──十年前。
庭園から一室を見つめるルナリスが不安げに呟く。
「シルファ、大丈夫かな?」
「大丈夫。少し熱があるだけだから、今日一日休めば元気になるさ」
父親のタクルスはルナリスの頭を撫でながら、優しく微笑んだ。
「そうですよね」
異母妹のシルファは、実母に看病されて部屋で休んでいる。
まだ幼いシルファは身体が弱く、よく熱を出した。
その日も、前日にルナリスと遊んだ疲れからか、高熱にうなされている。
よくあることではあるが、自分のせいかもしれないという考えが、ルナリスの不安を煽っていた。
それを察したのであろうタクルスは、またもルナリスの頭を撫でる。ルナリスは頬を膨らませた。
「もう、子供扱いしないで下さい。私も来年には十歳になるのですから」
「すまない。だが十歳になろうと二十歳になろうと、お前は私にとって可愛い子供さ。もちろんシルファもね」
「そういうことではありません」
「そうだったか? しかし、お前こそ身内だけのときは言葉を崩して構わないのだぞ? 今は二人きりなのだから」
「いいえ、私は王の後継者なのですから」
「後継者か……」
ふと、タクルスが神妙な面持ちとなった。
「ルナリスよ、私はお前に王を継がせる気はない」
「──どうしてですか? やはり私では力不足だと?」
「そうではない。我が子に戦いなどさせたくないという親心だ。可能であれば孫にも、その子供にも、継がせたくはない。私がファルカリアの最後の王であればと、真に思っている。だが如何せん、長年続いてきたキングゼロが簡単に終わるはずもない。せめて私が戦えるうちは、私がこの役目を背負い続けるつもりだ」
「ですが……ですがっ──」
庭園に一人の兵士が大慌てで駆け込んでくる。
「タクルス様っ!」
「何事だ?」
「ご報告します! 他国の王の使者を名乗る者が門前に!」
「王の使者だと? それは真か?」
「はい! 彼の者は王より書状を預かっているとのことで、タクルス様との謁見を希望されております」
「わざわざ書状を? どこの国だ?」
「それが……」
兵士はルナリスを一瞥したかと思うと、タクルスに耳打つ。
国名を聞いたタクルスは難しい顔になった。
「なるほど……」
「どういたしましょう」
「にべもなく追い返すわけにもいかない。が、だからと言って、おいそれと城内に招くわけにもいかない」
髭を剃ったばかりの口元を指で撫でる。
一度、シルファの寝室を見上げた。
「少し考える。門の前で待ってもらってくれ。くれぐれも粗相のないようにな」
「かしこまりました」
兵士は急ぎ門前に戻った。
「ルナリス、お前は母親のところに行っていなさい」
「……わかりました」
身を翻すタクルスを見送り、ルナリスも走り出す。
ルナリスが向かったのは城下町だった。
いつもは賑わっているが、今は奇妙な緊張感が滲んでいる。それは門に近付くごとに強くなっていった。
城門の脇にある木戸から顔を出す。
兵士二人と、見知らぬ男が話していた。
ルナリスは耳をすまし、話す男の目をじっと見つめる。
ルナリスには、幼少期から不思議な力があった。相手の目を見れば嘘がわかるのだ。そのことは家族だけが知っている。知っている相手の、それも大したことには使ったことはないが、ちゃんと嘘を見抜ける自信はあった。この力こそが、自分の王である素質──才能だとも考えていた。
ルナリスがここへ来たのは、件の人物を自分なりに見定めるためである。
王を──父親を手助けしようとしたのだ。上手くいけば自分の力を認めてもらえるのではないか、という打算もあったかもしれない。
いくつかの話を盗み聞きしたが、どれも嘘はなかった。
(だけど……何だろう、この気持ち)
その男を目にしたルナリスは、自分でもわからない感情が浮かんでいた。何かはわからないが、悪いものではないだろうと思う。
男の瞳は、どこか寂しげな色を帯びていた。
それがルナリスの答えを決定付けた。
「父様」
ルナリスは城へ戻り、タクルスのいる謁見の間に訪れた。
よほど逡巡を重ねているらしく、顔も上げない。
「彼の者を見て参りました」
「……何? 今何と?」
「この目で、彼の者を見て参りました」
「バカな。母の元で待っていろと言っただろう」
「ですが父様」
「わかっている。すまないな。それで?」
「嘘は申しておりませんでした。それと……」
「それと?」
「いえ……──私は、彼の者は信じられると思います」
「……それはお前の意見か、ルナリス」
低い声で訊ねる。
「はい」
「そうか」
タクルスは小さく息を漏らした。
玉座から立ち上がり、ルナリスに歩み寄って頭に手を伸ばす。癖のようにまた撫でようとしたのだろう。だが、庭園で子ども扱いするなと言ったからか、黙ってその手を引っ込めた。そのままルナリスの横を通り過ぎる。
「誰か! 門へと向かい、使者を丁重に招くよう伝えろ!」
ルナリスは自分の意見が認められたのだと、嬉しく感じた。
それが悲劇を生むとも知らずに。
謁見の間に通された男は、入るなり顔が見えぬほど深く頭を下げた。
「どうか顔を上げてほしい」
そう告げるタクルス。
男はゆっくりと顔を見せた。
それを見るや、何やらタクルスが驚きの声を上げる。
「お前は──まさかっ……」
異変を示す王に、誰もが視線を奪われた。
その一瞬の隙が命運を分ける。
男は懐に忍ばせていた短剣を抜き放ち、タクルスの左胸に──突き刺した。
「──え?」
ゆらりと倒れ込む、愛すべき王の姿。
男はタクルスを見下ろし、呟く。
「お前が悪いんだ。お前が……お前が大事なものを奪うから……!」
「あ、あぁああぁぁ……いやぁぁっ!」
ルナリスの悲鳴が木霊する。
その日、一人の王が亡くなった。
──これは、一生許されないルナリスの罪だ。
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