放課後を告げるチャイムが鳴り響く。
寒空の下、グラウンドで二人の男女が向かい合っていた。
真剣な面持ちの男子生徒と、彼の様子を訝しげに見つめる女子生徒。
空気は一見張り詰めても見えるが、どこか緩い。
意を決した男子生徒が口を開く。
「俺、キミが好きなんだ! 付き合ってくれ」
甘酸っぱい、学生男女の告白シーン。
けれどそんな光景は、この高校ではいつものことだった。
告白──そしてその結果も。
「無理ですごめんなさい」
迷いもなく一息で言い放ち、そそくさと踵を返して去ろうとする。
この学校では、この光景はすでに日常と化していた。
彼は毎日のように告白し、振られている。それも毎度違う女の子たちに。その回数は今日で──……
「真理のやつ、これでジャスト百回の失恋だな」
告白の様子を、グラウンドの見える校舎二階の廊下から見下ろしていた男子生徒三人のうち、一人がそう言った。
三人は、告白した男子生徒の真理が女子生徒を追い掛ける姿を見て笑っている。日常と化した光景は、多くの生徒にとって余興となっていた。
「ほんっと、よくやるよな」
「普通こんなペースで告白したりしないってなぁ」
「ちょっと喋ったら次の日に告白だもんな。そりゃ振られるって」
「ただ惚れっぽいのか、はたまた無類の女好きなのか」
「残念だよな、悪いやつじゃねぇのにさ」
「運動神経だって良いんだから、せめて普通にやってりゃ、モテないまでも気にかけてくれる女子だっていそうなもんなのに……バカだから」
「バカだからな」
「救いがないほどのな」
男子三人は大きくけらけらと笑った。
笑われているとは露知らず、真理は女子生徒を必死になって追い掛ける。
「ねぇ、ちょっと! 付き合ってくださいって! ねぇ!」
絶えず投げ掛ける声を無視して、女子生徒は逃げるように走り去ってしまった。
一人残され、後ろ姿を見つめて盛大に肩を落とす。
「またかぁ……」
沈むようにしゃがみ込む。
悲しげに空を見上げ、後ろ頭を撫でながら黄昏ていた。
だが数秒後、
「しょうがない。次だ次」
しゃがんだときとは反対に、勢いよく立ち上がる。
表情はすでに明るさを取り戻していた。失恋したというのに、何事もなかったかのように平然としている。
すぐさま立ち直った姿に、三人の男子生徒たちが感嘆の声を上げた。
「あれはあいつの良いところだよな」
「何があっても落ち込まないよな」
「落ち込んでもすぐに立ち直るって、凄ぇよ」
笑いながら言っているが、嘲笑ではなかった。むしろ尊敬に近い。
敬意を込めた最後の一笑を残し、男子生徒たちはその場から立ち去った。
帰り道、真理はふらふらと街中を歩いていた。
途中、ポケットティッシュを配っている女性からティッシュを一つもらい、それをポケットに突っ込んだ。
表情は真剣そのもので、けれども時折、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「よしっ、明日は伊藤さんにアタックだ! 負けるな俺! 頑張れ俺!」
真理は次の恋に想いを馳せ、自らを鼓舞した。
「伊藤さんは読書が好きだったよな。駅前の本屋に寄ってくかな」
くるりと軽やかに身を翻す。
本屋店内は広く、様々な本が所狭しと並べられている。そんな中、真理は所在なさげに何周もしていた。棚に並べられた多くの本、その背表紙を見るだけ見て、けれど一冊として手には取らない。
うーん、と唸りながら首を傾げる。そして大きく頷いた。
「うん! 何が良いのか全然わかんない」
両手を上げて肩をすくめ、わざとらしくやれやれといったポーズを取る。
仕事をしている店員を見つけて声を掛けた。
「すいません」
「はい、何かお探しですか?」
「そうなんです」
「本のタイトルか何かわかりますか?」
「それがわかんないんですよ」
「では、どんな本でしょう?」
「いやぁ、それもわかんないんですよねぇ」
笑いながらそう答える真理を、店員は訝しげに見つめた。
店員は小さな溜め息を吐き、次の質問をしようと口を開く。
だが、それよりも早く真理がこう続けた。
「それで聞きたいことがあって」
「はい、何でしょう?」
胸を撫で下ろすのも束の間、次の瞬間、空気が凍り付く。
