ルナリスはこほんと咳払いを一つしてから、真剣な口調で尋ねた。
「シンリはどこから来たのですか?」
あくまで言葉遣いは崩さないように喋るルナリス。
シンリは一度小さく笑い、頭を掻きながら回答を考え込んだ。
門前でのやり取りが頭をよぎり抵抗感はあったが、素直に答えることにした。
「……日本ってところなんだけど、知ってる?」
「二ホン、ですか?」
ルナリスの口にした二ホンは、本来の日本とはイントネーションが違っていて、答えを聞く前に返答がわかってしまう。
「存じ上げませんね」
「そっか……」
「その地の王の名は?」
「王?」
予想外の問いに首を捻る。
質問の意味がわからず、何も言えないまま黙り込んでしまう。
シルファが警戒した様子でシンリを睨んだ。
「自国の王の名すら言えないのか? 何かやましいところでもあるんじゃないのか?」
「いや、やましいところはないんだけど……」
「ルナ──姉様、やっぱりコイツを信じない方がいいです」
ルナリスは、黙るシンリを一瞥した後、シルファを諭した。
「どんな人間にも言い難いことの一つや二つ、あるものですよ」
「で、ですが──」
「シルファ」
「……はい」
シルファは口を噤み、しゅんとなる。黙らされる姿は、まるで叱られた子供だった。
勝ち気なシルファのそんな姿に、シンリは思わず笑いそうになるが、どうにか噛み殺して話を戻した。
「王様ってさ、やっぱりどこの国にもいるものなの?」
「えっ!?」
突然、ルナリスが素っ頓狂な声を上げた。
彼女の隣ではシルファまでもが呆気に取られている。
「……そんな変なこと言った?」
二人は当たり前だと言わんばかりに力強く頷いた。
「もちろんです」
「どこの国も、十二人の王の誰かが統治しているに決まっているだろう」
「十二人の王?」
「……本当に知らないのか?」
「うん」
「お前、本当にどこから来たんだ?」
訝しげな視線を送るのもそこそこに、呆れ果てるシルファ。
「まったく。この世界クローヴェリアでは当たり前のことだろう」
「十二人の王? クローヴェリア?」
聞き慣れぬ言葉が続く。
(あれ? でも、どこかで聞いたような……)
知らないはずだが、知っているような気もする。何とも不思議な感覚だった。
「なぜ首を傾げているのか知らんが、常識だろう」
「常識……」
聞いたことない常識に不安が募る。
さすがにおかしいと思い始めたシンリは、俯き考え込んだ。
(何かおかしくないか? 世界には十二人の王がいる? それが常識? 聞いたことないんだけど……ひょっとして俺が無知なだけ? いやいやまさか。だったら俺が寝てる間にそうなったとか? って、どれだけ寝てたっていうんだよ。でも、だったら……)
様々な考えが浮かんでは消える。
やがて一つの可能性が浮かんで固まった。
「──俺、もしかして異世界に来ちゃった?」
まさか。あり得ない。そんな夢物語のようなこと。
馬鹿げた妄想だと一蹴したいが、考えれば考えるほどにしっくりくる。
見慣れぬ土地。見知らぬ城。聞いたことないはずの常識。仮に異世界だとすれば納得できる。現実離れしたその存在を容認できればの話だが……。
結局、わからないことだらけなことに変わりはない。
「異世界?」
呟いた声が聞こえたらしく、ルナリスが小首を傾げる。
「シンリ?」
「……えっ?」
「どうかしましたか? 顔色が悪いようですが」
「え、えっと、あの、その……何でもない……」
何度か口をパクパクと動かすも、言葉は続かなかった。
ルナリスたちから顔を背け、空を見上げながら後ろ頭を撫でる。
「もしかして夢とか……?」
自分の頬を思い切りつねった。
「痛ったぁ……」
当然ながら痛みが走る。
赤くなった頬を優しくこねてほぐす。
「夢じゃないってこと? これは現実で、でも夢みたいなことで、けどやっぱり現実なんだから、つまり……本当に異世界に来たってこと!?」
自問自答による結論を小声で叫ぶ。
シンリの答えは、どう考えても収束してしまう。
──異世界に来てしまった。
固唾を、そして息を呑み込んだ。
小さく深呼吸すると、動揺はなだらかに鎮まっていく。
「日本じゃないとは思ってたけど、まさか異世界だったなんて。だから日本語が通じるのかな? こっちの世界では日本語が主流、みたいな?」
荒唐無稽な話だが、素直に受け入れることにした。
何せ実際に起きている出来事なのだから。
「いつからおかしくなった……?」
改めて記憶を遡る。だがすぐに首を振った。なかなか思い出せない。それでも記憶を辿るのをやめなかった。
黙って真剣に考え込んだ。
そして数分後、ようやく探り当てた。
「そうだ、声だよ!」
記憶の終わりと始まりを。
