──ガチャンッ。
不意に甲高い音が耳をつんざく。
部屋には音が鳴る物はなかったはずなので、突然の大きな物音に驚いた。
恐る恐る音のした方に目を向ける。
視線の先には、開いたドアの前で呆然と立ち尽くすルナリスの姿があった。床には割れたティーカップやスプーン、トレイなどが散乱している。
「ルナリス……?」
ルナリスは俯いていて表情が見えない。それでも、彼女の様子が尋常ではないということが見て取れる。
シンリは慌てて刀を後ろに隠した。もう遅いとわかっていながら。
ルナリスがわずかに顔を上げる。
「シンリ、まさかそれは……」
「えっと、これは……」
説明するべきだとわかっていた。
だというのに、上手く言葉が出ない。
短くも重い時間が流れ、状況を最悪な方向で決定付けてしまう。
「……私もそれは気になっていました。それは……キングゼロで王が扱う、王のみに扱うことが許される武器──サクトゥスの一つですか」
発せられた声は、いつもの優しく綺麗で凛々しいものとは打って変わり、刺々しく冷たいものだった。そこに優しさはわずかにも存在しない。
「サク、トゥス……?」
視線を辿り、持っている刀を見やる。
サクトゥス──キングゼロで扱う武器のこと。この刀がサクトゥス。つまりシンリの予想は的中してしまったということ。
それが意味することは、ルナリスの様子からも伝わってくる。
「サクトゥスは──王はずっと十二人だったので、有り得ないと思っていましたが……」
ルナリスは小さく頭を振った。何かを否定し、振り払うように。
十二人の王に、十二の武器。それが今までの常識だったのだろう。
恐らく、今後も変わるはずのないものだった。
それを『シンリ』という存在が崩してしまった。
十三人目の王と、十三番目のサクトゥスが。
「そこに刻まれているのは、間違いなく十三の数字」
視線の先には、抜き捨てられた鞘が床に転がっていた。鯉口辺りに、数字なのか文字なのかが刻まれている。シンリの知る形状ではない。これがこの世界での『十三』を示す数字なのだろう。
ルナリスは顔をより一層歪め、深く俯いた。
「王が誰なのか、全員把握していました。当然サクトゥスもです。次代に継がれたという報せもなかった。だからこそ、シンリがそうであるはずはないと思っていました。いえ、そう思いたかったのです」
「ルナリス……」
「ですがそれは……甘い考えだったのですね」
そう漏らすルナリスは、顔が真っ青でひどく苦しそうだった。今にも倒れてしまうのではないかと思えるほどに。
ルナリスはシンリを激しく睨めつけた。
「貴方は──十三人目の王ですか」
まるで刃物のように鋭い言葉。
まるで氷のように冷たい視線。
敵意の込められたその二つに、シンリは気圧された。
慌てて弁明しようとする。
「聞いてくれ、俺は──」
しかし、シンリの言葉はそこで止まってしまった。
ルナリスの瞳が、許さなかったのだ。
有無を言わさぬ迫力を持つ、空と同じ色をしたスカイブルーの瞳。ずっと澄んでいた空は、雲に覆い隠されたように陰りと淀みで色褪せてしまっている。
それを目の当たりにしたシンリは息を呑んだ。
「私の目は……貴方の嘘を見抜けなかったのですね……」
ルナリスは左手で左目を覆い隠した。
そして、右目でシンリをもう一度睨めつける。
「貴方という存在を見誤ってしまった」
力強く唇の端を噛み締めた。鮮血が桜色を穢す。
うっすらと目に涙を浮かべていた。
「私はまた……同じ過ちを繰り返してしまったのですね……」
「同じ、過ち……?」
「今度こそはと思ったのに。今度こそって。だというのに……私の未熟さと浅はかな考えが、他国の王を、また招き入れてしまった」
「またって、どういうこと?」
ルナリスは茫然と立ち尽くし、ただただ言葉を連ねるばかり。目の前にいるシンリを見ていない。だが、不意に目が合った。怒りや憎しみといった、負の感情を綯い交ぜにした光を宿す瞳をシンリに向ける。
「──だからこそ」
ルナリスはシンリを指差し、言った。
「シンリ、貴方にキングゼロを挑む」
大きくもない、そのたった一言が、場の空気を完全に支配した。
宣戦布告なのだと、言われずともわかる。
「俺に、キングゼロを?」
嘘だと言ってほしかった。
冗談だと微笑んでほしかった。
しかし、続けられた言葉が否応なく話を進める。
「私はその戦いに勝ち、国のみんなを守り、そして──災厄を招いてしまった自らの汚名を返上する。いいえ、貴方を倒す、ただそれだけでいい」
「ちょっと待って、話を聞いてくれ! 俺は知らな──」
「言い訳は不要よ。王同士は遅かれ早かれ戦わなければならない」
ルナリスは冷たくそう言い放った。
聞く耳を持たぬまま、
「キングXII ルナリス・ファルカリア、キングゼロ」
声高らかに宣言する。
「キングXIII シンリを指名します。彼との一騎討ちを希望。他の王の皆様方は、参加をご遠慮下さいますようお願い申し上げます」
シンリとルナリス以外には誰もいない部屋で、まるで他の誰かに告げるようにルナリスは言葉を紡いだ。
何事かと驚くシンリを尻目に、それは突然起こった。
【了承】
