遠くに感じていた視覚や聴覚が近付いてくる。
「うわっ、と……」
いきなり訪れた地に足がつく感覚。こればかりはどうにも慣れず、またも転びそうになってしまう。
どうにか堪えて安堵の息を漏らす。
二人が戦闘空間に行く前までいた、謁見の間。
本当に戻ってきたようだ。
ふと、シンリとシルファの目が合った。
漆黒の瞳とスカイブルーの瞳が互いを映す。
シンリは気まずさを押し隠し、声を掛ける。
「や、やぁ、シルファ」
シルファは、黙ったままシンリを睨み続けた。
あまりの気迫と眼光にシンリは言葉を失ってしまう。シルファの放つ威圧感は、先ほどまで対峙していた王たちにも引けを取らないのではないかと、シンリは心の中で呟いた。
シルファは何も言わないまま顔を背けてしまう。
シンリと同じく玉座の前に出現したルナリスの方を向き、神妙な面持ちで跪いた。
「お帰りなさいませ、ルナリス様」
「ただいま、シルファ」
姉妹ではあるが、王であるルナリスと一介の兵士であるシルファは、いつもどこか距離があった。今はいつも以上にぎこちなく見える。
「……お疲れ様でした」
「ごめんなさい、シルファ。みんなにも謝らないとね」
「皆、ルナリス様が私たちのために戦って下さっているだけで幸せに思っています」
シルファは顔を上げず、声には張りがない。
すでにキングゼロの勝敗を知っているのだろう。
シルファは重そうな口を懸命に開いた。
「それで……何を?」
「土地よ」
「……そうですか。すぐに手配させます。規模と位置が判明次第、お知らせください」
「その必要はないわ。もう決まっているの」
「と、言いますと?」
「場所はラシール原野よ」
「……わかりました。手配しておきます」
シルファは深い息をゆっくりと吐き出した。
戦闘空間で取り払ったはずの布に巻かれた槍をルナリスから受け取り、一礼してから踵を返した。
ドア前にいるシンリの横を通り過ぎる際、敵意を剥き出しにしてシンリを睨む。
不意にルナリスは重い口調を消し、
「そうね、手配をお願い。職人たちのね」
優しく微笑んだ。
彼女の明るい声音と言葉に、シルファは足の動きを止めた。
怪訝な表情を浮かべて、ゆっくりと振り返る。
「……職人ですか?」
「あそこに家を建てるそうなの。金額の方はこちらに請求するようにお願いして」
ちらりと、ルナリスがシンリを一瞥した。シンリは大きく頷いてみせる。
シルファの表情はより一層怪訝さを増した。
「それはどういうことですか? 土地だけではないと?」
ルナリスは、とても柔らかな眼差しをシンリに向ける。
「彼は最初、何も奪わないことを選んだ。だけどシルファも知っての通り、残念ながら、それは許されない。そして、改めてシンリが選んだものは土地だった。ラシール原野に家一軒分の土地よ」
「家一軒分!?」
驚愕するシルファに、ルナリスが肩をすくめる。
ほら見なさい、と言わんばかりの表情だった。
「それでは私の気が済まないと言ったら、彼は家を建て、その費用をファルカリアが肩代わりすることを望んだのよ」
信じられないといった様子で目を丸くするシルファ。
ルナリスは突然、くすりと笑った。
「拒むならファルカリアの女性たちを奪われるらしいわ。ハーレムだとか言ってね、この女好きの王様は」
「ちょっと!? それは内緒だって!」
まさかあのときの冗談が今になって首を絞めてくるとは。
シルファは怪訝な表情なのか、あるいは呆気に取られた表情なのかもわからない、複雑な表情でシンリを見つめる。
何とも言えない顔と同じく、何とも形容しがたい気迫に、シンリはただただ作り笑いを浮かべるので精一杯だった。
するとルナリスがもう一つ付け加える。
「私とシルファも歓迎だそうよ」
「し、しーっ!」
シンリは慌てて口封じしようとした。すでに言い終わっているが。
殺されるのでは、と恐怖が絡みついてきた。
そのせいか、走馬燈のように思考が一気に加速する。
(いや待て待て、思い出したぞ。俺は王なんだ。ファルカリアの民であるシルファが、他国の王である俺を攻撃できないルールがあるはず。大丈夫──ってちょっと待って? だったら門の前での鉄拳は? そうか、あのときはまだ自分でも王だって知らなかったから正式に王として認められてなかったんだ。だからルールが適用しなかったんだな。だったら今なら大丈夫なはず。でももしかしたら俺は端からそのルールが例外の可能性も? 異例の新たな王なわけだし。それか実はルールを破っても大した罰はないのかも。気付かない程度だったりして。駄目だ、考え出したら不安が止まらない!)
だがシルファは、肺の中にある空気を全部吐き出すほど深く息を吐いたかと思うと、小さく微笑んだ。
「──なら、仕方ないですね」
シルファと出会ってから見たどれよりも、柔らかく優しい表情だった。思わず見惚れてしまうほどに。
「それではルナリス様、私はこの件を手配して参ります」
「ちょっと待って」
踵を返すシルファに、ルナリスが言った。
いつものように。
「姉様、でしょう?」
優しく微笑む。
「……はい、姉様」
シルファもとても嬉しそうだった。
部屋から出ていくシルファを見送り、余計なことを言わぬようにしていた口の鍵を開ける。
「やっぱり笑った二人は綺麗だな」
そんな言葉が口を衝いて出た。
ルナリスは口元を手で覆い、笑う。
「ふふっ。シルファに手を出したら容赦しないわよ?」
「なははっ。それは約束できないな」
シンリも胸を張って笑う。
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