キングゼロ

〜13人の王〜
朝月桜良
朝月桜良

覚悟

公開日時: 2022年2月12日(土) 12:00
文字数:5,322

 槍先をシンリに向けながら、叫ぶ。

「私と戦いなさいっ! 嫌なら……負けてよ……っ!」

 つーっと溜め込んだ涙が大粒になって溢れ出し、頬を伝う。

 ルナリスが抱える心の痛みと、悲しみの叫び。

 見て、聞いて、受けたシンリは、固く結ばれていた口を開いた。

「言ったろ、お前の間違いを正すって。そのために俺は戦うんだ」

 悲しみで曇ったルナリスの瞳を見据える。

 ルナリスの瞳に映るシンリの瞳は、力強く輝いていた。


「私はもう子供じゃない! 自分の間違いくらい、自分で正すわよ! だから……私が王になって──」

「そうじゃないだろッ!」

 ルナリスの言葉を打ち消すように怒鳴る。

「昨日、ルナリスから民のために戦うって聞いて、凄いって思ったんだ。俺の世界では、そうやって心から人のために頑張れる人はほとんどいない。だから本気で凄いって、かっこいいって思ったんだ。──だけど違った。お前も結局、民のためとか言いながら、自分のために戦ってる」

「そ、そんなことない! 貴方は私の何を知っているというの!?」

「知らないよ。そりゃ知らないけど、でもこれだけはハッキリ言える。お前は償いのために戦ってる。ごめんなさいって思いながら戦ってるんだ。贖罪のために身を削りながら戦ってるんだよ。そんなの民のためなんかじゃない──自分のためだッ!」

「──っ!」

 びくりと、普通の女の子と遜色ない華奢な身体が反応した。

 ルナリスの息を呑む音が聞こえる。

 スカイブルーの瞳の奥が揺れていた。

 ルナリスは音が鳴るほど強く歯を食いしばった。

「だったら何!? それが私の間違いだとでも言うの!?」

 怒鳴る彼女はより一層弱々しく感じられる。

 目を逸らしたくなるのを堪え、シンリは言葉を続けようとした。

「……お前は」

「う、うるさいッ!」

 不意に槍をシンリに向けて突き出す。


 二人の距離は、槍の長さを考えれば十分届く距離だった。

 だがシンリは、身じろぎどころかまばたき一つせず、ルナリスを見つめ続けた。

 槍先はシンリの頬をかすめ、通り過ぎる。初めてルナリスの突進を躱した際にできた傷の下に新たな傷ができ、ほっそりとした血の道ができる。


 シンリは臆さず、想いを乗せて言葉を紡ぐ。

「民のためとか──国の人たちを理由に、自分の思いを偽るな」

「うるさい!」

「自分を傷つけるな!」

「うるさいうるさい!」

「逃げるなッ!」

「──ッ!」

 ルナリスは声とも取れない叫び声を上げ、大きく後ろに跳んだ。

 着地するなり、重心を下げて槍を引いて構える。陽光を反射しながら楽しげに躍る金色に輝く髪とは裏腹に、表情は苦しげに歪み、青ざめていた。

 シンリを烈火のように睨めつける。

「私をそんな言葉で──惑わさないでッ!」

 場の空気を全て喰らってしまいそうなほどの大声で怒鳴った。


 不意に吹いた風が肌をひりつかせた。

 引き絞った槍を一気に突き出す。

「貫けッ! 伸槍しんそう二ルグッ!」

 ルナリスが後ろに跳んだことで距離ができている。槍の全長が二メートル以上あるとはいえ、槍先がシンリに届くことは決して有り得ない。

 だというのにルナリスは、まるでそんなことなど意に介さず突き放った。

 すると──本来なら何にも届かず空振りするはずの槍先が、届くはずのない空間を貫き続ける。驚くべき現象だった。槍が物理法則を無視して突き進んでいる。距離が距離として作用していない。

