にさせる、緑がかった煌びやかなドレスで着飾っていた。
「ほへぇ」
思わず見惚れてしまうほどに美しい。
「──頼む」
銀色の髪が上下に揺れる。
言葉の続きを聞くまで、シンリは何が起きているのか理解できなかった。
「次のキングゼロ、ルナリス様に負けてくれ」
シルファはゆっくりと顔を上げ、見つめ合う。
スカイブルーの瞳は潤み、揺れていた。
それでも、シンリをしっかりと見つめている。
「ルナリス様はお前から何も奪わない。約束する。お前は何も失わずに済む。だから──頼む!」
彼女は再び深く頭を下げた。
ただただ真剣に。
ただただ純粋に。
懇願する彼女を見つめ、シンリは後ろ頭を撫でながら黙って考え込んだ。
逡巡後、あることを決めた。
「悪いけど、断るよ」
「……何だと?」
シルファの目つきが一瞬にして鋭くなった。
「勝てるかはわからないけど、俺、本気で戦いたくなっちゃったんだよね」
「き、貴様っ!」
シルファは怒声を上げ、胸倉に掴み掛かろうとする。だが、ルールのためかその手を止めた。代わりに、今まで押し隠していたのであろう敵意を剥き出しにする。シンリはそれを真っ向から受け止めた。
数秒の無音と、睨み合い。
痺れを切らしたシルファは先に目を逸らした。
「お前を頼ろうと──お前を信じようとしたオレが間違いだった!」
シルファは踵を返し、怒りをぶつけるように力いっぱいドアを閉める。
床を蹴る音が少しずつ遠ざかっていき、いずれ聞こえなくなった。
近くに人の気配がなくなったのを確認し、ベッドに戻る。
立て掛けてあった刀を手に取り、鞘から少しだけ刀身を抜き放つ。宝石のように美しい刃。人を魅了するような怪しい輝きを放っており、鏡よりも綺麗に持ち主であるシンリの顔を映している。その表情は、真剣そのものだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!