眼前にそびえるファルカリア城。
城内に足を踏み入れるや、十数人ものメイドやら兵士やらが一斉に現れ、シンリたちを手厚く出迎えた。
ルナリスの指示で全員仕事に戻り、姿を消す。
三人に戻ったシンリたちは、赤い絨毯の敷かれた廊下を進み、ある一室に入った。
部屋中央には、二十人は座れるであろう長卓が置かれている。長卓上にはすでに三人分の食器が並べられていた。
ルナリスが自席に腰掛ける。
「お好きな席へどうぞ」
そう促され、対面の席に腰を下ろした。
シンリが座ったのを確認した後、シルファもルナリスの後ろに移動する。
「貴方も座ったら?」
「いえ、オレ──ワタシはここで結構です」
ルナリスの指示なのだろう、一人称を言い直した。
「それじゃあ、せめてその帽子は脱ぎなさい」
「しかしワタシは──」
「シルファ」
「……はい」
渋々了承したシルファは鍔に手を掛け、帽子を脱いだ。姿を現したのは、ルナリスとはまた違った色をした──肩下まで伸びる、透き通るような美しい銀色の髪だった。色こそ違えど、帽子を脱いで髪を露わにしたシルファは、より一層ルナリスに似ている。
一瞬で女性らしくなった姿に思わず見惚れた。
「おぉっ、さすが姉妹だな」
シルファには聞こえぬようにそう呟く。
姉妹である二人を、つい交互に何度も見てしまう。
顔立ちはルナリスに似ているが、切れ長の目がルナリスよりも凛々しさを際立たせ、外見的な強さを演出している。そしてルナリスと同じ、とても美しく澄んだスカイブルーの瞳。いくら姉妹とはいえ、二人が持つ空気感のようなものはどこか違っている。だとしても、二人は確かによく似ていて、間違いなく姉妹なのだと感じた。
「おい、ジロジロ見るな」
「おっと、ごめんごめん」
慌てて目を逸らす。
ほぼ同時に、誰かが部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
入ってきたのは、先ほどシンリたちを出迎えたメイドたちだった。飲み物の入ったボトルや、パンとスープの皿が乗ったカートを押している。メイドたちはそれらを、汚れ一つないテーブルクロスの敷かれた長卓に並べていく。
一礼の後、メイドたちは部屋から出ていった。
「さぁ、頂きましょうか。シンリはワインとジュース、どちらがお好みですか?」
「ジュース。まだ未成年だから」
「ではジュースを──」
ルナリがジュースのボトルに手を伸ばそうとしたところ、シルファが先んじて手に取る。二つのグラスにジュースを注ぎ、片方をルナリスの前に、もう片方をシンリの前に置いた。
「ありがとう。それでは頂きましょう」
「いただきます」
手を合わせる。ルナリスも手を組み、何やら呟いたかと思うと、まずはジュースを口にした。シンリもジュースを飲んでからパンを一つ手に取る。
料理は代わる代わるやってきた。
「どれもこれも美味い!」
右手には料理を突き刺したフォーク、左手には皿から取ったパン。テーブルマナーなどお構いなしに食べていると、シルファが呆れた様子で頭を押さえる。
「もう少しマナーを弁えて、静かに食べられないのか」
「シルファは食べないの?」
「ワタシは一介の兵士だ。ルナリス様と席を共にできるはずがないだろう」
「そういうもの?」
「当たり前だ」
「姉妹なのに?」
「関係ない」
そう断じるが、ルナリスは少し寂しそうだった。
「シルファ、私は貴方とも一緒に食事をしたいわ」
「いけません。それでは他の者に示しがつきません」
こればかりは譲れないとばかりに、ルナリスの優しい言葉を拒絶する。
ルナリスはわざとらしく肩をすくめ、溜め息を漏らす。そしてこれまたわざとらしく、シルファに聞こえる声でシンリに言った。
「ごめんなさい。シルファは考え過ぎるきらいがあるのです」
「姉様、ワタシは姉様と、国のことを考えて」
「それが考え過ぎなのではなくて?」
互いに一歩も引かず、真っ向から口論している。
こうして見れば何てことはない、普通の姉妹以外の何ものでもなかった。
「仲、良いよな」
「──はい」
口から衝いて出た呟きに、ルナリスは迷わず頷いた。
気恥ずかしさからか、シルファは顔を赤くして背けてしまう。
「ワタシは兵士だ。仲の良さなど」
「シルファ……」
見るからに肩を落とすルナリス。
堪らずシルファは補足する。
「ワタシから敬意と好意を向けるのは当然のことです」
ルナリスは嬉しそうに微笑んだ。
「そうですね。それなら私たちは両想いですよ」
聞き入っていたシンリは忍び笑う。
「うん、美味い」
二人を微笑ましそうに見たまま、また一口食べた。
ふと、フォークとナイフを握る手が止まる。
「姉妹か……」
「シンリ? どうかしましたか? ボーっとしていますが」
「あ、いや……」
「まさか貴様、またよからぬことを」
「え? いや、今回は違──」
「許さん」
「うわっ、ちょっ、シルファさん、タンマタンマ!」
シルファは拳を鳴らしながらシンリに近付いていく。
彼女の全身からオーラのように気迫が放たれている。何を言おうとも止まる気配はない。それでも声を投げ掛け続けることしかできず、必死に発し続けた。
「ごめんなさい、もう何も考えないから許して下さい!」
「問答無用!」
シルファが拳を振りかぶった。
反射的に目を閉じる。
「まぁまぁシルファ、落ち着きなさい」
「はい」
「……あれ?」
恐る恐る目を開けると、すでにシルファは元の位置に戻っていた。まるで制止まで含めて一連の流れだったかのように。全部シルファなりの冗談だったのだろう。