いきなりの大声に、ルナリスとシルファだけでなく、周囲の人たちまでもが一斉にシンリを見やる。驚きと好奇に満ちた無数の視線が、シンリを射抜くように捉えて離さない。だが今のシンリには、そんなことを気にする余裕はなかった。
「そうだそうだ、それで……」
思い出したシンリは、また疑問へと向かっていく。
「変な声に何か言われて……それから……それで気付いたら……」
シルファが驚きを押し隠し、警戒を強めながら訝しげに声を掛ける。
「どうかしたのか?」
シンリは顔を上げ、
「あそこにさ、誰か住んでたりする?」
「あそこ?」
「えっと……あっちの、大きな木が一本だけ生えてる──」
「ラシール原野ですね。あそこには誰も住んではいませんよ」
怪訝な表情のシルファとは対照的に、ルナリスは優しく微笑む。
「じゃあ、この世界にテレパシー的なのが使える人は?」
ならばと次の問いを投げ掛けるも、
「何ですか、そのテレパシー? というのは」
ルナリスは人差し指を顎に当てて小首を傾げた。
「じゃ、じゃあ、何か他の超能力とかを持ってる人は?」
「チョウノウリョク?」
今度はシルファが、何を言っているのかわからないとばかりに怪訝な表情を浮かべる。
「……ない?」
ルナリスとシルファが同時に頷く。
聞いたこともないのか、考える素振りも見せなかった。
「そのチョウノウリョクとは何ですか?」
「えっと……自分の力で遠くにいる人に声を届けたり、炎を出したり、触れずに物を動かしたり? それから……うーん……」
シンリ自身詳しくないので、すぐに言葉を詰まらせてしまう。
「……もしかして、キングゼロのことか?」
「キングゼロ……」
シルファの発した言葉を聞いた瞬間、心の奥にあった薄暗さに明かりが灯る。
「それって……そうだ、確かあの声が言ってた……」
目をこれでもかと見開く。思い出した。
「世界を統べる、王になるための、戦い」
聞いた言葉を繰り返すように、たどたどしくも重々しく呟いた。
それは不思議な場所で、不思議な声から聞いた、不思議な言葉。
まるで失ったピースを取り戻した気分だった。
「キングゼロでは一つの国に一つの武器が存在します。武器にはそれぞれ特別な力が備わっていますが、もしかしてそのことですか?」
「あぁいや、それとは関係ないと思うんだけど……」
我に返ったシンリは小さく首を振った。
だが、その話には興味がある。
「一つの国に一つあるってことは、その武器ってこの国にもあるの?」
抑え切れないほどの好奇心が湧き上がった。
ルナリスはほんの一瞬、冷たいと感じさせるほどの真剣な眼差しでシンリの目を見つめたかと思うと、微笑みながら頷く。
「ありますよ。我が国の所有する槍──二ルグ」
「へぇ、二ルグ。それってどんな能力が──」
あくまで単純な好奇心だった。
しかし、シルファの冷たい一言が、シンリの欲求を軽く凍てつかせる。
「お前には関係ない」
やけに素っ気ない態度に、シンリはたじろいだ。
「シルファさん、何か怒っていらっしゃる?」
シルファは、シンリを今まで以上に睨めつけた。
射殺さんばかりの視線に、ごくりと息を呑む。
だがその眼光は、唐突に吐き出された溜め息と一緒に消える。
「お前だからというわけじゃない。あくまで他国の者だから──それも、お前は人一倍怪しいから信用できないだけだ」
募っていた不満や不服を込めるように、シルファはしたり顔で言った。
「それ、やっぱり俺だからじゃない?」
「シルファ」
ルナリスが子供を叱るように窘めた。
シルファはふくれっ面になり、顔を背けてしまう。
「気にしなくていいよ。信用できないのは事実だろうし。それに実際、俺には関係ない話なんだからさ。むしろ好奇心で聞いてごめん」
シンリは自分に言い聞かせるように、改めて言った。
「関係してるのは王だけなんだもんな。だったらやっぱり俺には無関係だ。俺は普通の一般人……なん、だから……」
ふと、言葉を詰まらせる。
「あれ……? 王?」
心の奥底で何かが引っ掛かった。
「何か……忘れてるような……」
その答えは霧散してしまい、上手く掴めない。
「どうかしましたか?」
「────っ」
ルナリスの声で我に返ると、彼女の顔が息の掛かるほど近くにあった。
思わず驚きの声を上げそうになる。声はどうにか呑み込んだが、顔の赤みまでは誤魔化せないので、見られないように力強くぶんぶんと首を振った。
「な、何でもないよっ」
その勢いのまま顔を背けた。声は隠せないほどに上擦っている。
目を離してから後悔した。せっかく間近でルナリスの顔を見られたのに、と。
ルナリスは小首を傾げ、シルファは呆れた様子で溜め息を漏らした。
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