 間違いなく槍が伸びている。

「──っ!?」

 シンリは咄嗟に横へ飛び込んだ。


 回避は間一髪で間に合い、地面を転がるようにして難を逃れた。

「躱さないで!」

「はぁ、はぁ……無茶言うなよ……」

 立ち上がりながらルナリスの持つ槍、二ルグに目を向けた。

 伸びた槍先がシンリの立っていた場所を容赦なく貫き、そこからさらに数メートル先で止まっている。

「それが……二ルグの能力?」

 ルナリスは頷く代わりに、視線を槍に落とす。

「伸縮自在。それが二ルグの力」

 激昂から打って変わり、淡々とした口調で告げた。

 シンリは最後に深く息を吐き、

「……無茶言うよ、ほんと」

 思わず苦笑する。

 あまりの不利かつ危機的状況に、逆に笑えてきてしまう。

 そのせいか、心が躍っているような錯覚すらあった。


 自然と浮かぶ感情を抑え込み、訊ねる。

「後悔してるのか?」

 短い沈黙の後、ルナリスは小さく頷いた。

 かと思えば、すぐに首を横に振る。

「……貴方には関係ない」

「そうだな、関係ない」

「だったら──」

「でも関係ある!」

 シンリは胸を張って言った。

「お前が女の子である限り、俺は無関係なんかじゃない!」

「はぁ……?」

 ルナリスはぽかんと口を開ける。

「な、何をバカな」

「そうだよ、俺はバカだよ! そんなの俺だって知ってるし、俺を知ってるやつなら誰だって知ってる。常識過ぎて全員の共通認識だ」

 ルナリスはまたも言葉を失っていた。

 すかさず続ける。

「だから言う」

 息を深く吸い、それを一気に吐き出すように、

「昔のお前は、絶対に間違ってなんかいないッ!!」

 大声でそう叫んだ。

 ルナリスが眉をひそめる。

「何を、言っているの……?」


 シンリは一歩前に踏み出した。

 二人の間にできてしまっている距離を、今度はシンリが埋める。

「言葉通りだよ」

「そんな……貴方だって言っていたじゃない、私の間違いを正すって。それなのに間違っていないって……」

 ルナリスが後退る。

 それ以上にシンリが歩み寄った。


「間違ってるのは過去じゃない、今だ。ルナリスは考え違いをしてるんだよ。ルナリスが他国の王を招き入れるように言ったから父親が死んだって? 違うだろ。それはルナリスの考えじゃない、お前の父親の考えだ。ルナリスの父親が自分で決めて招き入れたんだ。お前の考えが正しいと思ったから、お前の考えを尊重する考えに決めたんだよ。決してルナリスが決めたことじゃない」


 屁理屈かもしれない。

 わかっている。

 だとしても、言わなくてはいけない。


「違う! あのとき、私が言わなかったら──私が言わなかったら、あんなことにはならなかった! パパは死なずに済んだの! 失わずに済んだの! 私のせいだ! 私のせいなんだ! 全部、私なんかがいたせいで!」


 ぶつかり合う、諭す言葉と拒絶の言葉。

 ルナリスは、シンリの言葉を──過去の自分の言動と存在を否定している。

──それは納得できない。


 シンリはゆっくりとした口調で、子供に言い聞かせるように優しく言葉を紡ぐ。

「お前の父親は、困ったときに自分の娘に大事なことを決めさせるような、決断力のない情けない人だったのか?」

「──っ! 違うっ!」

 スカイブルーの瞳に怒りの色を宿し、怒鳴った。

「そうだよ、違うだろ」

 ようやく本当の意味で二人の目が合った。

 思わず顔が綻ぶ。

「娘の言葉だからって、違うと思ったことをするような、無責任な人だったのか?」

「……違う」

 ルナリスは静かに俯いてしまう。

 俯いたまま、震える声で否定する。

 どんな言葉よりも、ハッキリとした意思を持って。

「ましてや、それを娘のせいにするような、最低な人だったのか?」

「……違うわよ」

 否定する。

 何度も。

 何度でも。

 シンリの言葉に首を横に振る。

 

──ポタッ。

 

 小さくも、今までのどんなものよりも空間を支配するように音を鳴らし、地面に一滴の雫が落ちた。

 それはルナリスの流した大粒の涙。

 雫はその一滴から始まり、一滴、また一滴と、溢れては頬を伝い、地面を濡らしていく。

 もう何も、彼女の涙を止めるものはなかった。

 彼女の涙が空気に熱を与える。

 曇っていた空が明るくなっていく。

「そうだろ。俺はその人に会ったことなんてない。だけどわかるよ。楽しそうな国の人たちを、その人の娘であるルナリスとシルファを見たらさ。王としても、父親としても──きっと、立派な人なんだろ」

 シンリは過去形の言葉ではなく、あえて進行形の言葉を使った。

 彼女たちにとって一生色褪せない存在だから。

 死せども変わらぬものが、きっとあるから。


 ルナリスは弱々しく、けれどしっかりと頷いてみせた。

「……ええ」

 その声は泣いているせいか、か細く震えている。

 けれど、決して弱くなどない。

 真っ直ぐとした、芯のある声だった。

「凄いよな。その人はさ、国を守ろうとしたんだよ。その決断で。王として、お前らの父親として、国をもっと良くしようと思ったんだよ。その結果は、確かに辛いものだったのかもしれない。──だけど」


──ポタッ、ポタポタッ。


 ルナリスの瞳から、止めどなく大粒の涙が溢れ出し続けた。

 顔をくしゃくしゃにして、地面を点々と濡らしていく。

「その人はきっと、我を通したこと自体は後悔してないはずだろ。だって大事なのは結果だけじゃないんだから。結果がどうであっても、自分の考えそのものが間違ってたなんて思ってないはずだ」