冗談だとしても、いくらシンリが助けを乞うても止まらなかったのに、ルナリスの一声でたちまち止まったのが、何とも複雑な気分だった。
「助かったような……少し寂しいような……」
しょんぼりしながら食事に戻る。
ルナリスはくすりと笑った後、優しくも真剣な色の混じった様子で尋ねた。
「それでシンリ、貴方の国……二ホンでしたか? そのことを教えて頂けますか?」
「あぁ……う、うん」
躊躇いがちに頷く。
(もし、ここが本当に異世界なら、説明したところでこの世界に日本は存在しないのかも……。そんなことを話しても大丈夫なのかな? とはいっても、今後のことを考えたら俺一人で悩むより、二人に相談するべきかも……)
逡巡を終えると、深呼吸を一つ挟み
「日本は、こんな形の国で……」
人差し指で宙に描く。
ルナリスも、シンリの描く形を指でなぞってテーブルに描いている。
「二ホンは島なのですか?」
「え? うーん……」
「どうしました?」
「えっと、日本は……何だろうね?」
改めて聞かれるとわからなかった。
なははっ、と笑って誤魔化すシンリの頬をシルファがつまむ。
「ふざけるのも大概にしろ」
「ごべんだざい」
「ふんっ!」
餅のように伸びる頬を弾くようにして放した。
赤くなり、わずかに伸びた自分の頬を優しく撫でる。
「痛い……」
「姉様を誤魔化すことは許さない」
「誤魔化してるわけじゃないんだけど……」
「それじゃあ、その二ホンはどの辺りにあるのですか?」
困り顔のルナリスは質問を変えた。
しかしそれもまた、
「わかんない」
と軽く返す。
その瞬間、シルファの視線がシンリを襲う。
気迫に当てられ、思わず身震いした。
痺れを切らし、一歩前に出たシルファが語気を強める。
「さぁ、本当のことを吐けっ」
今にも掴み掛からん勢いだった。
「そう言われても……」
「やはり何かやましいことがあるんだろう」
「いや、やましいことはないんだけど……」
「だったら言えるはずだっ!」
「落ち着きなさい、シルファ」
シルファの怒鳴り声で耳鳴りがするほど無音になる中、熱を冷ますようなルナリスの一声が響く。シルファの怒りは鎮静化されたが、空気は今まで以上の真剣さと緊張感を孕んでいた。
ルナリスが小さく息を吐く。
「シンリ、貴方は私に何か隠し事をしているのですか?」
スカイブルーが漆黒を真っ直ぐと見据えた。嘘や隠し事を許さない、そう言わんばかりの瞳に魅せられ、シンリはごくりと喉を鳴らす。
「えっと……」
目を逸らそうとするが、叶わなかった。ルナリスの瞳には、本当に魔力が込められているのではないかと思えるほどに目を離させなかったのだ。ひょっとすると、本当に全てを見透かしているのかもしれない。
言葉選びは諦め、前置きを口にした。
「……俺にも信じられない話だよ?」
「構いません」
頷くのを確認し、深い溜め息を吐きながら頭を掻く。
シンリは語り始める。
本当かどうかもわからない話を。
一笑に伏して然るべき考えを。
「ここは俺のいた世界じゃない……と思う。多分、異世界なんだ」
シルファは小さく口を開けたまま固まってしまった。
だがルナリスは、真剣な面持ちのままシンリをじっと見つめ、黙って聞いている。
「まぁ、自分でも信じられないんだけどさ」
なはは、と茶化すように笑う。
小さく息を吐いて、冗談の色を混ぜた笑顔をやめる。
「でも、事実なんだ……と思う。俺がいた世界はクローヴェリア? って名前じゃないし、そもそも世界なんて言い方も普通はしない」
パンを一つかじる。小ぶりだったため二口で食べ切った。指に付いたパンの塩気を舐め取り、隣の椅子に掛けていたブレザーからポケットティッシュを取り出して手を拭う。ポケットティッシュを見た二人は、変な物を見るような目をしていた。
「俺は学校が終わってから本屋に寄って、それで帰ろうとしたら──……」
そこからの記憶があやふやだった。
奇妙な空間で謎の声と何かを話したが、断片的にしか覚えていない。夢だったかもしれないので、とりあえず今は省いておく。
「気付いたら知らない場所で寝てたんだ。それで歩き回ってたら、門の前に辿り着いて、兵士のおじさんとシルファに会った。起きたら知らない場所にいたから、俺にも状況はよくわからないんだけど……」
話せることはこれで全部だ。
言葉にできない、何とも複雑な空気が流れる。
三人を包み込む沈黙は、意外にもすぐに消え去った。
ふと、ルナリスが納得した様子で呟く。
「そうでしたか」
太陽のように温かく眩しい微笑みを浮かべた。
驚くどころか、疑う素振りすらも見せない。
「信じるの!?」
ルナリスはこくりと頷いた。
思わず、どうしてと言いそうになってしまう。信じてもらえることは嬉しいが、こうも簡単に信じるのは驚きだった。
「そうですね……私の目は嘘を見抜くことができるのです」
「嘘を、見抜く?」
それこそ嘘のような話だが、
「信じられませんか?」
「……ううん、信じるよ」
シンリもまた、信じ難い彼女の話を迷わず信じた。
嘘か本当かは関係ない。何せルナリスの言葉なのだから。
ルナリスは優しく微笑んだ。
「でしたら、そういうことです。シンリの言葉に嘘は感じられませんでした。シンリが私を信じるのと同じで、私もシンリを信じます。それに……」
ルナリスの声がシンリの顔を見て止まった。
「それに?」
「……いえ、何でもありません」
何だろうと思い、シルファの方に目を向ける。
シルファは何も言わず、陰りのある表情でルナリスに視線を送っていた。
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