「俺にはどんな本が向いてるんでしょう?」
「……はい?」
店員も思わず顔を引きつらせた。
「俺向きの本を一冊お願いします」
「……はい?」
「難しいのは無理です、読めません」
「……はい?」
「個人的にはちょいエロが好みです」
「……何の話?」
頓珍漢な言葉責めに店員は為す術なく、ただただ翻弄され続けた。
買い物を済ませ、ホクホク顔で本屋から出てきた。
「ありがとうございましたぁ……」
後ろからは疲れ切って間延びした店員の声が聞こえている。
「買えた買えた──って寒っ!」
外に出るなり襲い掛かった寒さで身体を抱き締める。
入店時には傾きかけていた空が、完全に暗くなっていた。それによって気温も一気に下がっている。
「もう十一月だもんな。すっかり陽が落ちるのも早くなったし」
ちょうど点灯した街灯が暗闇を照らし、暗かった辺り一面が明るくなった。
かじかむ手でカバンを開ける。中には漫画やらゲームやらが大量に入っていた。底の方には教科書とノートも一応入っている。あくまで出し入れされていない、押し込められた形だが。その一番上に買ったばかりの本をしまう。
「さて、それじゃあさっさと帰るかな。早く帰らないと、またじいちゃんとばあちゃんが心配するし」
軽く伸びを一つした。
その瞬間、吹き荒ぶ冷たい風が牙を剥く。
あまりの寒さに歯がカチカチと音を鳴らした。
「寒ぃ……」
はぁぁっ、と息を吐くと真っ白く凍り、空に昇っていく途中で夜空に溶けて消える。代わりに消える瞬間、キラキラと輝いた。
固まろうとする身体に無理を言い、真理は帰路についた。
商店街の先にある広場中央の大時計は、すでに短い針が七を差していた。
「もうこんな時間か。寒くて当然だな」
真理は家路につく歩みを速めようとする。
だが、すぐに足が止まってしまった。
「あれ? この時間って……ここ、こんなに人少なかったっけ?」
辺りはしんと静まり返っている。
道はおろか、見渡す限り全ての店や家にも人の気配はなかった。
完全なる無人。まるでゴーストタウンのようだった。
「……とりあえず帰ろう」
寒さに恐怖も相まり、身震いしながら逃げるように動き出す。
歩くスピードは次第に速くなっていき、
「はっ、はっ、はっ、はっ」
いずれ走り出していた。
ふと、『何か』が圧倒的なまでの存在感を放つ。
慌てて立ち止まり、その『何か』を感じた空を見上げた。
「……何だ、ただの月か」
ぼんやりとした薄明りを放つ、一つの丸い大きな物体が浮かんでいた。藍色の空の中で、淡く薄い黄色の輝き。雲一つ──それどころか星すら見えない中、それでも煌々と輝く綺麗な満月だった。
「神秘的ってやつだな」
地上の光をも喰らいそうなほどの真っ暗な夜空に、淡い光を放つぽつんとした姿は、まさに神秘的だった。まるで物語のワンシーンのようである。
だがその月は、いつもとどこか違っていた。
いつもより綺麗で。
いつもより近くに感じられる。
「……ん?」
一瞬、月が揺らいだ。
あるいは、月ではなく世界そのものが揺らぐ。
「何だ、今の……? 何か違和感が……」
異変はそれで終わらなかった。
「なぁっ!? あぐぅぅぅっ」
突然、真理が苦しそうに呻き声を上げる。
ぐらりと体勢が崩れ、片膝を付いた。
「ぐあぁっ……ぐぅぅぅっ」
鈍く響き渡る唸り声が、静まり返る街中に木霊する。
「身体が……あ、熱い……いや、寒い……? 何だよ、この感覚……身体が重くて……立ってられない……」
異常を訴えながら、息苦しそうに左胸を押さえる。我慢できずに仰向けで倒れ込んだ。
否応なく見上げた真理の目に、次なる異変が映る。
月が真理に向かって降ってきたのだ。
空から降ってくる、大きな物体。
逃げ場は、ない。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁッ」
真理は渾身の叫び声を上げる。
間もなくして、真理の身体は降ってきた月に呑み込まれた。
光の差す余地すらない、混沌とした闇の中に沈んでいく。
真理の意識は、そこで完全に遮断された。
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