「……ええ。……ええ」

「それなのに、一番わかってあげなくちゃいけないルナリスが、その考えが間違ってたなんて言ったらダメだ。それはその人の決断を否定することになる」

「──ええ」

「だから改めて言う。俺は自分が正しいとまでは思わない。だけどこれだけは言える。今のルナリスは、絶対に間違ってる」

 シンリは、その人──タクルス王の想いを代弁する気持ちでそう言った。

 もしかしたら間違っているかもしれない。

 他者の気持ちなど推し量れるものではない。

 それも死者の気持ちなんて……。

 だがそれでも、シンリは言葉を止めなかった。

 もしもシンリが同じ立場なら、きっとそう思うから。


「国の人たちは、ルナリスが先代の王の娘だったからお前に期待してるんじゃない。お前のせいで王が死んだからって、責任を負わせてるんでもない。お前を認めてるから、信じてるから、大好きだから。お前は国のたった一人の王なんだろうけど、だけどきっとそんなの関係ない。ルナリスだから好きなんだ! 認めてるんだよ、信じてるんだよ! 国民みんなのことを想ってるお前だから!」


 ルナリスだったからこそ、誰もが王として慕っている。

 きっとそれ以外に理由などない。


「それなのに、お前がやってるのは──国のためだとかって偽った贖罪だ。罪滅ぼしのためだけに自分を犠牲にしてる。そんなの、きっと国の人たちは誰一人として望んでないはずだ。それなのに――間違った自己犠牲をずっと続けて、自分を傷つけて、守ろうとしてる国民を、まるで枷みたいに思って……国民の人たちもそれを知らずに、ルナリスを信頼して、その結果、ルナリスの重石になるなんて……」


 シンリは、音が鳴るほど強く奥歯を噛み締めた。

 強く握った拳は行き場を失った力で小刻みに震える。

 力が暴走したみたいに勢いよく顔を上げた。

「辛すぎるだろっ、そんなの!」

 ルナリスと国民の想い、そのすれ違いはあまりにも苦々しく、悲しいものだ。誰一人として幸せにならない。


 シンリは小さく深呼吸し、荒れた呼吸を整えた。自分の頬を叩く。パチンッ、と見た目以上の音が鳴った。その音が重い空気をわずかに軽くする。

「……俺はこの世界の人間じゃないから、この世界や国のことは全然わからない。何が正しいのかだって……。だけど、だからこそ、俺の意見を言わせてもらった」


 言いたいことは全部言った。

 思ったことを、全て。

 己の心理と真理を、言葉に変えて。

 ちゃんとルナリスに伝えた。

 伝わったかはわからない。

 だけど、それはもうルナリスの問題だ。


「ルナリスがこれからどうするのか、どうするべきなのか、俺にはわからない。だから教えてほしい。ルナリスの考えを──ルナリスの答えを」

 彼女が出す答えを、ただ黙って待った。

 沈黙が流れるが、熱を帯びた静けさに居心地の悪さは感じない。

 ルナリスは涙を拭い、顔を上げた。

「私は……先代の王の娘。そして、やっぱり私の一言があったから、先代の王である父は亡くなった」

 ルナリスは変わらず、重苦しい言葉を口にしていた。

 けれど、表情からは迷いが晴れ、今までとの違いが見て取れる。

「それをなかったことにはできない。忘れることも」

 その証拠に、ルナリスの瞳は雲一つない青空の色と同じ、世界を包み込む綺麗なスカイブルーの色をしていた。シンリが初めて会ったときと──いや、それ以上に澄んだ、青空にも負けぬ美しい色をしている。

「──でも」

 辺りに流れていた、悲しみに満ちる重く張り詰めた空気を一瞬にして吹き払う、一陣の風が吹いた。ルナリスの方からシンリの方に吹く、強くも心地良い風がルナリスの綺麗な長い金色の髪を躍らせ、シンリの黒髪を払うように撫でる。

 急な突風にシンリは咄嗟に目を瞑った。

 風は次第に凪いでいく。

 ゆっくりと目を開けたところ、その視線は纏う雰囲気の変わったルナリスに自然と吸い寄せられた。強く、優しく、美しく、煌めき、凛としている。

 こんな状況にも関わらず、シンリの顔に赤みが差す。


 ルナリスはシンリを見つめ返し、

「私は現ファルカリア王! 過去の罪は決して消えない。それでも私は今を生き、前に進む。国のみんなのためにも、私はキングゼロで勝ち、みんなを助ける」

 力強くそう言い放った。


 笑顔とも取れる、清々しい表情を浮かべながら。

 そこにはもう一切の迷いも感じられない。

 きっともう折れることも曲がることもないであろう、見えるはずのない心の芯が見えるかのようだった。

「そっか。これからのことなんてわからないけど、ルナリスのそんな顔を見れただけで、俺はもう大満足だ」

 なははっ、と心から笑う。

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