不意に眼前──いや、頭の中に文字が浮かび上がる。
シンリは咄嗟に右目を手で覆った。
「──今のは!?」
「キングゼロの申請よ。私も、自分から申請したのは初めてだけど」
ルナリスは拳をきつく握りしめ、眉をひそめている。
「キングゼロって……戦いのことだよな? 俺、そんなの受けないよ」
「それは不可能よ。私は貴方を指名した。申請もすでに通っている。指名された王は参加を拒否することはできない。絶対に。加えて、他の王も参加できるのだけれど……」
直後、再び文字が浮かび上がった。
【参加者決定。キングXII ルナリス・ファルアリア。キングXIII シンリ。観戦者十一名】
そう浮かんだ文字を読んだルナリスが、眉間にしわを刻んだ。
「全員観戦か。仕方ないわね」
渋々と頷く。
【キングゼロ受理完了。明日、昼の刻により行われます】
最後にそう浮かんだかと思うと、文字はゆっくりと消えていく。
その後、再び文字が浮かび上がることはなかった。
部屋内に冷たく張り詰めた、居心地の悪い空気がまた流れ始める。
シンリは嫌な空気を変えようと口を開いた。けれど言葉は上手く出ず、口を開けては閉じての繰り返しになってしまう。
「明日……」
長く続いた沈黙をルナリスの声が破った。
「こんな時間に出ていけとはさすがに言わない。けど、ドアの鍵は閉めさせてもらうわ。構わないわよね」
ルナリスは重い動きで身を翻し、ドアノブに手を掛ける。
この部屋の鍵は内側にはない。つまりシンリがこの部屋に通されたのは初めから、何かあれば閉じ込めることができるようにということだったのだろう。結果、それが活用されることになってしまったのだから、何とも皮肉な話だった。
立ち去ろうとする背中に、最後の確認をする。
「ほんとに戦わなきゃ駄目なの?」
ルナリスは立ち止まるも、振り返らなかった。
「私たちは王。民のために戦わなくてはならない」
「でも俺、まともに喧嘩もしたことないんだけど。それに、女の子は殴れないよ」
「私は女であると同時に、一人の王よ」
「だとしてもだよ」
一瞬の沈黙。
ルナリスが溜め息を漏らす。
「心配しなくても、キングゼロでの戦いでは本当には傷つかないわ」
どういう意味なのか、という疑問は一瞬だけ浮かんですぐに消え去ってしまう。
「いや、怪我とかも心配だけど、それだけじゃない。戦うこと自体が嫌なんだ!」
荒げた声に、ルナリスはようやく振り返った。
視線がシンリをこれでもかと射抜き、貫く。
「貴方にも国があり、民がいるのでしょう。民のために戦おうという気はないの?」
「国……民……そんなのないよ」
「民のために身を削るのが王の意義だというのに……貴方にはその気がないと?」
「はぁ? いや、そうじゃなくって」
異世界から来たシンリには、国も民も存在しない。そのつもりで言ったのだが、ルナリスは誤った解釈をしたらしい。
だが、やはり聞く耳を持ってもらえず、
「──貴方の考えはよくわかった。どうやら私と貴方は相容れないようね。これで確信したわ。貴方は間違いなく、私の敵。キングゼロで私が勝ち、その腐った性根を叩き直してあげる。覚悟していなさい」
そう言い残し、ルナリスは部屋から出ていった。
勢いよく閉められたドアが大きな音を立てる。その音と衝撃はシンリの前髪を払うほどだった。続けて、鍵が掛けられた音が小さく響いた。
剣呑とした空気は消え去り、代わりに緊張感を孕んだ静寂が幅を利かせる。
自然と安堵の溜め息が漏れた。
ドアが開くか試すも、当然ながら鍵が掛かっていて開かない。
改めて部屋内を見回すが、この部屋には窓すらなかった。入ったときに感じた冷たい雰囲気の正体はこれだろう。
端から逃げ道など存在しなかった。
置いてけぼりだった思考が徐々に追い付いてくる。
「戦うのが国のため? 民のため? どういう──」
【お前を含めた十三人の王たちに戦い合ってもらう。ただの戦いではない、奪い合いだ。それぞれが持つ三つの財──地、民、宝。その三つを賭けて、死力を尽くして戦ってもらう。勝者には、指定した財を敗者から最大三分の一奪う権利が与えられる】
謎の声が発した言葉を思い出し、口を噤んだ。
割れたティーカップの破片を拾っては、トレイに乗せていく。
「……俺、詳しくルール知らないんだけど」
手を止めぬまま、溜め息と一緒に不満を吐き出す。
「宝も土地も国民も……それどころか、まず国すらないんだけど」
一通り拾い終えると、最後にもう一度大きな溜め息を吐き出し、トレイをテーブルの上に置いた。
「まず、この世界に住んですらいないんだけど」
抜き身の刀を落ちていた鞘に戻し、立て掛ける。
倒れ込むようにベッドに寝転がった。ボフッ。ふかふかのベッドはシンリの身体を優しく受け止める。
「てか俺、女の子と……ルナリスとは絶対に戦わないからな」
言い終える頃には、睡魔に意識の半分を刈り取られた。
疲れからか、そのまま深い眠りに落ちていく。
こうして、異世界一日目が終わりを迎えた。
──明日、シンリにとって初めてのキングゼロが始まる。
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